多様性を考える言論誌 kotoba という雑誌も好きで、一時期定期購読していた。
そして、その kotoba の最新号がなんと、カズオ・イシグロ の特集であった!
おなじ日系ということもあって、なおかつ同じく青春時代をイギリスに過ごした勝手な親近感から、常日頃より敬愛する作家のひとり。
彼についてはよく書いているが、文豪イシグロを形成した映画特集は多くの方に読んでもらえた。
さて今回も小躍りして読み始めると、イシグロの創作術、と、ストライクゾーンど真ん中の素敵なタイトルを発見。
北海学園大学教授・森川慎也さんによる研究であった。
紹介にはこうある。
現在、最先端の文学研究の手法のひとつに、
作者の草稿からその意図を解読するというものがあるらしい。
そして、アメリカのテキサスには、研究者たちの垂涎の的である、
イシグロの草稿が保管されているという。
ノーベル賞作家の草稿をめぐる謎に日本のイシグロ研究をリードする研究者が挑む。
このテキサスの研究所は、ハリー・ランサム・センターといって、私もHPを度々訪れてオンラインで覗くことができる資料をチェックしている。
昔から、手書きの草稿にたまらない魅力を感じる。
手触り感とでもいうべきか、画家でいう絵筆のブラシの跡のようなものを見るのが好きなのだ。
どんな作品も生きている人間によって書かれたことが感じられるのがいい。
そんなことで、ここのセンターのメルマガは以前から登録している。
たとえば、イシグロなら、こんなメモの類もしっかりと残されている。
『わたしたちが孤児だったころ』の第1章のプランだそうだ。
私は文学というのは、作品そのものよりも、その作者がどんな思いや考えでその作品を書いたかに興味があった。
かねがね、いつかこの分野の研究を深めたいと思っていたので、とてもありがたく読ませてもらった。
以下、グッと来たところを抜粋。
P. 40
まずは時間をかけて構想を練る。一八世紀の寓話理論家たちによれば、寓話作家は伝えるべき教訓を先に決めておき、次にその教訓にふさわしい出来事を描いたようだが、まるでこの寓話創作的手法を採用するかのようにイシグロは何より先にテーマを決める。
P. 42
小説のあらゆる要素をコントロールしようとするイシグロの創作スタイルは、彼の時間管理にも及ぶ。イシグロ作成の Archive Notes によれば、フルタイムで捜索に打ち込んでいると、ほとんど何も書かずに時間だけが過ぎることがよくあった。そこで実際の執筆時間を把握するために、工場で使われていたタイムカード方式(clocking in and clocking out)を採用する。一九八七~八八年に使われた構想ノート(Notebook L)には時間管理表が書き込まれている。表の左端の列に曜日、二列目に執筆開始時刻、三列目に中段時刻、四列目に中段時刻から執筆開始時刻を引いた数字すなわち実質的な執筆時間、五列目にその日の執筆時間の合計が記入されている。コーヒータイムや電話に出るときは中段時刻を書き込む。こうして一週間単位で記入していく。日々の仕事の量を時間で可視化するのだ。構想ノートでは弱音を吐かないイシグロでも自らの仕事に手応えを感じない瞬間があったのだろう。
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きっちりと執筆した記録を残して、プロジェクト管理をするのは分かるのだが、その尺度がWord数でも文字数でもなく、時間であったのはとても興味深い。
これは私も最近行き着いた結論のひとつだったので、得心した。
というのも、何枚かけたか、高い質のものを書けたか、などはコントロールできない。
書ける日もあれば書けない日もある。
でもどのくらいの時間を費やしたかは、コントロールできるし、測れる。
だから最近はこんなものを使っている。
これがとてもいい。
もちろんこのやり方を真似すれば、イシグロになれるわけではないけれど、自分は間違ってなかったんだ感、、がなんかうれしかった。(笑)。
なお、名作『日の名残り』の執筆時の体験はこちらの Guardian紙の記事 で読むことができる。
Kazuo Ishiguro: how I wrote The Remains of the Day in four weeks
4週間、日中の起きている時間のほとんどを執筆につぎ込むという、壮絶な書き方をしている・・・。
イシグロ自身は、この書き方を「クラッシュ」と呼んでいるようだ。
この「クラッシュ」についてもkotobaに掲載の同記事でカバーされていた。
とても勉強になる。
イシグロファンなら読むべき、というか手元に置いておきたい、一冊。