先日、OpenAI の CEOサム・アルトマンは、新しいChatGPTモデルが「創作に適している」と発表し、その証拠としてAIが執筆した短編小説を公開した。
we trained a new model that is good at creative writing (not sure yet how/when it will get released). this is the first time i have been really struck by something written by AI; it got the vibe of metafiction so right.
PROMPT:
Please write a metafictional literary short story…
— Sam Altman (@sama) March 11, 2025
詳しくは上のツイート内容を読んでみてほしい。
メタフィクション的な喪失の物語ということで、実際に一部の作家からは「美しく感動的」と評価されている様子。
でもすべての作家がこの発展に賛辞を贈っているわけではない。
下記 Guardian紙が報じている。
‘A computer’s joke, on us’: writers respond to the short story written by AI
さてまずは記事の内容を整理しておこう。
そのあと考察を加えてみたい。
1. ニック・ハーカウェイの意見
ニック・ハーカウェイはあの故・ジョン・ル・カレの息子で、自身もベストセラー作家。
- 「優雅な空虚(elegant emptiness)」 と表現し、AIの創作には本質的な魂がないと批判。
- AIを「別の知性(alternative intelligence)」として扱うことは、鳥が窓の反射を見て恋に落ちるようなものだと比喩。
- AIの開発はソフトウェア企業による営利目的の活動であり、政府の政策が重要。
- 著作権者が自らの作品の利用を選択できる「オプトイン方式」の市場形成を提案。
- 一方的にAI学習を許す「オプトアウト方式」では、著作権者が不利になると懸念。
2. トレイシー・シュヴァリエの意見
トレイシー・シュヴァリエは、『真珠の耳飾りの少女』で知られるアメリカの作家。
- AIに「メタフィクション」のプロンプトを与えたこと自体が「内向的で自己言及的すぎる」と批判。
- AIの創作は既存の作家から学習しているが、本当に「人間らしい魔法」を生み出せるかが重要。
- 現状のAI作品にはその魔法が感じられないが、AIは急速に進化しており、もし本物の創造性を獲得したら自分の職が脅かされることを懸念。
3. カミラ・シャムシーの意見
カミラ・シャムシーはパキスタン・カラチ生まれの作家。2007年、英国に移住。作品はブッカー賞の最終候補にも選ばれている。
- AIが書いた小説は、「文学修士課程(MA)の学生が提出しても違和感がないレベル」 と評価。
- 一方で、文学AIが著作権を侵害しながら学習する問題に言及。特に少数派の作家が不利になる可能性を指摘。
- AIの小説が「模倣的で、21世紀の英米文学の枠内にとどまる」点は批判しつつも、物語として楽しめる部分があることを認める。
- AIが生み出した一節に「ブレードランナーの『雨の中の涙(Tears in Rain)』のスピーチに似た感傷」があるとし、「かなり良い」と評価。
4. デイヴィッド・バディールの意見
デイヴィッド・バディールは、イギリスの著名なコメディアン、作家、そしてテレビ・ラジオの司会者として広く知られている。
- AIの文章は「意味のない響きを持つが、詩的に感じられる」と分析。ボブ・ディランの歌詞と比較している。”democracy of ghosts” という作中の表現がボブ・ディランの “the ghost of electricity howls in the bones of her face”に似ていると。
