フランスの文化人類学者 クロード=レヴィ=ストロース は、まず書き切ってから推敲するスタイルを好んだといいます。
これは私自身、紙とペンで手を動かすときにもよく感じることです。
自分の考えは、多くの場合、漠然としたイメージのかたまりにすぎません。
それを言葉に変換すると、「あれ、こんな程度だったのか」と気づくことがある。
しかし、それがわかれば、考えに執着せず前に進めます。
こうした「まず書く」という勢いは、考えを形にする上で大切な一歩になります。
それこそ今の時代は、紙とペンに触れなくても文章が書けます。
いや、パソコンで打ち込むどころか、AIに文章を書かせることができるようになりました。
要点と切り口をざっと伝えれば、AIは整った第一稿を返してくれます。
あとはそれを自分好みに調整するだけです。
けれども、この「カリブレーション」を繰り返すうちに、気づけばこちらがAIのテイストに寄ってしまうことがありますよね。
「まあ、このくらいでいいか。最初のイメージとは少し違うけど、きれいにまとまっているし、これでいいだろう。」
そんなふうに妥協してしまう。
考えてみると、このAI時代に人間の書き手に残されているのは、視点と発想、そして文章の癖や美意識からくるこだわり くらいかもしれません。。
それですら、気を抜けばAIに飲み込まれてしまう危うさがあります。
だからこそ、手を動かし、紙の上にペンで書くことが必要なんだと思います。
文章を書くとはどういうことか──その原初的な感覚を忘れないために。
レヴィ=ストロースの「まず書き切って後から整える」という方法は、AI時代の書き手に、“考えを言葉で掴む”という原点を思い出させてくれます。
そして、それをさらに深く感じるためには、手書きという行為もまた有効なのだと思います。■