マッキンゼーの7Sについては先日も書いた通り。
組織分析の基本中の基本のフレームワーク。
7 S について深く考える中で、やはり大元を辿るべきと気づき、再度、名著『エクセレントカンパニー』をひも解いている。
やはり、どんな解説書よりも分かりやすく、おもしろい。
さっそく抜き書きする。
P. 42
成功の尺度
はじめの二年間、私たちは主としてビジネス上の問題解決のための伝統的な道具に焦点をあて、―当時それは戦略および機構面からのアプローチに集中していた ― 拡大する方途を、私たちなりに診断と解決の方法論を模索していた。
しかし実際、私たちの研究グループ外の友人の多くは、組織づくりにおける構造の問題を新しく見直すだけで事足りるのではないかと感じていた。分権化が五〇年代、六〇年代の波であり、いわゆる「マトリックス組織が七〇年代の流行 ― ただし明らかに効果のあがらない ― だったとすれば、八〇年代の機構とはいったいどんなスタイルか?」と彼らは問うのである。だが私たちは、別の角度から考えることを選んだ。
機構の問題が重要であることは言うまでもない。が、それに劣らずわれわれが認識しなくてはならないのは、機構は経営効率向上という経営全般にわたる問題のうちの、ごくわずかな部分にすぎないという事実だ。たとえば「組織づくり」という言葉をよく用いるが、もっと大切な質問は「いったいなんのための(組織づくりか)?」という問である。
私たちが主として調査の対象としていた大企業の場合には、その問に対する答はほぼ一様に、なにか従来になかった新しい企業の能力を大がかりに作り上げるために ― つまり、より革新的になる、顧客志向を根本的に強める、労使関係を抜本的に改善する、あるいは、いまその企業が持ち合わせていない技術を身につける、ために ― というものだった。
格好の例がマクドナルドである。この会社はアメリカではあのように成功したけれど、国外でもうまくやっていくということは、たんに国際課を新しく設置すればいいというような単純な組織上の問題ではないのだ。マクドナルドの場合、国際化ということはとりもなおさず、たとえば、ドイツの消費者にハンバーガーとはいかなるものかを(マクドナルド流のやり方で、しかもドイツ人に受け入れられるような方法で)教えなければいけない、という挑戦に答えることなのである。
政府の注文ばかりに頼る状態から少しでも脱却しようと考えたボーイングは、商業市場で製品を売る技術を確立しなければならなかった。ボーイングの競争相手の誰もが成功していない事実を見ても、これがいかに難事業であるかわかろうというものだ。こうした技術の確立、つまり、新しい筋肉を鍛え、古い癖をかなぐり捨て、いままでの習慣になかった新しいものに習熟していことはむずかしい。こうした新しい企業文化の形成を試みようとしたときに、これが機構の範囲内で解決できないことは明らかだ。
そこで、「機構についての新しい考え方」以上のなにかが必要となってくる。私たちが直面していたことに対する良い手がかりは、コッパーズ社の会長で総帥でもあるフレッチャー・バイロムの言葉の中に見出された。
「ある地位におかれた者が誰でも前任者と全く同じように働くだろう、というようなことを前提とした柔軟性のない組織図は、愚の骨頂だと思う。そのようにいくわけがないのだ。だから、その椅子にすわる新しい人間にあわせて、組織を順応させ、移し変えていく必要がある」
ひとに対する配慮なくして良い機構などというものは考えられないし、逆もまた真なのである。私たちはさらに研究をつづけた。その結果わかったこと、それは、組織づくりを知的に考えようとすれば、互いに切り離せない関係にある少なくとも七つの変数を同時に包含して扱っていかざるをえないことである。
その七項目とは、機構(structure)、戦略(strategy)、ひと(people)、経営の型(management style)、体系と手順(systems & procedures)、指標となる理念(guiding principles)、および企業文化ともいうべき共通の価値観(shared values)、最後に現存する(または望ましい)企業の強さ、あるいは技術(present and hoped for corporate strengths of skills)の七つである。
このアイデアをより正確に規定し磨き上げたものがのちに「マッキンゼーの七つのS」のフレームワークとなったものである。若干の無理はあったが、これを切り貼りして形を整えることによって、七つの項目のすべてが英語のSの頭文字で始まるようにし、また七つが相互依存しているという点を強調して、これをデザイン化した。
