Photo from 春陽堂. https://www.shunyodo.co.jp/blog/2019/04/waraikouza_10/

 

 

この獣を最初に目にしたのは日曜日の夜遅い時間のNHK番組だった。

なにやら狐の格好をした人物が壇上で跳んだり跳ねたりしている。

ちょっと怖いけどずっと見てるとコミカル、かわいらしく感じられてくる。

現代劇ならまだしも、音楽や背景を見ると日本古来の芸術であった。

ということで狂言の話。

伝統芸術にもこんなに自由な表現があるのかと、感じ入った次第。

 

 

つい最近も、『徹子の部屋』に、「300年続く華麗なる狂言一家」として野村家がゲストとして登場した。

狂言についてどんどん興味が湧いてきた。

 

手元に『鉢の木・釣狐』という一冊の古い本がある。

狂言や能の古典を子供向けに書き直した本だ。

とても分かりやすい。

 

今回も図書館にお世話になったわけだが、古い本(1971年!)なので一般書架には置いておらず書庫まで取りに行ってもらった。

釣狐も入っていたので、短い話だしさっそく今日も抜き書きをしてみよう。

 

 というかまるまる掲載させていただこう!

(…お許しください 🦊)

 

 

わたしの能・狂言『鉢の木・釣狐』

文・今西祐行 貼り絵・若林利代

 

 

P. 153 『釣 狐』

坊さんに化けた古ぎつねの話 -

「おう、うまくいった、うまくいった。われながら見事に化けることができたわい。」

年とった古ぎつねが、水に自分の姿をうつして、ひとり感心していました。お坊さんのころもをきて、頭にはずきんをかぶり、杖をついている姿は、もうだれが見てもきつねには見えません。

このごろ、村のわか者が、わなをしかけては、なかまのきつねをつぎつぎとってしまうので、古ぎつねは、それをやめさせるために、わか者のおじさんの、伯蔵主という、坊さんに化けたのでした。わか者はたいへんないたずら者でしたが、この伯蔵主というおじさんのいうことだけは、なんでも、はいはいと、よくきくということを知ったからでした。

「ああ、ようやく日も暮れてまいった。では、そろりそろりと、まいろうか。」

と、古ぎつねは、もう一ど水にうつして、たしかめると、村にむかってあるいて行きました。

「まことに、人にはそれぞれ、何か一つぐらいは、とりえというものがござるわい。あのならず者が、犬をかっていないということは、なんともしあわせなとりえじゃわい。」

おじさんに化けたきつねが、そんなことをいいながら歩いていくうちに、もうわか者の家につきました。

「こんばんわ。こんばんわ。」

声をかけると、わか者が出てきました。

「どなたですか。」

「ああ、わしじゃよ。」

「ああ、おじさんですか。ちょっとまってください、すぐにあけますから。」

わか者は、つっかい棒をはずし、戸をあけながら、

「でも、こんな日が暮れてから、とつぜん、どうかなさったのですか。」

「いや、どうもしない。ただちょっと、おまえにいってきかせたいことがあっての。」

「それはそれは。……まあ、おじさん、奥へあがってくださいな。」

「いや、きょうはあがるまい。ここでよい。」

古ぎつねは、あまり家の中にはいりこんではあぶないと思って、そういいました。

「で、おじさん、わたしにいってきかせたいとおっしゃるのは……。」

「聞くところによると、おまえはこのごろ、きつね釣りばかりしておるそうじゃな。」

「いいえ、きつね釣りなど、しませんよ。」

わか者は頭をかきながらいいました。

「いいや、かくしてもだめじゃ。わしの寺へ来る人が、みなそういっておる。『他人にばかりお説教をしないで、おいごさんに、ちとお説教なすったらいかがですか』とな。『きつねというものは、執念ぶかいものですから、そのうちに、きっとばちがあたりますよ』とな。」

「へえ、わしのきつね釣りが、もうそんなに知れわたっているのですか。ずいぶんこっそりやっているのですがね。」

「もう、何びきとったのじゃ。」

「はい、はじめは、人にたのまれて、一、二ひき釣ったのですが、だんだんおもしろくなって、さあ、十四、五ひき釣りましたでしょうか。」

「十四、五ひきも。そんなにきつねを殺しておいて、よくもきつね釣りなどしないなどといえたものだ。いいか、仏さまのいましめのいちばんは、なんといっても殺生じゃ。わしは何も、つくりごとをいっているのではないぞ。ついでに、きつねというものが、どんなにおそろしいものか、語って聞かせよう。」

おじさんに化けた古ぎつねは、そういって、こんな話をするのでした。

「-むかし、宮中に、それはそれはうつくしいおきさきがおられた。玉のようにうつくしかったので、玉藻の前とよばれ、天子さまのおきさきになった。」

ところが、あるとき、天子さまが、何病ともわからない病気になられ、どんなお医者にみてもらっても、なおらない。

そのうちに、安倍の泰成という占いのじょうずな人が、占いをたててみると、なんと、それは玉藻の前のしわざであった。玉藻の前は、きつねだったのだ。

見やぶられた玉藻の前のきつねは、宮中から空をとんで、はるばる下野の国の那須野の原ににげこんだ。

天子さまは、三浦の介、上総の介というふたりのさむらいに、たくさんのけらいをつれて、那須野の原へ行き、きつねがりをするようにお命じになった。

ふたりは那須野の原で百日間もきつねがりをして、やっと玉藻の前に化けていたきつねを射殺した。すると、天子さまの病気も、ぴったりとなおってしまったのだ。

ところが、おそろしいのは、それからのことであった。死んだきつねは、大きな石となった。そして、その石のそばに近づくと、人間はもちろん、鳥でもけものでも、ばたばたとたおれて死んでしまうのだ。おそろしい毒気があるのだ。それで、人びとはこの石のことを殺生石とよぶようになった。今もこの石に近づくと、生きものはみな死んでしまう。きつねのたたりというものは、死んでからでも、これほどおそろしいものなのだ

