—The Economist 編集部が語った「読書の力」
今回取り上げるのは、英誌 The Economist のポッドキャスト番組「The Intelligence」のクリスマス特集回です。
The Economist は、1843年創刊のロンドン発の週刊ジャーナルで、政治・経済・ビジネス・テクノロジーから文化まで、世界の動きを俯瞰する分析記事で知られています。
創刊以来「自由貿易と開かれた市場」を掲げ、世界でももっとも信頼される国際派メディアとして位置づけられています。
特徴的なのは、ほとんどすべての記事が匿名で書かれていること。
署名ではなく「編集部としての一つの声」としてものを語るスタイルを貫きながらも、データとファクトに強くこだわることで、世界の「考えるエリート」向けの媒体として独自のブランドを築いてきました。
その Economist が音声部門を拡張するかたちで展開しているのが、日刊ニュース・ポッドキャスト「The Intelligence」です。
今回のエピソードも、この番組の特別版として配信されています。
硬派な政治・経済誌として知られる The Economist ですが、実は本好きの集まりでもあります。
その編集部が、年末のポッドキャストで毎年テーマを決めて語り合うのが「本」です。
なかでも、今年のテーマはとても挑戦的でした。
題して…、
「世界を変えた本」
ここで語られているのは、歴史の検証ではありません。
記者や編集者たちが、自分の言葉で人類への「本の影響」を考え直す試みでした。
本稿は、その議論をわかりやすく整理し、まとめてみたものです。
各書籍の評価や読み解きは、ポッドキャストに登場した編集者たちの見解に基づいています。
語り手たち
今回メインに声を届けているのは、The Economist から下記の3人です。
その他、様々な背景を持つ The Economist の記者がコメントを寄せています。
◯ ロージー・ブラウ
ポッドキャスト「The Intelligence」のホスト。
◯ キャサリン・ニクシー
文化・宗教史を専門とする記者。著書『A Darkening Age』でも知られる。
◯ オリヴァー・モートン
科学編集者。『The Moon: A History for the Future』の著者。
それぞれ違う分野の知性だからこそ、「世界を変えた本」の見え方も、自然と多様になります。
『フランケンシュタイン』 —— 科学が未来を描き始めたとき
(メアリー・シェリー 著)
科学編集者のオリヴァーが挙げたのは、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』でした。
・作者は10代で構想を得て執筆
・人造生命を生み出す科学者の物語
これを、番組ではこう読み解きます。
「神だけが生命を作る世界から、人間も創造主になり得る世界へ」
という想像力の転換点を示した物語。
そして、この作品はSFというジャンルの始点のひとつでもあります。科学は単なる技術ではなく、未来を思い描く力そのものになった。
静かに、けれど確かに、人間と未来の関係を変えた一冊と評価されています。
おもしろい視点ですね。
『種の起源』 —— 「人間は特別か?」という問い
(チャールズ・ダーウィン 著)
文化記者マット・カプランは、ダーウィンの『種の起源』を挙げました。
・自然選択による進化論を提示した科学書
この本は、自然科学の枠を越えます。
「人間は、神に特別視された存在なのか?」
という問いを社会に放ったのです。
宗教・倫理・教育・政治。
実際、あらゆる分野で波紋が広がりました。
それ以来、人間を「自然の一部」として考える時代が始まります。
『自分ひとりの部屋』 —— 「環境」は才能を形づくる
(ヴァージニア・ウルフ 著)
キャサリンが選んだのは、ヴァージニア・ウルフの『自分ひとりの部屋』。
舞台となるのは、架空のオックスフォード/ケンブリッジ=“Oxbridge”の大学。
講演依頼を受けて訪れたウルフは、そこで女性が置かれた立場を目の当たりにします。
• 芝生は男性学者のみ立入り可
• 図書館も、女性は教授同伴でなければ不可
• 男子大学の昼食は豪華
• 女子大学は質素
その差は制度そのものの差でした。
そしてウルフは静かに結論づけます。
「女性が自由に書くには、自分の部屋と、生活できる収入が必要だ。」
才能以前に、環境が人の可能性を決めてしまう。
この指摘は、想像以上に鋭く、そして現代的です。
『高慢と偏見』 —— 女性の人生の主体について
(ジェイン・オースティン 著)
