「手錠と足枷をつけられたまま、40時間以上も身動きできなかった。」
その間、Gurpreet Singhの頭の中は、借金した450万円のことでいっぱいだった。
インドの家族のために命がけで目指したアメリカの地。しかし待っていたのは、軍用機C-17での強制送還だった。
「全てを失った。もう何もない」
帰国後、39歳のGurpreetはそう呟いた。
家族を養うために全財産を投じ、27の国と地域を経由し、死の危険と隣り合わせの旅をした末の結末。
彼の物語は、「国ガチャ」という過酷な現実を私たちに突きつける。
今週読んだあるインド人の想像を絶する経験を紹介する(BBCより)。
「親ガチャ」に囚われる日本の若者たち
「親ガチャ、外れた…」
日本では今、この言葉が若者の間で広がっている。
「生まれた家庭によって人生が決まる」という諦めの感情だ。
裕福な家庭に生まれれば教育の機会も多く、貧しい家庭に生まれれば選択肢は限られる。
確かに、その不平等感は理解できる。
しかし、このBBCの記事を読んでいたらそもそも「日本に生まれた」という時点で、世界的に見れば既に大きな「当たり」なのではないだろうかと考えさせられた。
BBC: Migrant deported in chains: ‘No-one will go to US illegally now’
国籍という名の「命がけのガチャ」
Gurpreet Singhの物語を詳しく見てみよう。
彼はインド北部のパンジャブ州で家族と暮らしていた。トラック輸送業を営んでいたが、インド政府の突然の通貨廃止政策(2016年)とコロナ禍で事業は崩壊。
妻、幼い子ども、そして母を養うすべを失った。
「合法的に移住したかった」と彼は語る。
カナダやイギリスへのビザ申請を何度も試みたが、すべて却下された。
残された選択肢は、違法なルートしかなかった。
彼は土地を売り、親族から借金をし、450万円(4,000,000ルピー)を密入国業者(「ドンカー」)に支払った。
そして、約1年かけて彼の命がけの旅が始まった。
死のジャングルを越えて
Gurpreetの旅は、想像を絶する過酷さだった:
- インドから南米へ:ムンバイからオランダ、トリニダード・トバゴを経由してガイアナへ。ここから陸路での長い旅が始まった。
- 南米大陸縦断:ガイアナ→ブラジル→ボリビア→ペルー→エクアドル→コロンビア。バス、車、時にはボートを使って移動。
- 「死のジャングル」との戦い:コロンビアからパナマへ抜けるには、密入国者の墓場とも呼ばれる「ダリエン・ギャップ」を通らなければならない。道路はなく、毒蛇や病気、犯罪組織の暴力が横行する場所だ。 「足が鉛のように重くなり、手のひらの皮が剥けてトゲが刺さった。それでも進まなければならなかった」 Gurpreetは5日間、雨の中を歩き続けた。夜は簡易テントで眠り、わずかな食料を分け合った。彼が通過した同じ地域では、前年だけで50人が命を落としている。
- 中米縦断:パナマ→コスタリカ→ニカラグア→ホンジュラス→グアテマラ→メキシコ。途中、何度も当局に拘束されたが、密入国業者が賄賂を渡し、何とか北上を続けた。
- アメリカ入国:メキシコから山を越え、有刺鉄線を抜けてアメリカへ。彼は1月15日、国境警備隊に自首し、亡命申請を試みた。
砕かれた希望
しかし、彼の希望はすぐに打ち砕かれる。
亡命申請は受け付けられず、手錠と足枷をつけられたまま40時間以上拘束され、そのまま軍用機でインドへ強制送還された。
帰国後、彼には仕事も希望もなく、450万円の借金だけが残ったという。
密入国業者とは連絡が取れなくなり、全てを失った彼は、「これからどうすればいいのか分からない」と途方に暮れている。
「親ガチャ」と「国ガチャ」——二つの視点
ここで立ち止まって考えてみたい。
日本で「親ガチャ」を嘆く若者たちの不満は、確かに理解できる。
しかし、Gurpreetのような人々にとって、「国ガチャ」は文字通り「生きるか死ぬか」の問題だ。
日本では:
- 教育の格差がある
- 就職の機会に差がある
- 資産の格差がある
一方、Gurpreetのような人々が直面する現実:
