毎週金曜、”夜開く学校”として高い人気を誇るNHKのラジオ番組「飛ぶ教室」。

 その冒頭数分間のオープニング・エッセイ最初の二年分を収める。コロナが流行り出し、誰もが不安にうち沈んでいた時期に贈られた、時に切なく、滋味あふれる温かなメッセージ。

 

 ラジオ番組のオープニングを飾った珠玉の短編エッセイ集、といったスタイルの高橋さんによる作品集。

 なかでも、2020年11月20日放送において話された内容が特に心を打った。

 下記抜粋。

 


P. 81 ことばが消える 

 こんばんは。作家の高橋源一郎です。

 昨日、柳美里さんの小説『JR上野駅公園口』が、今年の全米図書賞・翻訳部門賞を受賞したというニュースが飛びこんできました。たいへんな快挙だと思います。これから、世界中のたくさんの読者が、この、深く重く、素晴らしい小説を英語で読んでくれるでしょう。柳さん、ほんとうにおめでとうございます。

 このニュースを聞いて、思い出したことがありました。六年ほど前のことです。ぼくは、国際ペンクラブが主宰する、大規模なイベントに出席するため、招待されてニュー―ヨークに行きました。世界中からたくさんの作家が集まり、街中のあちこちで、会議、朗読会、シンポジウムなどが行われました。そこに出席した作家の大半は、ぼくも知らない人たちでした。きっと、彼らにとって、ぼくもそんなひとりだったと思います。その中に、中央アジアから来た作家がいました。ぼくたちは、それほどうまくはない英語で話をしたのです。

 彼はいいました。「きみの小説は翻訳されているかい?」ぼくは「韓国語、フランス語、イタリア語、それから英語にもいくつか訳されている。日本語だけだと世界の人に読んでもらえないから」と答えました。すると、彼は「うらやましい」といいました。ぼくが「なぜ?」と訊ねると、彼はこういいました。

「日本人は一億人以上いるんだろう。その人たちに読んでもらえるだけで、作家として生きていける。ぼくの母国語を使っているのはせいぜい数十万なんだ。だから、自分が使えることばで小説を書いても、読者はほとんどいないし、生きていけない。翻訳してくれる人もいない。ぼくは、これから、自分の母国語を捨てて、英語で小説を書いてゆくしかないんだよ」と。彼はさいごに、彼の国のことばで書いた小説をくれました。残念ながら、その本を読むことはできませんでした。辞書さえ手に入らないのですから。

 世界中で五千から七千の言語があるといわれています。母国語として使われるもので、世界一は中国語で十三億。次が英語で五億。日本語を使う人間は一億と少しで世界で八番目に多いそうです。その一方で、二千五百の言語が消滅の危機にあるといわれています。どんな傑作を書いても、誰にも知られることなく、永遠に消えてしまうものもあるのです。自分を育てたことばが消えてゆくのを見つめる作家は、なにを考えるのでしょうか。

 それでは、夜開く学校、「飛ぶ教室」、始めましょう。