書くことについての、作家・高橋源一郎さんによるクラス。

夏目漱石は『坊っちゃん』(原稿用紙換算234枚)を10日間で書いたそう。おどろくべき偉業だ。

 

この本の大事なテーマは、作家は「考えない」で書くということ。

普段、意識を支配している自分から脱し、「もう一人の(無意識の)自分」にペンを取らせることが大事。

そうすれば枚数も書けるし、ストーリーも自分だけのものを書くことができるのだという。

そうでもしない限り、漱石がこんな短期間でこんな傑作を生みだせたはずはないのだと。

 

抽象的に見えてとても実践的なアドバイスが詰まった短い本。

おススメです。

 

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〈抜き書き〉

P. 035 

さて、『坊っちゃん』の長さを、作家で批評家の丸谷才一さんは400字詰め原稿用紙で230枚から240枚と勘定しています(別に調べた人がいて、その人によると234枚だそうです)。この『坊っちゃん』を、漱石は明治39年(1906年)3月15日もしくは17日に書き始めました。そして、完成した原稿を雑誌「ホトトギス」編者の高浜虚子に渡したのが3月25日頃と推定されています。原稿を書いていた期間は最長で10日、最短で8日。ということは、漱石は『坊っちゃん』を1日当たり、原稿用紙24枚から30枚書きつづけたのです。字数に換算すると、9600字から12000字でしょうか。さらに驚くべきことに『坊っちゃん』の原稿には「書き直し」の痕がほとんどなく、書き損じて棄てた原稿用紙はたった1枚といわれています。まるで空中に書かれた文字を書き写すかのように、ただひたすら漱石は「書いた」のです。なぜ、漱石はこんなに速く「書く」ことができたのでしょうか。

いうまでもありません、漱石は「考えずに」書いたからです。

 

P. 065

わたしたちは、わたしたちの「意思」によって「書く」のではありません。わたしたちはみんな、わたしたちの内側にいる、もうひとりの「わたし」に登場してもらうのです。それはもしかしたら、長く、人びとが「無意識」ということばで呼んできたものなのかもしれません。

その、もうひとりの「わたし」は、ふだん、わたしたちが「自分」であると認識している「意思」や「意識」を持った存在ではありません。わたしたちが自分の内側に抱え込んだ、「他者」でもあるのです。なぜ、その「わたし」が「他者」なのか。それは、ほんとうのところ、わたしたちは、そのもうひとりの「わたし」のことをよく知らないからです。

その、わたしによく似たもうひとりの「わたし」は、ふだん静かに眠っています。なぜなら、昼間は、わたしたちが、昼間の世界の条理や法則によって生きているからです。けれども、夜になると(また、「夜」の話になりましたね)、その「わたし」はわたしに似ています。おそらく、同じような経験をし、同じような世界で生きてきました。けれども、わたしたちが、昼間の世界の法則に従って生きてきたあいだに、もうひとりの「わたし」は、わたしの内側にあるもう一つの世界で、ひっそりと生きてきたのです。

ふだん、わたしたちは、「わたし」の存在を知りません。けれども、「わたし」はずっと黙って、「そのとき」を待っているのです。

 

以 上