紀元前3世紀、エジプトの港町アレクサンドリアに、世界中の知識を集めようという試みが始まった。

アレクサンドリア図書館だ。


プトレマイオス1世の命によって建設された図書館には、地中海各地から写本が集められ、写され、分類されていった。

ギリシャ語、ペルシャ語、ヘブライ語、サンスクリット語。

この場所は、記録・翻訳・研究のための装置だった。

言うなれば、当時の「知のクラウド」といえる。

ヘロンの装置

西暦1世紀ごろ、この図書館で活動していた技術者がいた。名前はヘロン(Hero of Alexandria)。

彼は、蒸気の力で球体が回転する装置を作った。

金属の球の中に水を入れ、下から火で熱すると、ノズルから蒸気が噴き出し、その反動で球が回る。

これは、現代の蒸気タービンと原理的に変わらない。

アイオロスの球
アイオロスの球(Wikipedia

 

それが社会に使われなかった理由

興味深いのは、これだけの技術的発見が、社会に何の影響も与えなかったことだ。

なぜだろうか?

簡単に言えば、必要がなかったから。

ローマ帝国には既に大量の「労働力」があった。

奴隷である。

労働を代替する機械は、コストに見合わない。

だからヘロンの装置は、単なるからくりとして終わった。

図書館がどうなったか

その後よく知られている通り、アレクサンドリア図書館は滅びる。

でも、一度に破壊されたわけではない。

  • 紀元前48年、カエサルの戦闘による火災。

  • 391年、ローマ皇帝テオドシウス1世による異教排除。

  • 640年、アラブ軍の侵攻とされる伝承(これは不確か)。

要するに、複数の偶発的な要因と制度的な無関心によって、図書館は維持されなくなってしまった。

もし知の火が絶えなかったら?

これは反実仮想だが、もし蒸気装置の発明が実用化されていたら?

ローマ帝国の道路網と行政能力を前提とすれば、鉄道や機械による産業化は、紀元2世紀に始まっていてもおかしくない。

それが現実になっていれば、中世の停滞は起きず、科学革命も産業革命も数世紀早く訪れていただろう。

AIや宇宙開発も、もっと早い時期に始まっていたかもしれない。 

ただ、少し立ち止まると、別の可能性も見えてくる。

産業革命の副作用──環境破壊、資源の浪費、戦争の激化──もまた、同じように早く訪れていたかもしれない。

技術が社会の準備より先に進みすぎると、制御できなくなることがある。

私たちは今、何を見送ろうとしているか

いま、私たちの手元にもさまざまな「火」がある。

AI、気候技術、教育改革、そして言語や思考の在り方そのもの。

しかし私たちもまた、それらを「いますぐ役立つか」で判断しすぎていないか?

ヘロンの装置は、未来のための発明だった。

でも当時は誰にも必要とされなかった。

でも、「これは100年後に意味を持つだろうか?」と考えることには、意味がある。

すべてをマーケットと即時性で測る社会では、ヘロンのような発明が、また静かに忘れられていくかもしれない。

この話に明確な教訓はない。

ただ、「何が見過ごされ、何が残されるのか」について考えてみると、日常の見方が少し変わってくる。

何でも便利な時代だからこそ、今すぐに役立つものから少し距離をとって長い目で見ることもきっと大事なのだ。■