だから、わしはきつね釣りをやめろというのだよ。わかったか。」

「そんなおそろしい話を、はじめて聞きました。いや、もうきつね釣りなどぜったいいたしません。」

わか者がいいました。

「そうか。わかってくれたか。それならついでにきつねを釣るあの道具もすててくれ。」

このときばかり、古ぎつねのおじさんはいいました。

「はい、おじさんがお帰りになりましたら、あとでちゃんとすてておきます。」

「いや、わしが帰ったあとで、その道具を見ると、また釣りたくなるかもしれない。このわしが見ている目の前ですすてくれ。」

「そんなにまでおっしゃいますなら、いますぐにすてましょう。」

わか者はそういうと、奥の方から、きつね釣りのわなを持ってきました。そして、

「これですよ、おじさん。」

そういって、わなを、古ぎつねのおじさんの目の前につき出して見せました。

「クシクシクシ、おお、なまぐさや。これ、とっととすてなされ。」

「はい、すてますよ。」

わか者はそういうと、家から少しはなれたうら道にすててきました。

「やあやあ、はるばるやってきたかいがあったよ。よくわしのいうことをきいてくれた。」

「さあ、おじさん、これでもうご用はすんだのでしょう。ではちょっと。あがっていってくださいな。」

ところが、古ぎつねのおじさんは、きつねを釣ったばかりの家はけがれているだろうから、またの日に、ゆっくりおじゃましようなどといいます。

「ちと、わしの寺へも出かけておいで、何もごちそうはないが、さんしょうこぶに、お茶でも出すよ。」

「はい、ありがとうございます。」

「では、さようなら。」

古ぎつねのおじさんは家を出ました。

「やれやれ、うれしやうれしや。まんまとだまして、わなまですてさせてやったわい。

わが古塚をしのびしのびに立ちいでて

いのうやれ、もどろうやれ。

わが古塚へ、しゃならしゃならと……。」

歌などうたってきつねはじょうきげんで、うら道から帰っていきました。

すると、そこに、すてたわながありました。

「なんじゃ、すてたともうしたから安心していたら、わしが帰るその道のこんなところにすておったか。ほんとうにしょうのないやつじゃ。」

それでも、古ぎつねは、まだそのわなというものを、よくよく見たことがありませんでしたので、どんなものかと、近づいてみました。

「クシクシクシ。」

なにやらうまそうなにおいがいたします。見ると、よくふとったわかねずみを油であげたものが、ぶらさがっています。

「なるほど、わかいきつねたちは、このねずみのてんぷらにつられてわなにかかるのか。むりもないことじゃ。……うーん、にくいねずみのてんぷらめ。よくもわしのなかまをだましたな。」

古ぎつねはそういうと、杖で、わなにかけてあるえさを、さもにくにくしそうにつっつきました。でも、そんなことをしながらも、そのおいしそうなねずみのてんぷらが、たべたくてしかたがないのです。

「そうだ、もうがまんならぬ。とびかかって、えさだけうまくとって食ってやろう。いいか、いま、この重い坊主のころもをぬいできて、身がるになってもどってくるからな。そこを動くな。クヮイ、クヮイ、クヮイ……。」

古ぎつねは鳴きながら、とぶように帰っていきました。

ところで、一方、古ぎつねにだまされたわか者は、わなをすてておいたうら道できつねの鳴き声がしたので、やってきました。

じつは、わなをすてたといって、そっと道にしかけておいたのです。それにしても、あの伯蔵主のおじさんが、こんな夜にやってきたことは一どもなかったし、きつねきつねと、きつねの話ばかりして、一歩も家にあがろうとしなかったのも、考えてみるとおかしなことでした。

わか者がおじさんを送り出してから、そんなことを考えていたところへ、クヮイ、クヮイと、わなの方からきつねの鳴き声がきこえたのです。

来てみると、わなにぶらさげたえさがいくじってあります。

「やっぱりそうじゃ。あの伯蔵主は古ぎつねだったにちがいない。さんざんお説教をしておいて、帰りにわなをいじくるとは、にくいにくい古ぎつねめ。いまに見ておれ。」

わか者は、えさをうまくつけなおし、わなをかけて、自分は木のかげにかくれて待ちました。

すると、そこへ、もうころもをぬぎすてた古ぎつねが何も知らずにもどってまいりました。そして、わなのまわりをくるくるまわってから、えさにとびつき、にげようとしましたが、あと足をはさまれてしまいました。

「そりゃ、かかったわ、かかったわ。」

わか者がとび出していって、棒でひとうちにしようとすると、ぴょんと、わなをはずして、古ぎつねはにげ出してしまいました。

「ヤイ、ヤイ、ヤイ。にくいきつねめ、にがしてなるものか、なるものか、なるものか。」

しかし古ぎつねは、

「クヮイ、クヮイ、クヮイ。」

と、鳴きながら、くらやみの中へうまくにげてしまいました。

 

 

以 上