湖のほとりということだったので、もっと水の音がするかと思っていたが、宿泊したコテージは本館のホテル施設から少し歩く森の中にあって、鳥の鳴き声と風に揺れる葉が擦れる音以外は、しんしんとした静けさがあたりを満たしていた。
本栖湖。
東京から車で2時間半くらい。
土曜日の早い時間に出発できたので高速道路出渋滞に巻き込まれずに着けた。
気温も5~6度は東京より低くて外を歩くと頭がすっきりする。
ここに来るまでに何回か富士山の威風堂々とした姿を見ることができた。
コテージからは多くの木に囲まれていて山の姿は見えない。
さて、この辺の名物はうどん。
お昼は地元で有名なうどん屋に出かけた。吉田うどんというのが名物らしい。
この富士山麓のうどん屋は知っている人は知っている名店で、朝10時半の開店から多くの客が列を成し、我々が入った12時過ぎにはもう今日の麺のご用意がないかもしれません、その際はお客さん同士で分け合ってくださいとのことだった。
白いロングTシャツと作業着ズボンに黒いゴム長靴を履いた主人と、奥には腰の曲がった白髪頭の老人がせっせと動き回って茹でたり、茹った麺をどんぶりに装ったりしていた。
我々の入店後に一度暖簾を外してドアの内側にかけて、しばらくしてまた入口の外にかけ直していた。麺が足りたり足りなかったりしていたようだ。
暖簾が外にかかったのを見計らったかのように初老の男性がすっと入ってきた。顔なじみなのか、温かいいつもの、といって空いていた席についた。長年通ったたまものなのか。
メニューを見てみるとなんと一品しか提供していない。うどんにキャベツが載っていて、温かくするか、冷たくするかのいずれだけ。シンプルなこと極まりない。別に常連だからあったかいのひとつ、といっていたわけではない、温かいか冷たいのかしかなかったのだ。
でも先に入店した我々よりも先にお構いなく頼んじゃうあたりは確かに慣れている感じはあった。
私は歯ごたえがあって一生懸命に口を動かさないと食べ終わらないようなごつい、うどんが好みだ。
今回も冬真っただ中ではあったがその硬さを求めて冷水で締めた嚙み応えのある冷たいうどんを選択した。何年か前に四国に讃岐うどんを食べに行ったことがあった。あのときも季節は冬だったが、やはり冷たい麺を選んだ。
しばらくするとロンTの主人がうどんを運んできた。
うどんはやっぱり麺がしっかりと太くて、噛み応えも期待を裏切らない、というか期待をはるかに上回ってきた。
もうコシがあるないより、大げさにいうと顎を砕くような食感があった。
おいしいを通り越して楽しい。これは新体験。
汁の味は薄めだ。麺ももちろんうどんなので濃い味ではない。
でも味が薄いからこそ、そのかすかな香りや原材料がどう調理されてこの一品になったのかをいろいろ考えるのが楽しくなってくる。
素材味というかシンプルな味わいから探る小麦粉や塩、いりこと醤油の絶妙な組み合わせ。麦や塩の風味を口のなかで探しに行く。
麺を一本手で取って一噛みして断面図を見てみる。
中心の部分は完全に火が通っていなかった。
芯の部分はまだ粉っぽいのだ。
なるほど、ここまでのコシの強さを出すには中心まで柔らかくなるまで茹でてはいけないのかもしれない。
最初の口当たりはやさしいのだが、グッと力を入れて噛むと芯にぶつかる感触にはこんな仕掛けがあったのか。
パスタみたいにソースやいっしょに混ぜる野菜や肉で彩りを加えず、シンプルな小麦粉と塩、申し訳程度に載せられた地元の朝採りキャベツ、あとは出汁だけで勝負する潔さ。
なんだか日本の和文化の特徴、引き算の美が感じられたりもする。
この辺の機微を言葉で説明できるようになるとなんだか味がわかる食通になったような気もしてくる。
一杯450円の哲学。