- AIは「人間的なストーリーを書くのではなく、感情(喪失感)を利用して自らの人間性への疑問を提示する」と考察。
- 物語の繰り返し構造が「AIの存在そのものを模倣している」とし、これは一種のジョークであり、「ボルヘスの作品だと言われたら信じるかもしれない」と評価。
まとめると・・・
- AIの小説は技術的に高度で、文学として成立しているが、根本的な「人間的な創造性」や「魂」が欠如しているという批判が多い。
- AIの著作権問題や、少数派作家への影響を懸念する声もある。
- しかし、「AIが生み出した物語を純粋に楽しめるか?」 という問いに対しては、少なくとも一部の作家が「YES」と答えている。
さて、この議論から浮かび上がる重要なポイントはなんだろう。
大きく分けて以下の4つが考えられる。
1. AIの「創造性」は本物なのだろうか?
作家たちの意見から、AIが生み出す文章は技術的に洗練されているものの、本当に「創造的」と言えるのか? という疑問が強調されている。
- AIの作品は「人間の書いたものを模倣しているに過ぎない」という批判(ハーカウェイ、シュヴァリエ)。
- 逆に、「模倣であっても、読む側が楽しめれば創作として成立するのでは?」という視点(シャムシー、バディール)。
これは、創造性とは何か? という根本的な問いに繋がっていく。
もし創造性が「新しいものを生み出す能力」だとすれば、AIは単なる模倣者に過ぎない。
でも、創造性を「感動を生み出す能力」と定義するなら、AIも創造的と言える可能性がある。
そもそもよく取りざたされるこの「模倣」についていえば、我々人間の作家も過去の作家の作品を読み込むことで書き方を学ぶわけで、それがヒトか機械かの違いだけ、といえなくもない。
創造性の定義というのは、つまりは主眼を書き手に置くのか、あるいは読み手置くのか、によって創造性の定義が変わってくるということかもしれない。
2. AIの創作が著作権と倫理に与える影響
これは私にはあまりない視点だったのだが、AIは膨大な人間の作品を学習して文章を生成するが、この学習プロセスが著作権を侵害しているのではないか? という問題が指摘されていた。
- 「オプトイン方式」なら、作家が自分の作品の使用を選択できる(ハーカウェイ)。
- 「オプトアウト方式」では、AI企業に有利な環境が作られ、作家が不利益を被る可能性が高い(ハーカウェイ、シャムシー)。
- AIの学習は「文化的盗用」に近いが、人間も過去の作品を参考にしているため、どこまで許容すべきかが曖昧(シャムシー)。
これは、今後のAI規制や政策において極めて重要なポイントであり、特に政府や法律の対応が鍵となってくる気がする。
3. AIが文学市場と作家の職業に与える影響
これはここ何回かカズオ・イシグロのケースなどからも紹介してきたとおり。
AIが「プロの作家レベル」の作品を生み出せるなら、人間の作家の仕事はどうなるのだろう? という危機感がより現実味を帯びてきた。
そこを自分なりにしっかりと軸を持って定義しておかないと、本当にAIに淘汰されていく気がしている。
- AIが「人間と区別がつかない」作品を作れるようになると、作家の価値はどうなるのか?(シュヴァリエ、シャムシー)。
- AIが「文学修士課程の学生レベル」であるなら、成長すればプロの作家も不要になるのでは?(シャムシー)。
- AIは「人間にしか生み出せない魔法」を持っていないが、もしそれを獲得したら職業としての作家は成立しないかもしれない(シュヴァリエ)。
この議論は、AIが単なる創作の補助ツールで終わるのか、それとも人間の作家を置き換えるのかという大きなテーマに繋がっていく。
一見恐ろしいことでもあるが、同時に新たな可能性が開けている、ということなのかもしれない。
4. AIと人間の感情・経験の違い
AIが書く文章には「人間の感情」や「経験」が含まれていないという点が重要な議論になる。
- AIの物語は「人間的に感動的」だが、本当に感情を持って書かれたわけではない(バディール)。
- AIは「喪失」という感情をテーマにしているが、それを経験したことはないため、本当に「感じている」のか疑問(バディール)。
- 「それでも読者が感動すれば、それは創作として成立するのか?」という逆説的な視点(シャムシー)。
これは、AI文学が「読者にどう受け取られるか」が重要であることを示している。なぜなら作家は読まれるために書くからだ。
もしAI作品が「人間の小説」と同じように読者を感動させるなら、「作者の人間性」はどれほど重要なのか? という問いにも繋がる。
読まれるために書く vs 書くために書く、とでもいうような、何のために書くのかという深いテーマについても考えないといけなくなる。
AI文学と人間の創作の共存
これらの議論を総合すると、AI文学が今後どう発展するかは、技術だけでなく社会の選択次第 ともいえる。
- AIの創作を「人間の創作とは異なる別のもの」として受け入れるのか?
- それとも「人間の創造性の領域を侵害するもの」として制限すべきなのか?
- AIが普及した世界で、作家という職業はどう変化するのか?
これらの問いに対する答えは今後の文学界、そして社会全体に大きな影響を与えていくはずだ。
今後AIと文学の関係がどう発展していくのかを考える上で重要なポイントとなっていくのは間違いない。■
