シリアのダマスカスで生まれ、現在はドイツ在住でドイツ語で執筆活動を続けている作家ラフィク・シャミの自伝的エッセイ集を読んだ。

ぼくはただ、物語を書きたかった

シャミは大学で化学を学びながらも、物語を書くことが好きだったという。博士号まで取得し製薬会社に入社するも辞め、作家として活動を開始する。

それも外国語で書く作家だ。

その修行のために、この人も名作を書き写すことを勧めている。

 

P. 36

「ぼくはトーマス・マンの『ブッデンブローグ家の人々』を一文一文書き写し始めた。

 ドイツ語の作家がどのように作品を書くのかを理解し、追体験するためだ。」

 

しかし、彼の住んでいた地域で発行していた壁新聞が禁止され、兵役も迫ってきたため、言論弾圧の厳しいシリアを脱出し、ドイツへ渡ることを決意した。

その後、彼は数々の作品を執筆し、多くの文学賞を受賞している。

この本を通じて、亡命作家たちにもさまざまなタイプがあることがわかった。母国の政府に対する反抗心から筆をとる作家もいれば、亡命という立場を利用し、形ばかりの批判をして自己利益を追求する作家もいる。

 

本書に作家へのアドバイスがあったので、抜き書きしておく。

 

P. 131 

ぼくの視点から

 年を取るということを、人はいろいろなやり方で体験する。長年の付き合いがある友人との会話が、艶っぽい冒険の話から、怪我や病気の話(椎間板ヘルニアとか、膝の痛み、鼠径ヘルニア、入れ歯、腰や関節痛、肥りすぎや物忘れまで)と、その治療の可能性という話題に変わる。

 ぼくの場合、年齢とともにアドバイスを求められるようになってきた。若い作家たちが、ぼくに成功の秘訣を聞きたがるのだ。そこで、ぼくの50年にわたる経験25のアドバイスにまとめてみた。

 

1.どうしても書かずにいられないときだけ書け。

2.好きなだけ空想しろ、だが下調べはたっぷり時間をかけて、徹底的に行え。空想は、説得力のある方法で軽々と読者を小説の世界に運んでいかなくてはいけない。

3.執筆は孤独を要求し、静かな場所に引きこもることを求める。芸術家はある意味、非社交的でなければならない。そうすることで、のちに人々に芸術作品を贈ることができるのだ。しかし、根柢のところでは、作家は孤独ではない。一日24時間、自分の主人公たちと一緒にいるのだから。

4.才能は役に立つが、長期的に見れば、役に立つのはとりわけ努力であり、ほんの少しの幸運だ。

5.とにかく本を読むこと、そして、いい小説は二度読むことだ。一度目は楽しむために、二度目は技術やトリック、構成を探究するために。どの小説も、少なくとも50ページは読むべきだ。心を鷲づかみにされるかもしれないし、ぜんぜん好きになれない場合もある。世界にはほんとうにたくさんのすばらしい作品があり、きみを待っている。

6.自分が創作した人物に惚れるな。そんなことをすると人物が台無しになり、噓っぽく、生命がなくなってしまう。登場人物からは、外科医や刑事のように距離をとれ。醜い人物、特徴のない人物も憎むべきではない。そんなことをしたらきみは滑稽になる。距離を保て。

7.ある場面や会話で思わず笑ったり泣いたりしてしまったら、それはいい兆候だ。でも、そのあとは小休止して、自分の魂に必要な静寂と対象への距離を取り戻すために、いったんそこから出よう。

8.テクストのどこかがおかしいと思ったら、たとえ小さなことでも自分に対して容赦するな。それは陰険な罠なのだから。小説をもう一度書き直せ。ぼくは小説を三度書き直したこともあった。『愛の裏側は闇』は十回書き直した。

9.編集者の言うことに耳を傾けろ、でも盲従はするな。これはきみの小説であって、彼らの小説ではない。でも、有名になればなるほど、批判を耳にするようになるだろう。成功は甘いが、あまりにも守りに入ると、脂ぎって病気になる。人の言うことによく耳を傾ければ傾けるほど、よく語ることができるものだ。

10.本が印刷所から出てくるまでは、自分の小説について話すな。そうでないと不幸が訪れる。なぜなら、会話の相手が内容に賛成したり、逆に批判的なコメントを述べたりすると、それがきみに影響を与え、小説をダメにするからだ。

11.書いているときにはすべてを忘れろ。祖父母、両親、妻や夫、読者、批評家、国、大衆。きみの登場人物がいる国で生き、誰にも邪魔をさせるな。

12.内容とスタイルを分離するのは、文学研究者が発明した方法だ。それは彼らの仕事と年金の役に立つ。しかし、一つの身体の中身と皮膚が分離できないのは、文学も同じだ。全体で一つの言語芸術を形成しているのだから。非常に美しい肌をしていても、内部が重病ではどうにもならない。内臓組織がベストの状態でも、皮膚が病気であれば美しくなれない。どちらか一方の病気は、もう一方の病気につながるのだ。

