新作『The Emperor of Gladness』は、彼自身が体験した三つの〈家族〉と、禅仏教の「八つの風」、そして友情が交錯する壮大な叙事詩となっているとのこと。
さて、さっそく英・Guardian 紙がVuongにインタビューをしていました。
ポイントを整理して、本作の内容をチェックしていきたいと思います。
1. ベトナム戦争を抜けて──幼き難民としての出発
Vuongは2歳のとき、家族とともにベトナムを脱出。約8か月をフィリピンの難民キャンプで過ごした後、アメリカへ渡ります。
そこでは言葉も通じず、未来への不安だけが日々を覆っていました。
「安全」という概念を手に入れてなお、自分はどこから来たのか、何者なのか──その問いが彼の創作の根幹を揺さぶり続けます。
デビュー作『地上で僕らはつかの間きらめく』にも、このあたりの心理的ジャーニーとでもいうべき彼の内面の葛藤が洗練された文体で綴られています。
2. 三つの〈家族〉が織りなす物語
Vuongが語る「家族」は三種類。
-
核家族:母親と二人三脚で生き抜いた幼少期。ネイルサロンで働く母の背中を見ながら、言葉を知らないまま詩を書き始めた日々。
-
選ばれた家族:LGBTQ+コミュニティや、社会から排除された仲間たち。同じ痛みを抱く者同士が築くもうひとつの家族。
-
状況的家族:Fast food店の同僚たち。凍てつく冷凍庫の中で交わされる「妻には言えない告白」は、彼にとって運命の一幕でした。
3. ファーストフード店で育まれた“他者の告白”
コネチカット州、East Hartfordのファストフード店。
掃除用のゴーグルに曇る霜の向こうで、同僚たちの人生が断片的にこぼれ落ちます。
「実は妻には言えないんだが…」「俺、三人の息子はいるけど、本当に愛せるのは一人だけなんだ」
19歳の青年の胸を射抜いたその告白こそが、言葉を求めるVuongの魂に火を灯したそうです。
4. デビュー作の栄光を超えて
『On Earth We’re Briefly Gorgeous』は詩的美しさで世界を震わせましたが、Vuong本人はこう言います。
デビュー作は作家として“語る”ための作品だった。
次作は“歩む”ための挑戦だ。
“If On Earth is the artist’s statement… then Emperor is me trying to walk the walk.”
語るだけでなく、自らの足で物語を生き切る覚悟を、新作『The Emperor of Gladness』に込めたといいます。
5. 八つの風を受け流す──禅仏教とBjӧrkの助言
名声が世界中で吹き荒れる中、彼を支える二つの“風”があるとインタビューで応えています。
-
禅仏教の「八つの風」
功名・没落・賛美・非難・苦痛・快楽…などすべてを、「根」を張ったまま受け流す実践が、揺るぎない自己を保つ、と語ります。
「もし自分が何者であるかという確固たる感覚、つまり“根”を持っていなければ、人は風に流され、吹き飛ばされてしまう。でも、これは僕が作家になるずっと前から実践してきた修行なんだ。」
ここで言う「風(winds)」とは、仏教における「八風(the eight worldly winds)」のことを指しており、Vuong自身も仏教的実践の中でこの概念を取り入れていると言っています。
つまり、名声に振り回されずに済んでいる理由の一つが、この「八つの風を受け流す」精神的な修行にあるというわけですね。深いです。 -
ミュージシャンBjӧrkからの助言
Vuongの詩集『Night Sky with Exit Wounds』に感銘を受けたビョーク(Björk)は、彼の代理人に連絡を取り面会、その後二人は友情を築いたそうです。
Guardian記事によれば、2019年末に二人が初めて会った際、Vuong の母親はその1か月後に亡くなり、ビョークも6か月前に母親を亡くしていたため、共通の喪失感を共有していたと述べられています。
Vuongの詩集を愛読したアーティストBjӧrkは、彼に「大きな舞台でも小さな範囲を大切にしなさい」と語り、巨大な注目に晒されても平常心を失わない秘訣を授けたのだそう。いい話ですね。
5. コネチカット州への誤解──“セーターを首にかけた金持ちの州”ではない
彼が暮らした「コネチカット州」と聞くと、アメリカでは”セーターを首にかけた裕福層”のイメージを抱く人も多いようです。アメリカのファッションブランドでよくみる、若くてはつらつとしたモデルたち、みたいなイメージでしょうか。
しかしVuongが見たのは別の姿でした。
かつて自分が育ったEast Hartfordは、移民や労働者が暮らす、まさにポスト産業社会の縮図。
失業や低賃金にあえぐ地域が、今やSNS上の“貧困観光”の対象となっている現実を、彼は作品を通じて鋭く描き出しています。
6. 忘却を鋭く抉る政治的視座
「Make America Great Again」のノスタルジーは、建国の暗部──ジェノサイドや奴隷制度の記憶を覆い隠します。
Vuongはあえて2009年のオバマ時代を舞台に、希望と失望が交錯するアメリカの現実を描き出します。
社会の隅で生きる者たちの声を、見世物化された〈貧困ポルノ〉ではなく、当事者の生の証言として紡ぎたかったといいます。
7. 文学を越えた連帯──“書く場”の解放
創作外の活動として、彼は自宅をクィア/トランスの若手作家に開放し、寄付や図書館支援を通じて「誰も排除されない読書体験」を守る活動を続けています。
作家である前に人と人をつなぐ存在でありたい、そんな思いが伝わってきます。
そしてその姿勢が、作品の奥底に流れる優しい共感を生み出しているようです。
声を聴くという行為
デビュー作を読んだ印象でもありますが、Ocean Vuongの物語は、難民、労働者、詩人──あらゆる境遇を超えて紡がれる“命の証言”といってもいいかもしれません。
作品の奥底に移民や弱者、社会からはみ出した人たちへの優しいまなざしが感じられます。
きっと新作『The Emperor of Gladness』もそんな優しい共感に包まれた本になっているのでは、と期待しています。■
参考)オリジナル記事:
https://www.theguardian.com/books/2025/may/10/buddhism-and-bjork-help-me-handle-fame-novelist-ocean-vuong