先日、あるイベントに参加した。

 

『エレクトリック』(新潮社)刊行記念トークイベント
千葉雅也×羽田圭介「AI時代に小説を書くこと」
蔦屋書店3号館 2階 SHARE LOUNGE

https://store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities/33771-1601180521.html

 

今季の芥川賞にもノミネートされている千葉雅也先生の新刊『エレクトリック』が刊行されたことを祝しての、同じく芥川賞作家・羽田圭介さんとの対談。

AI時代に小説を書くこと、と題した対談だったのだが、AI時代云々であったり、小説の書き方みたいなことへの、直接的な言及は多くなかった。

ただそれゆえに、自ずといろいろな重要なポイントが、逆に浮かび上がってきた気もした。

 

下記、このテーマに関連する、備忘録までお二人が話した大事なポイントを記載しておく。

整理されていないのだが、大きなニュアンスが伝わればと思う。

(敬称略)

 

—————— 

・二段落くらい書いて、ダメだなというのは何回かあった
・今回も、そろそろやらないとなぁという感じから入った
・羽田→千葉:(千葉さんは)いきなりこんな素晴らしい小説を書いているイメージ

 

羽田)小説ってなんだろう・・・を考えたとき、千葉さんの作品こそ小説だと思った。小さい身の周りのことから派生して「小」、大きなところへつながるところが「説」、ということなんだろうなと思った。書き手は身近なところから大きなところへつながるんだな、と。

・AIとの距離:生身の人間の部分、肉体から離れたものが、たとえば欲望といったものがまず先にあり、膨大な先人の作品を模倣できても、AIという機会は取り換え可能、その微妙なところ、そこに恐怖を感じられるか、どうか。

千葉)生存本能に関わる部分、生きて死ぬ体が最後に大事になる。
・でも今、ネット上で存在する攻撃的な文言も、本当に人によるものなのかどうか
・現象として見えているものと、本物なのかどうかの区別のところ…ここが本作『エレクトリック』のテーマなのだ

羽田)本作を読んで、そういえば父親を肯定する小説って全然ないなと感じた。というのも文学では父殺しがテーマになりがち、つまりエディプス・コンプレックス

千葉)やっぱり同性愛小説などには、母に取り込まれながら、深い愛もあるけど母の規範に従うというのは、ゲイの人あるあるな気がする。お母さんに特別な思いを持っているゲイの人は多い。

羽田)父親を息子に取られたくないとする、妻、母、とは接したことないのは初めてだった。これは母娘問題に似ている。

 

千葉)私小説的に読みたい人と、テクスト的に読みたい人とあるだろうが、戸惑ってもらって大いに結構。
・テクストとは何か、ということを考えてくれ、ということ。
・私小説かどうかはべつにいい、私小説も結局捏造なんだから、ということ。

 

【読者との質疑応答】

Q:プロとアマの違いは?

A:記憶の捏造とか、過去の記憶をみんな捏造している、それは物語を作っている、、、みんな一つは書けるはず。書けそうなものを書くしかない、それを出せたらプロになる可能性がある。テンプレ的なものをやろうとしてると、そこから先に行けない。
・自分の中にエディプス的なものが何もないのに、父殺しの話を書くとかは、違う。

羽田)書いたものが神話に近いのは良いが、その逆は違う。
・読者にブレさせたり、戸惑わせてはいけない、これはこれでいくんだ!と決めないといけない。
・でもこれはアマでの間違ったセンスでは突き進んではいけない。膨大な勉強で成り立っていることを忘れないように。
・ある程度はバランス感覚何だろう、と思う。頻度も含めて。これが多すぎるとマジックレアリズム小説みたいになってしまう。そういう分類を避けながら取り組む。ファンタジーぽくてファンタジーではないというライン。

千葉)ある種のジャンル小説ではなくした。ホラー的、ファンタジー的、こういうふうに撮りたいな、映画みたいに…。

・エドガー・アラン・ポー小説とかはミステリーでもあり、ホラー、私小説的でもあり、カテゴリー化されることを拒む感じもある。小説の源流みたいなところにある作品は、どこかのカテゴリーに入ることがない。

羽田)狭い所から広い所へ引っ越したとき、言語化できないよさがあった。それは狭い所に住んでいた自分を肯定する必要がなくなったから。結構自分が気づかない時に自分を肯定しないといけないというのがストレス、と言うことに気がついた。
身体を用いた主体的な観点が大事、プレイヤー感。それが失われてきている気がする。

千葉)ある種のプラトー状態、高原状態に30代後半に入った気がした。それを打破するために小説を書き始めた。コロナ禍に小説を書くことで乗り切った。
・本作で初めて三人称を試した、これまでは一人称。

 

Q:長編を書くには?

A:羽田)200枚くらいであれば、舞台設定だけ固めて。全プロットは作りこまない。箇条書きで書きたいことを書くことはある。文章単位で飽きさせないことが大事、必然性があれば、長くなるならなるでいい。いつの間にか何百枚も読んでいるのが良い感じ。

千葉)阿部和重さんもプロットは7-8割は固めて書いているとのこと。保坂和志さんも全くメモをしていないわけではないだろう。Jazzの即興性だってある程度は前もって決めているはず。

・作品を書く際は、「動・静・動」を考えた方がいい。

 

Q:AIが書くことについて

A:千葉)AIが書くことには、人が介在する。そのうちブログなどはAIが生成したゴミだらけになる。そのゴミの中で何が本物かを見分けるのが大変にはなるだろう。

羽田)技術が優れているかどうかより、人間が無意識的に選んでいるかどうか。自分の身体的な無意識を信じている。

千葉)ヴィトゲンシュタインの「言語観」、人は人の言葉を真似している。つまり、では、オリジナルのことって何だろうな、ということ。

羽田)たとえば憧れの作家の文章を読んで、影響を受けたいと思っても、次に書く作品に影響が出ないことも。そこにこそオリジナリティがある。

千葉)模倣の失敗にオリジナリティがある。

 

Q:書きたい主題を見つけるために心がけていることは?

A:羽田)抽象的なテーマというよりも、シーンを成立させるための設定、という感じ。落とし込むのは論理的なこと。伝えるための工夫は論理的なこと。

千葉)それを成立させるためにその他を作っていく。出ちゃったものをは出たもの。信じる。無意識から出たもの。

羽田)それが楽しい。そういうシーンありきで書いて、人に分かるように書く苦労はある。でもそれが快楽。

 

—————— 

 

ということでここまでのお二人の対談を振り返ってみると、このAI時代における小説の書き方のポイントが見えてくる。

・AI時代だからこそ、身体的無意識な感覚を信じること

・シーンを設立させるための設定をする

・小説の源流みたいなところにある作品は、どこかのカテゴリーに入ることがない

 

 

変にAI時代に特化した対談とするのではなく、お二人の自然の会話の中にヒントを散りばめてくださったのがよかった。

大変勉強になった。

『エレクトリック』

 

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