さてさて、内田百閒の作品を読んでいることは書いたとおり。

【読書】”書くこと”の誠実さ、あるいは文体的な嘘について。 – BRUTUS 2023. 5. 15.

 

 

旧い漢字使いに硬めの文章で慣れるまで少し大変。

でも読み進めていくと、その起承転結のなさに、なんだかどんどんはまる。

 

この『第一阿呆列車』などは内田先生が舎弟のような国鉄マン「ヒマラヤ山系」を連れて、ふと思い立った大阪への往復旅行について書かれている。

しかし特段用事があって大阪に行くのでもなく、話の内容は、戦前の頃と比べるとダイヤが戻ってきたとか、自分はもう一等車両にしか乗らないことにしているとか、当日の切符を当日買うことにするか悩んだり、旅行の当日まで夜はずっと時刻表を見て楽しみにしているとか、いやはや列車に乗ったら乗ったで、何を食べるとか、もうとにかく、分かりやすい流れがあるわけではない。

 

普通、ストーリーというのは、起から始まり、承に続いて、おっと転じて、結びとなる。

 

でも、こういう流れがないからこそ、次に何が起こるんだろうという期待が強くなる。

 

でも、結局大したことは起きない。

 

そこがなんだかまたいい、という具合。

 

 

もう一つこの作品の良いのは、当時の日本社会の状況が分かること。

初出誌は「小説新潮」に掲載された昭和26年1月号だという。

今から72年も前のことだ。

時代描写もとても興味深い。

今の世の中とはいろいろなことがまるで違う。

戦争のインパクトを思い知る。

 

たとえば、「借金」について。

抜き書きする。

 

P. 15

 そもそもお金の貸し借りと云うのは六ずかしいもので、元来はある所から無い所へ移動させて貰うだけの事なのだが、素人が下手をすると、後で自分で腹を立てて見たり、相手の気持ちを損ねたりする結果になる。友人に金を貸すと、金も友達も失うと云う箴言なぞは、下手がお金をいじくった時の戒めに過ぎない。

 一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になった原因に色色あって、道楽の挙句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云うのは性質のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払えないと云うのは最もいけない。私が若い時暮らしに困り、借金しようとしている時、友人がこう云った。だれが君に貸すものか。放蕩したと云うではなし、月給が少なくて生活費がかさんだと云うのでは、そんな金を借りたって返せる見込は初めから有りゃせん。

 そんなのに比べると、今度の旅費の借金は本筋である。こちらが思いつめていないから、先方も気がらくで、何となく貸してくれる気がするであろう。ただ一ついけないのは、借りた金は返さなければならぬと云う事である。それを思うと面白くないけれど、今思い立った旅行に出られると云う楽しみは、まだ先の返すと云う憂鬱よりも感動の度が強い。せめて返済するのを成る可く先に延ばす様に諒解して貰った。じきに返さなければならぬのでは、索然として興趣を妨ぐる事甚だしい。いずれ春永にと云う事になって、有難く拝借した。

 

もちろん文豪・内田先生が特別なこともあろうが、現代の感覚とはやはり大きく違う。

お金を知人に借りにいくなんていう記述は最近の小説ではあまり見ない気がする。

 

起承転結なんてわかりやすくなくとも、こうした生活一つ一つへの思いやら、哲学が述べられているからなんか気になって読んでしまう。

 

考え方とか、物事の見方とか、ストーリーの流れより著者の、書きっぷり?に惹かれていく。

 

このお金を借りることになったやり取りなんてこんな具合だ。

 

P. 13 

色色と空想の上に心を馳せて気を遣ったが、まだ旅費の見当がついていない。いい折を見て、心当たりに当たって見た。

「大阪へ行って来ようと思うのですが」

「それはそれは」

「それに就いてです」

「急な御用ですか」

「用事はありませんけれど、行って来ようと思うのですが」

「御逗留ですか」

「いや、すぐ帰ります。事によったら著いた晩の夜行ですぐに帰って来ます」

「事によったらと仰ると」

「旅費の都合です。お金が十分なら帰って来ます。足りなそうなら一晩ぐらい泊ってもいいです」

「解りませんな」

「いや、それでよく解っているのです。慎重な考慮の結果ですから」

「ほう」

「それで、お金を貸して下さいませんか」

 

気を持たせない為に、すぐに云っておくが、この話しのお金は貸して貰う事が出来た。あんまり用のない金なので、貸す方も気がらくだろうと云う事は、借りる側に起っていても解る。借りる側の都合から云えば、勿論借りたいから頼むのであるけれど、若し貸して貰えなければ思い立った大阪行をよすだけの事で、よして見たところで大阪にだれも待っているわけではなし、もともとなんにもない用事に支障が起こる筈もない。

 

 

と、終始こんな調子。

だんだん引き込まれていく。

 

このクラスの文豪になると、ストーリーの流れなどにかまけてられない、、、のかもしれない。

 

次に何が来るんだろう、自分には持ちえないどんな考え方を示してくれるんだろう、、、などと思わせるのが、読ませる一番の秘訣なのかも。。

 

近代日本人の肖像 via 国立国会図書館
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6240/