最近、Ted Gioia という作家をよく読んでいます。
主に Substack で読んでいます。
日本では、まだそこまで広く知られている名前ではないかもしれません。
けれど、私はこの人をかなり信頼しています。
Ted は、ジャズや音楽史の書き手として長く知られてきた人で、現在は Substack で『The Honest Broker』という媒体を運営し、本、音楽、メディア、文化について幅広く発信しています。
McKinsey や Boston Consulting Group で働いていたり、Stanford で教えた経歴もあり、公式プロフィールでは、文化批評家・音楽史家・ジャズピアニストとして紹介されています。 (Honest Broker)
https://www.honest-broker.com/
私がこの人を面白いと思うのは、ただ博識だからではありません。
情報をたくさん持っている人は、いまの時代いくらでもいます。
けれどこの Ted は、「何を知るべきか」よりも、「どうやって自分の頭を作り直すか」に関心がある。そこが違うんですよね。
今回読んだのは、How to Read the Great Books in 52 Weeks という記事でした。
彼はここで、52週間で人文学をたどる読書プログラムについて語っています。
週あたりの読書量は約250ページ。
しかも本だけではなく、毎週の音楽推薦や、美術への導線まで含めて設計している。これは、単なる読書リストではなく、1年かけて教養の地図を身体に入れ直す計画 と位置付けている。 (Honest Broker)
この企画の出発点も、いまの時代にとてもよく合っていると思いませんか。
Ted は、多くの人がアプリやSNSや短い動画の連続によって、思考の深さを失っていると見ています。
もっと深く考えたい、でも何から始めればいいかわからない。
そういう人のために、このプログラムを作った。
しかも西洋中心に閉じず、世界規模で文化を見渡そうとしている。
ここに、彼の誠実さが出ています。
私はこの問題意識にかなり共感します。
いまは、本を読まなくても、本について語れてしまう時代。
先日も NY Times のフリーランスのライターが、英 Guardian 紙にすでに掲載されていた書評記事をAIで再編集させ、掲載していたことがばれてクビになっていました。
https://www.theguardian.com/books/2026/mar/31/the-new-york-times-drops-freelance-journalist-who-used-ai-to-write-book-review?CMP=share_btn_url
要約がある。解説がある。動画がある。
AIに聞けば、それらしいポイントもすぐ返ってくる。
けれど、その便利さと引き換えに、私たちはたぶん、本と格闘する時間 を失いつつあるのだと思うんですよね。
Ted が面白いのは、古典を「ありがたがる対象」としてではなく、ぶつかる相手として扱っているところ。
記事の中では、Plato、Aristotle、Shakespeare、Dante、Cervantes のような定番だけでなく、Dostoevsky の『カラマーゾフの兄弟』からは「大審問官」だけを読む、David Foster Wallace の短い作品を入れる、さらにはアフリカの Mwindo Epic や Sundiata も入れると述べています。
ここでやろうとしているのは、「教養人らしく見せること」ではなく、異なる時代や文化の価値観と本気で出会うこと。
この姿勢は、とても大事だと思います。
古典教育というと、どうしても日本では「読むべき名著」「知っておくべき教養」といった、少し息苦しくて、ありがたい話になりがちです。
でも本来、古典は暗唱するものではなく、こちらの思考を揺さぶるもののはずです。
Ted 自身も、Plato より Aristotle に自分は近いとしながら、それでも両方を読むべきだと言います。なぜなら、自分と違う考え方とぶつからない限り、思考は深くならないから。
古典とは、過去の正解集ではなく、現在の自分の価値観を試すための相手なのだと思います。
そしてもうひとつ、私がいいと思ったのは、彼が「すぐにわからなくてもいい」という前提を持っていることです。
記事の中で Ted は、『ドン・キホーテ』を若い頃に読んだ時は、その本当の意味がわからなかったと書いています。後年になって中世文学や騎士道ロマンスを調べるうちに、あの作品が古い世界観を解体し、近代小説を切り開いた本だと見えてきた、と。
これはとてもよくわかります。
読書というのは、読んだその場で全てを回収する営みではない。
むしろ、よくわからないまま自分の中に残ったものが、何年後かに急に意味を持ち始める。
古典を読むというのは、そういう 遅効性の種まき なのだと思います。
私は最近、AI 時代の読書についてよく考えます。
AI は、たしかに要約がうまい。
論点整理も速い。
だから、読む前の案内役としてはとても優秀です。
でも、それでもなお、本そのものを読む意味が消えないのはなぜか。
それは、本を読むことが情報収集ではないからだと思います。
本を読むとは、自分のテンポではないテンポに従うこと。
別の時代の人間の論理に入っていくことです。
そして、ときに反発し、ときに退屈し、ときに心を動かされながら、自分の思考の輪郭を作り直すことです。
要約は、その本の「内容」を運んでくれるかもしれない。
でも、読書によって自分が変形していく経験 までは代行できない。
そこが決定的な違いです。
だから私は、この Ted の52週間プログラムに惹かれました。
それは、単に「読むべき本」を教えてくれるからではありません。
情報の洪水の中で失われやすいもの――集中、忍耐、対話、反論、遅い理解――を取り戻す設計になっているからです。
いま必要なのは、たくさん知ることではなく、
どの本に、どれだけ真剣に向き合うか を決めることなのかもしれません。
AI がますます賢くなる時代に、
人間に残るのは、読む速度ではなく、
何を読むかという選択眼と、
読んだものとどこまで格闘するか、
という態度なのだと思います。
Ted の記事は、そのことを思い出させてくれました。■
参考図書:
テッド・ジョイア 『ジャズ・スタンダード』