読書する人は、『コンビニ人間』と聞けば、あぁー、と分かると思う。
村田沙耶香さんによる芥川賞受賞作品だ。
この作品は英語版が海外でも大いに注目され、昨今の日本文学人気を巻き起こした最大の貢献者のひとりだと思う。
Convenience Store Woman by Sayaka Murata review – sublimely weird
(https://www.theguardian.com/books/2018/aug/07/convenience-store-woman-sayaka-murata-review)
今日取り上げるのは、村田さんがデビューから書いてこられたエッセイをまとめた一冊。
小さい頃について。日常について。好きなことについて。散歩、旅することについて。その後の日々について。
諸々が村田さん独特の文体で綴られている。少し不思議で、心地よい。
その中に『日本橋を徘徊した日々』というエッセイがあった。
下記のところが引っかかったので、抜き書きしておこう。
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P. 249
電車に乗って日本橋に行き、友人が勤める会社の入ったビルの前まで行って、近くをうろうろした。友人の昼休みにビルの前で落ち合って、昼食を一緒に食べたことも何度かあった。会社の制服を着た友人と一緒に、安くて人気のあるパスタの店に並んで、彼女の昼休みが終わる時間まで一緒にいた。そうしていると、自分も彼女と共にあのビルの中に戻っていかなければいけないような気持ちになった。
時間になると、友人は急ぎ足でビルの前まで戻り、首からぶら下げた社員証を機械にかざして中へと入っていった。私はそれを見送ったあと、日本橋の街に立ち尽くした。休憩時間を終えた会社員の人たちが、それぞれ勤める会社へとどんどん吸い込まれていた。
私は満腹感を抱えて街を歩き回った。その時かもしれない。ふと鳩の姿を目に留めて、「食べられるかもしれない」と思ったのは。「あれも、食べられるかもしれない」と花壇の中に生えた雑草のことを見つめたのは。
当時の私は(今もだが)、「肉体」に興味があった。
〇月〇日「肉体感覚を大切にする」
〇月△日「肉体感覚。五感。」
〇月□日「肉体感覚大切に!」
当時の手帳にはしつこいほど繰り返し、「肉体」という言葉が書き込まれている。「食べる」ということは、肉体の重要な営みの一つだ。そのことを一度見つめ直したくなったのだ。
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つい最近、このAI時代に文章を書くには肉体感覚を大事にすべきだ、ということをあるイベントで聞いたばかり。
肉体感覚を大切にする。
あらためて、物を書くというのは、頭の中だけで完結するものではないのだ。
肉体を意識することが重要なのだと思う。