――朝のジャーナリング は「思考のゴミ出し」である

マルクス・アウレリウス、ベンジャミン・フランクリン、マーク・トウェイン。

ローマ帝国皇帝、アメリカ合衆国建国の父、アメリカの文豪。

これらの偉人の共通項は?

日記をつけていたことです。

 

でも偉人の日記というと、どこか完成された文章を想像してしまいます。

きっと彼らは、毎朝、澄んだ精神で格言のような文章を書いていたのだろう、と。

でも実際は、そうではなかったようです。

今回も Tim Ferriss に登場してもらいます。

Tim が書いていたモーニング・ジャーナルの記事を読んでいて、また一つ学びがあったので、紹介させてください。

彼が紹介している自分の日記は、立派な文章でも、出版できるアイデアの宝庫でもありません。

むしろ、未整理で、弱音が多く、少し愚痴っぽい。

そして、それでいいのだ、と彼は言います。

Tim がジャーナルを書く理由は、「生産性を上げるため」でも、「良いアイデアを見つけるため」でもありません。

ましてや、誰かに読ませるためでもない。

 

書く目的はただ一つ。

ただ頭の中をクリアにすること。

 

思考を解決しなくていい

Tim は、朝書く日記(モーニング・ページ)をこう表現しています。

Morning pages are “spiritual windshield wipers.”
(精神のフロントガラスについた汚れを、ただ拭い落とすもの)

進む方向を決めるためではなく、前が見えるようにするための行為なんだ、と。

彼は今回、ある日のジャーナルをそのまま写真付きで公開しています。(下記参照)

そこに書かれているのは、「成功すると、なぜこんなに自由が減るのか」「攻めてきた人生なのに、守りに回ることへの違和感」といった、答えの出ない問いばかりです。

前回、Tim について書いたときは、彼の人生がハーバード大学のケーススタディになったことをまとめました。

今回、Tim のブログ記事を読みながら思ったのは、モーニングジャーナルというのは、思考の分析というより、思考の吐き出しに近い、ということ。

 

普通、頭の中にあることを書き出せ、と言われたら、書くことで、自分の状況や感情を整理し、問題の構造を理解するため、と考えます。

でも本当の効能はこっちなんだと。

I’m just caging my monkey mind on paper.
(猿のように騒ぐ思考を、紙の上に閉じ込めているだけだ)

ここが、いちばん大事なところだと思います。

朝書く、モーニング・ページは、問題を解決しなくていい。答えを出さなくていい。

ただ、頭の外に出せばいい。

 

書くとは、正気を保つ行為である

考えてみれば、マルクス・アウレリウスの『自省録』も、誰かに読ませるために書かれた本ではありませんでした。

彼は皇帝でありながら、かなり率直に弱さや苛立ちを書いています。

つまり、書くという行為は、

• 賢く見せるためでも

• 成果を出すためでもなく

自分が今日をちゃんと生きるための行為だったのではないか。

Tim は、モーニング・ページを「最も安上がりなセラピー」と表現しています。

かなり的確だと思います。

思考を頭の中に溜めたままにしておくと、一日中、同じ考えが跳ね返り続ける。

それこそ、暴れる猿のように。

紙に書き出すだけで、それは静かになります。

 

大切なのは、プロセス

書くことで、少しだけ前が見える。

それだけで、その日は十分に意味がある。

もし最近、頭の中が騒がしいなら、解決しようとしなくていいので、5分だけ、紙に書いてみるのも悪くないかもしれません。

それは、生産性のためではなく、自分が正気でいるために。

 

実際に Tim のモーニングページを見てみよう 

画像
https://tim.blog/2015/01/15/morning-pages/

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p id=”4F3662C3-732E-4656-A146-A99B7EED683C”>次回は、この文章の日本語訳を載せたいと思います。▪️