13.作家は一つのスタイルとジャンルに特化すべきだ、というようなイメージの誘惑に引っかかるな。どのテーマも、独自のジャンルとスタイルへと導いてくれる。それによって作品には、唯一無二の芸術作品となるチャンスが生まれる。それ以外はすべて精神的な怠慢だ。

14.当然のことながら、どの作品にも作者の魂や経歴の一部が含まれている。作品は彼の人生の現実や場所、時代を映す鏡だ。しかし一人の作家の体験だけでは、まだ芸術にはならない。芸術は、人が自分の思考、体験、探究、観察などを粉砕し、そこから新しい創作をする際に生まれるのだ。ちょうど蛹(さなぎ)が、見事な蝶になるために自己を完全に分解するように。

15.一つの小説の中にどれほどの労力が注がれているか、見せてはいけない。その労力はほほえみや涙の陰に隠しておけ。厳しいトレーニングを積んでいることをほほえみの陰に隠している、サーカスの綱渡り芸人をお手本にしろ。サーカスの比喩が出たついでに言うと、多くの作家たちは、教師や心理学者や哲学者や道化師の役をやりたがる。そういう人には、その役をやらせておけ。そしてきみ自身は、魔術師であれ。

16.きみの文化的、政治的、宗教的、もしくは社会的な活動は、もしきみが人を退屈させてしまうならタマネギの皮ほどの値打ちもない。もし作家が熱心に政治活動をしているのなら、それだけ洗練された魅力的な書き方をしなければならない。そうなって初めて、小説は読者を変える。そのときには、著者はとっくに変わっているのだ。

17.挑戦を受けとめろ。いわゆる「流行(トレンド)」は避けて、騒ぎの周縁にある唯一無二の物語に到達する道を求めよ。自分独自の道を行こうとするなら、永遠ではないにせよ長いあいだ一人でいることを受け入れなくてはならない。成功していようがいまいが、そんなことは関係ない。作家は孤独な職業だ。浅薄なトークショーやあらゆるシンポジウムを渡り歩くような作家は、いまだにまともな作品が書けていないのだ。

18.きみが自分のテクストで天国に突進するだけなく、新聞社の編集部も満足させようと思っているなら、きみは職業選択を誤っている。

19.あるテーマについての何の意見も述べられないくせに、曖昧な言葉や本の分厚さによってそれをごまかせると考えるのは、愚かな人間だけだ。

20.執筆の際に、自分の教師や父親や文芸批評の親玉(枢機卿や村の説教師)の方を横目でうかがうな。自分のすべての感覚を物語に集中させろ。

21.自分が作家としてあまりにも取るに足らない存在だと感じてしまい、それを補うために小説の中に何段落か(もしくは何ページか何章か)にわたって、地球はどのように自転しているか、ソクラテスは男の友情についてなんと言ったかなどを書き込もうとするなら、手を止めて、自分はほんとうに書き続けるべきなのか、自問した方がいい。

22.洗練された退屈さを賢さだと勘違いするのは、ドイツの昔ながらの病気だ。そして、「軽い」という言葉を「浅薄」という言葉の同義語と見なすのは、言葉の間違いというだけではすまされない。

23.いい本を一冊書いたとたんに、自分のクオリティーの基準を裏切って、読者をがっかりさせるようなことにならないように、気をつけろ。輝きを放つデビュー作のあとで、あくびが出るような空虚な作品しか書かなくなるということが、あまりのも多いのだ。

24.タフであれ、そして自分に合った出版社を探し続けろ。小さいか大きいかは関係ない。自分で出版社を作ろうとか、出版費用の一部を負担しようなんて考えてはいけない。それは臆病な自己欺瞞だ。父からのアドバイスをきみにも伝えよう。それが役に立ったことがあるからだ。「一握りの泥を壁に向かって投げろ」。その泥は壁に貼りつくか、もしくは下に落ちる。いずれにしてもその泥は、痕跡を残すのだ。

25.成功がデビュー作とともに一気にやってこなくても、忍耐を失ってはいけない。ぼくは最初の成功が訪れるまでに、成功とは無縁の本を七冊書いた。成功することはあるが、それが最終目標であってはいけない。さらに、成功したかしないかは、本のクオリティーとは関係ない。天才的な成功作がある一方で、たくさんの愚鈍なベストセラーもある。他方では、少数の読者しかおらず、自らをエリート本と見なす本のなかにも、たくさんの賢明な本もあれば、無駄な本もあるのだ。