中東編集長のジョージー・デラップは、『高慢と偏見』(ジェイン・オースティン)を推しました。
今年はオースティンの生誕250周年ということもあり、特に注目されていますね。
これは恋愛小説であると同時に、女性が自分の人生を選ぶ物語です。結婚は、愛だけでなく経済・階級・生存の選択でもある。
そんな現実を、軽やかなユーモアで描き出すオースティン。
読んでいるうちに、私たちは「尊厳」という言葉を思い出します。
『A Suitable Boy』 —— インド自身の声で語る
(ヴィクラム・セス 著)
インド出身の記者シャイレーシュ・チットニスが挙げたのは、ヴィクラム・セスの『A Suitable Boy』でした。
舞台は、独立直後のインド。
描かれるのは、そこに生きる人々のリアルな日常です。
重要なのは、「西洋から見たインド」ではなく、「インド自身の視点」で書かれている、ということ。
この作品は、インド英語文学の新しい扉を開いた一冊として語られました。
『ハリー・ポッター』 —— 読書の喜びを取り戻した
(J.K.ローリング 著)
文化副編集長レイチェル・ロイドは、『ハリー・ポッター』シリーズを挙げました。
文学賞の文脈からは外れがちですが、
• 子どもも大人も読む
• 世界中で共有される物語が生まれた
• 出版文化を大きく動かした
という意味で、文化現象そのもの。
そして何より、「読むことって、やっぱり楽しい」。
この感覚を、世界中に取り戻した、という意味では世界を変えた一冊としてふさわしいと評価されていました。
『指輪物語』 —— 人は物語の中に自分を見る
(J.R.R.トールキン 著)
シニア・カルチャー・コレスポンデント(文化担当上級記者) のジョン・ファスマンは、『指輪物語』を選びました。
ここで登場したのが、少し興味深い議論です。
ファンタジー文学の金字塔であり、後世に巨大な影響を与えた作品。
一方で、番組ではこんな指摘もなされます。
ある種の人々は、自分たちを“ホビット”、国家や規制を“モルドール”になぞらえる。
昨今のシリコンバレーを中心に活躍するテック界の大物たちには特にこの傾向が顕著にみられます。
こちらの記事がわかりやすく説明しています。
オタクの聖書『指輪物語』にテック業界の大物や極右政治家が魅せられる…その理由とは?
https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2023/02/post-100924_1.php#goog_rewarded
重要なのは、それが正しい解釈かどうかよりも——
人は物語の中に、自分の位置を探してしまうという事実。
番組ではこれを、「誤読であっても、社会に影響を与える」という文脈で紹介していました。
物語は、ただの娯楽ではないんですよね。
生きる指針にもなりうる。
『21世紀の資本』 —— 格差に「言語」を与えた
(トマ・ピケティ 著)
経済編集長のヘンリー・カーは、『21世紀の資本』を挙げました。
資本収益率>経済成長率という構造を提示し、格差が拡大していくメカニズムをデータで示したこの本。
番組の評価はこうでした。
「格差=“感覚の問題”から、
格差=“数値で語る問題”へと変えた。」
それまで「なんとなく不公平だよね」と語られていた格差の問題を、ピケティはデータで可視化しました。
その結果、社会の議論も「なぜ格差が広がるのか?」という、より構造的な問いへと進んでいきました。
読書は「世界の見え方」を変える
議論の終盤で、静かな共通認識が生まれます。
本は、直接世界を動かすこともあります。
しかし、それ以上に大切なのは——
本を読んだ“私たちの見え方”が変わること。
見え方が変われば、選ぶ言葉も、行動も、少しずつ変わっていく。
そして、その積み重ねが、やがて世界の形を変えていくのかもしれません。
スマートフォンの短い動画が時間を奪っていく時代でも、静かに本と向き合う時間は、まだ確かに意味を持っている。
ポッドキャスト全体を通して、そんな静かな確信が流れていました。
最後に
歴史を通して「世界を変えた本」というのは、まず自分を少しだけ変えてしまった本のことなのだと思います。
あなたにとって、それはどんな一冊でしょうか。
世界を変えた本は、いつも静かに読者の手の中から始まるのだと思います。■
情報元: Battle of the texts: which books changed the world?
https://www.economist.com/podcasts/2025/12/26/battle-of-the-texts-which-books-changed-the-world