書くこと、執筆方法など、文章に関することはいつも読んでいて、今回も良い学びを得たのでこちらに抜き書きする。
今日は大好きな雑誌、BRUTUS から。
アート、ファッション、文芸、文化、とこの雑誌ほどバランスの良い雑誌もあまりないといつも思う。
さて、精神科医の阿部大樹さんと歌人の枡野浩一さんによる異色文章対談から。
BRUTUS HP から:
https://brutus.jp/koichimasuno_daijuabe/?heading=1
起承転結は嘘くさい?
阿部 何年か前、枡野さんの『本と雑誌ラジオ』を聴いていたとき、どうにも落としどころのない話をしばらく続けた後に「結論の出ない話ですね、これは」とおっしゃったことに新鮮な驚きがありました。白でも黒でもないことを、無理に白黒つけることをやってしまいがちだし、あるいは言及しないという方法もある中で、はっきり「白も黒もつかないですね」と言ってしまっていいんだなって。青い鳥を家で見つけたような発見でした。昨年、これまでの自分の文章をまとめて『Forget it Not』という本を出したんですけど、後半の文章はどれもあのラジオを聴いた後のもので、読み返すと影響されているのがよくわかります。文章で食べている人ほどまとまらない話を避ける傾向がありませんか。枡野さんの書き物には、「っぽい結論」に流れないことの意思を感じます。
枡野 なるほど。でも正直言うと、あまり頭が良くないからというのもあって(笑)。内心では、結論を出せるなら出したいと思っているんですけど、わからないことは「わからない」と言うようにして生きてきたから、自ずとそうなっているのかもしれませんね。でも、文章に関してはよく言われます。起承転結とかヤマを嘘だと思っているところがあって、「え、これでおしまい?」というような書き方をしてしまう。自分はそういう文章の方があんしんできる。というか、起承転結がはっきりしたものは嘘くさいと思っちゃうところがあるのかもしれないですね。
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起承転結は嘘くさい・・・。
これにはグッときた。
ぱっと、ヘミングウェイの言葉を思い出した次第。
「真実の文を一つ書くだけだ。自分が知っている中で、最も真実な文を書け」
今、夏目漱石の弟子、内田百閒 の『第一阿房列車』を読んでいるが、起承転結なんてほとんど感じられない。
それでも読ませるというのが第一級の作家、ということになるのかもしれない。
見開き一枚の対談記事だったが、起承転結について考えさせられる刺さる特集だった。
内田百閒についてはこちらで触れています 😊