ハーバード・ビジネス・スクールのアンソニー・エイソスが、こうしたやり方をすべきだと私たちに勧めてくれた。頭文字のゴロ合わせにより記憶を鮮烈にしなければ、私たちの言わんとしていることはむずかしすぎ、すぐ忘れられてしまう、というのが彼の強い意見だった。
最初は、頭文字のゴロ合わせなど趣味が悪い、と私たち自身も思っていたのだが、マッキンゼー社のネットワークを通じて世界中でこの概念を使った経験からしても、やはり組織とは、ハードウェアー戦略(strategy)と機構(structure) ― ばかりではなく、ソフトウェアー経営スタイル(style)、制度(system)、ひと(staff)、共通の価値観(shared value) ― も同様に大切であるという考え方をはっきりと打ち出していくうえで、こうしたフレームワークが大きな助けになったことは疑う余地がない。
この七つの要素を私たちの同僚は、ふざけ半分に「七福神」と呼ぶようになったが、どうやら、組織づくりについて考える際役に立つものとして、今日では世界中で広くかつ好意的に受け入れられたようである。*
*複数の独立変数を出発点として考えるというのは、私たちの発明とはいいがたい。たとえば、ハロルド・リーヴィットによる「リーヴィットのダイヤモンド」(課題、機構、ひと、情報、管理、環境)は、いままで何十年にもわたって経営者たちに影響を与えてきた。私たちは、まことにタイミングに恵まれていた。一見対処不能の問題に頭を悩ませ、戦略や機構の変更というだけのやり方に不満を感じつづけてきた経営者たちが、一九八〇年には、ようやく新しいものの見方を受け入れられる状態になっていたからだ。また、新しい考え方のモデルが、経営問題を現実的に解決することで、長年にわたって世界中に定評のあるマッキンゼーの名で裏打ちされたこともたいへんプラスになった。
概念形成の段階で私たちの共同作業者であったリチャード・パスカルとアンソニー・エイソスは、これをその著『ジャパニーズ・マネジメント』の中で、考え方の支柱としている。ノース・カロライナ大学で教鞭をとっており、「意思決定」を実際的な科学として研究していることで知られるマッキンゼー社友ハーヴェイ・ワグナーも、経営ポリシーのコースを教える際にこのモデルを使っている。
「君たちのおかげで、ぼくの授業から神秘というものがなくなってしまったよ。生徒たちがこの七福神を使うと、問題点が系統的にどんどん表面化してくるのだから」と、最近彼が言っていた。
あとから思えば、私たちの「七つのSの概念」のほんとうの意義は、世界中のプロの経営者に「ソフトこそむずかしい(ハード)」ということを思い起こさせた点にあるのだと思う。このおかげで私たちは、
「いままで非合理で、直感的かつ反・公式的で御しがたいと思われて組織から除外されていたものが、なんとかやりくり算段をして仲間入りを果たせるようになったのだ。会社のあちこちで物事がうまく機能するか否かという面で、明らかにこうしたソフトSに対する考察は、公式的な機構や戦略に劣らず重要なのだ。それを無視するのは愚かだ。いや、それだけではない。どのように考えるべきかを提示しよう。それをなしとげるための手段がここにいくつかある。新しいやり方を開発する手法がほんとうにあるのだ」
とまで言えるようになったのである。
———————
当初はゴロ合わせなんて趣味が悪いと、戸惑いがあったことが書いてあった。
ちょっと、すっきりした。
前回は口悪く書いてしまって、反省します。
たしかに、いいアイデアは広まらないと意味がない。
このフレームワークで組織分析が楽になればそれに越したことはないんだし。
ゴロ合わせは、そのための工夫だったのだ。
もし当初のまま、七項目を思いついたときの頭文字で行ってれば、
機構(structure)、戦略(strategy)、ひと(people)、経営の型(management style)、体系と手順(systems & procedures)、指標となる理念(guiding principles)、および企業文化ともいうべき共通の価値観(shared values)、最後に現存する(または望ましい)企業の強さ、あるいは技術(present and hoped for corporate strengths of skills)の七つ、ということだから、
SSPMSGSP とでもなるだろうか。
ススプムスグスプ・・・。
うーん、とても世界に広まる言葉でなかっただろう.。。(笑)
組織のソフトを変えることこそ、ハード(難しい)だ、というところがいい。
まさにそうだと思う。
長く企業で働いてきて、この点は痛感する。
そしてこの七つのSの概念が、当時、「七福神」と呼ばれていたというのもなんかいい。
福を運ぶ七つの神様たち。
「七福神」も、「the Seven Deities of Good Fortune」 も S から始まるわけだし、ますますありがたいフレームワークという
わけだ。