コロナ禍が始まったころ、歴史を振り返って今の時代と盛んに比較されたのが、14世紀のヨーロッパだったと思う。
当時、欧州全土で流行したペストにより当時の人口の3割以上が命を落とした。
猛威を振るう疫病を前に、人々はなすすべもなく倒れていく。
当時の死生観を表した芸術に『死の舞踏』がある。
人々は死の恐怖を前に半狂乱となり、意識を失って倒れるまで踊り続けたという。
美術作品には擬人化された「死」が人々を墓場へ連れていく様子が描かれている。
つい2年ちょっと前まで、日本でも自粛警察やら帰省警察といった容赦のない自警団が登場し、オンライン・オフラインお構いなしに声高に叫び続けていた。
街中でもちょっとでもマスクをしていないと、咎められてしまった。
私たちは未知で対応の取りようのない状態に直面すると、怖くなってすぐに死の舞踏を踊ってしまう。
いつか事態が落ち着くまで、あるいは倒れるまで、半狂乱の踊りをやめられない。
海外に生まれ、20年間を海外諸国に暮らした私は聖書の教えに慣れ親しんできた。
キリスト教の場合、聖書を学ぶ人が最初に習うのがマタイの福音書だと思う。
主イエス・キリスト曰く、この世の中にあふれる律法の中で、最も大切な戒めは次の二つ。
いや、何かを守るなら、この二つだけでよいとした教えがこれら。
「あなたの神を愛せよ」
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」
最初にこの教えに触れた際に思い出したのが「敬天愛人」という言葉だった。
うちは父方が鹿児島県出身ということもあり、家庭では常に西郷隆盛が一番の偉人だ。
その西郷先生が生きる指針にしたのが「敬天愛人」の精神。
天を敬い、人を愛せよ。(名経営者・故・稲森和夫さんが創業した京セラ社の社是にもなっている)
調べてみると「敬天愛人」という言葉を日本で最初に提唱したのは中村正直というクリスチャンの教育者だそうだ。
なるほどここにつながるのか、膝を打ったのを思い出す。
儒学に存在した敬天という考え方に、キリスト教の隣人を愛せよという教えを取り込み、「敬天愛人」になったという。
この教えから学ぶことは大きい。
生きていれば時としてどうしようもない事態が発生する。
そんなときは腹を括っていったん、すべてを天に預けてみる。
怖いから半狂乱になって踊りたい衝動を抑えてみる。
そして自分の周りの人たちに優しくする。
その愛がほんの少しずつでも、つながっていく。
大西郷の教えから学ぶことは多い。