最近、「Tetragrammaton with Rick Rubin」というポッドキャストで、作家のマルコム・グラッドウェルと音楽プロデューサーのリック・ルービンがじっくりと語り合うエピソードを聴きました。

グラッドウェルは著名なジャーナリスト・作家。
いわずと知れた『ティッピング・ポイント』の著者。世界の様々な難しい事象を分かりやすく、かつ楽しく読めるように解説するベストセラー著作で知られている名文家です。

ルービンは音楽プロデューサー、レコードレーベル経営者。
ルービンのことは知らずとも彼がプロデュースしたアーティストはきっと聞いたことがあると思います。たとえば、ビースティ・ボーイズ や Run-D.M.C. といったヒップホップや、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、スレイヤー、メタリカ、システム・オブ・ア・ダウンといったロックバンドから、ジョニー・キャッシュやアデルなどのシンガーソングライターまで、実に幅広い領域で活躍しています。

2007年には、タイム誌の選ぶ世界で最も影響力のある100人に選ばれた二人の今回の対話から、創作に向き合う深い姿勢と、作品の作り方そのものへの洞察がにじみ出ていて、何度も一時停止しながら、ノートを取りました。
まず印象的だったのは、マルコム・グラッドウェルの「過去の自分の作品を読み返さない」という姿勢。「Tipping Point」という代表作さえ、「自分が書いたとは思えないほど他人のように感じた」と語っていて、むしろ過去を振り返ることは創造性を停滞させるとまで断言していました。
私たちはつい、自分の過去の実績や書いたものにとらわれてしまいがちです。特にその実績が成功作であればあるほど。
でもグラッドウェルは「それを捨てて前進することが創造の本質」だといいます。
情報を隠す勇気
また、彼は「良いストーリーは順序が歪められ、情報があえて伏せられているものだ」とも語っていました。
これはまさに、スパイ小説やミステリー小説の構造です。実際に彼はこのジャンルの小説を今でもたくさん読むそうです。
「全てを最初に話してしまう子どものような語り方では、読者を惹きつけることはできない」と、彼は言います。
何をいつ伝えるか、どこに感情のカーブを置くか。
それは、芸人や音楽プロデューサーとも共通する、構成力の美学といってもよいのかもしれません。
“場所”が人を変える
この対話の中で繰り返し登場するもう一つの重要なテーマが「場所」です。
たとえば、医師がバッファローとボルダーではまったく異なる診療を行うという研究や、MoMA(ニューヨーク近代美術館)の空調エンジニアにインタビューするエピソードからは、「空気感」や「目に見えない背景(overstory)」が人の行動や判断に影響を与えることが語られていました。
物理的に自分をどこに置くか、がとても重要だというんですね。
たしかに、創作においても、場所の空気を敏感に感じ取り、自分の文体や主張にどんな“風”が吹いているのかを知ることはとても大事なのではないかと思います。
“空の椅子”の存在
ルービンとの会話の中で、グラッドウェルは「空の椅子(The Empty Chair)」という言葉を使っていました。
これは、「作品には見えない第三者が常にいる」という考え方です。
たとえば、ポール・サイモンがいつもギターを抱えて話すように、創作者にはそれぞれ「安心して話せる“媒介”」がある。
自分の父、編集者、亡き親友など……その“見えない誰か”に向かって語っているからこそ、作品に深さが宿るのだと。
これまで様々な作家のインタビュー記事などを読んできましたが、これは共通していわれることです。
作家は文章を書くとき、読者に向かってというよりも、“もう一人の自分”に語りかけているのだと。
何でも本気で向き合うことの尊さ
一見、些細に思えること──たとえば、キッチンの便利グッズを売る男「ロン・ポペイル(Ron Popeil)」の話にも、グラッドウェルは真剣に向き合いました。
ロン・ポペイルは、アメリカで「テレビ通販の神様」と称された実演販売士・発明家です。
回転式オーブン、野菜スライサー、スプレー式人工毛など、いわゆる“便利グッズ”を次々と世に出し、それを実演とストーリーで魅力的に売り込むスタイルを確立しました。
「Set it and forget it!(セットして、あとはおまかせ!)」という名セリフでも知られています。
彼の家系は代々ユダヤ系の行商人(ペドラー)で、ロンも「人々のキッチンでの困りごとをどう解決するか」、そして「どう伝えれば買ってもらえるか」に一生を捧げた人物でした。
グラッドウェルはそんな彼に数日間密着し、「これはただの“通販の人”ではない。商品を通して“生活の物語”を語ろうとした人物だ」と讃えています。
そして、ここでグラッドウェルが語ったこんな言葉が深く心に残りました。
「自分の創作のなかに“報酬”があるかどうか。それがなければ、読者も戻ってこない。」
この“報酬”とは、単なる「面白かったね」という満足ではありません。
むしろ読後(あるいは聴き終えたあと)にふと訪れる、「ああ、そういうことだったのか」と思える発見や、静かな感情の残響です。
音楽家のジャック・ホワイトやスティングにインタビューした際、彼らが“真剣に準備して”語ってくれた物語や演奏にも、同じような「報酬」があったとグラッドウェルは言います。
「それがあるから、私たちは作品にまた戻ってくる。
そして、何度も読む。何度も聴く。そこに“報酬”があると信じているから。」
これは、創作に関わるすべての人にとっての本質的な問いではないでしょうか。
「自分の中に、それを仕込めているか?」と。
結びに──語られなかったものの力
グラッドウェルの言葉を借りれば、読者が何度も作品に戻ってくる理由は、そこに“報酬”があると信じているからです。
では、その報酬とは何か。
それは多くの場合、“語られなかったもの”の中に宿っているのだと思います。
ー 語られなかったからこそ、読者自身が探しにいける。
ー 伏せられたからこそ、自分の気づきとして心に残る。
マルコム・グラッドウェルとリック・ルービンの対話を通して、私は改めて「創作とは、語ること以上に、“何を語らないか”を選ぶ行為なのだ」と感じました。
すぐに答えを出さなくていい。
全てを説明しきらなくていい。
けれど、その中に、読者が後から見つける“報酬”をそっと置いておく。
それが、何度も読み返され、静かに響き続ける作品の条件なのかもしれません。
歌詞や曲調を知っていても、私たちが今でもポール・サイモンの歌を聴くのももしかしたら、このせいかもしれません。
情報にあふれ、即時性が求められるこの時代にあって、あえて「隠す」「遅らせる」「語りすぎない」という態度は、とても強く、ときにとても優しいものだと思います。
語られなかったことによって、語られた以上の深みを持つ ――
これはつい先日書いたカズオ・イシグロのスタンスとも通じます。
物語を書く人、言葉で何かを伝えようとするすべての人にとって、この対話は静かな教科書となるはずです。
私自身もこれから書く文章のなかに、小さくてもいいから、この“報酬”を忍ばせていきたいと思います。■
P. S. もっと詳しく二人の対話を聞きこみたい方はぜひこちらから 👇