- 合法的に国を出ることさえできない
- 命を懸けて国境を越えなければならない
- 全財産を投じても希望が砕かれる
この比較は、私たちの「不満」を小さく見せるためではない。
むしろ、「親ガチャ」への不満を抱えながらも、同時に「国ガチャ」という恵まれた状況に感謝できる視点を持つことの大切さを教えてくれる。
私たちにできること——「見て見ぬふり」からの脱却
では、私たちは何をすべきなのだろう。
1. 無関心という罪から脱却すること
「愛の反義語は憎しみではなく、無関心である」という言葉がある。
世界の苦しみに対する最大の敵は、憎悪ではなく無関心なのではないか。
Gurpreetのような人々の物語に目を背けず、心を開き、関心を持ち続けること。
それが最初の、そして最も重要な一歩となる。
無関心でいることは、実は選択であり、ある意味では加担でもあるのかもしれない。
知らないことは罪ではないが、知ろうとしないことは罪になり得る。
2. 「不満」と「感謝」のバランスを取る
「親ガチャ」への不満は正当なもの。でも同時に、「国ガチャ」という視点も持つこと。
両方の視点を持つことで、より豊かな人生観を築くことができる。
3. 自分のできる範囲で行動する
- 移民・難民問題に関心を持ち、正確な情報を広める
- 国際支援団体への寄付や活動参加
- 自分の周りの外国人に対する偏見をなくす努力
4. 自分の環境を最大限に活かす
「国ガチャ」で恵まれた環境にいることを認識し、その環境を最大限に活かすこと。
これは「親ガチャ」の不平等を否定するものではなく、与えられた環境の中で最善を尽くす姿勢。
5. 小さな行動を継続すること
大きなことはできなくても、小さな行動を継続することが、せめてもの協力であり貢献となる。
一度きりの寄付やボランティアでももちろんよい、でも自分にできる小さなことを日常的に続けることが、真の変化を生み出すはず。
例えば:
- 国際問題について定期的に学び、周囲と対話を続ける
- 多文化共生の視点を持ち、日常の中でそれを実践する
- 消費行動を通じて、フェアトレード製品を選ぶなど、間接的に支援する
「継続は力なり」——これは国際問題への関わり方にも当てはまる。
こうした過酷な状況に置かれた人々に対し、私たちが持つ最大の強みは 「数の力」 だと思う。
先進国に暮らす私たちは、一人ひとりの小さな行動を積み重ね、 集団として影響を与えることができる。
その小さな積み重ねこそが、最終的に 大きな変化を生み出す原動力 となるのだ。
新しい視点——「運命」を超えて
Gurpreetは「国ガチャ」の厳しさに打ちのめされた。
しかし、彼が家族のために命を懸けた姿勢から、私たちは多くを学ぶことができる。
「親ガチャ」も「国ガチャ」も、確かに人生の出発点に大きな影響を与える。
しかし、それを「変えられない運命」として諦めるのではなく、自分にできるもっと小さなことを見つけ、行動し続けることこそが大切なのだ。
恵まれた環境にいることに感謝しつつも、より良い社会を目指して継続的に行動する。
それが、Gurpreetのような人々の物語から私たちが学ぶべき教訓であり、私たち一人ひとりが持てる力を活かして続けることが、世界をより良くするための最も確かな道筋なのだと思う。
たとえ一人の力は小さくとも、その小さな力を持続的に発揮し続けることが、最終的には大きな変化をもたらす。
それを信じるしかない。
それが「国ガチャ」の厳しさに向き合う私たちの、せめてもの協力であり貢献となるのではないだろうか。
無関心でいることの罪を自覚し、知ること、考えること、行動し続けること——それが、この過酷な「国ガチャ」の現実に対して、私たち一人ひとりができる最も誠実な応答なのだと思う。
※この記事は実在するGurpreet Singhの体験に基づいています。Source: BBC
https://www.bbc.com/news/articles/cx2gjjrzm54o?utm_campaign=feed&utm_medium=referral&utm_source=later-linkinbio
