政治家による回顧録は好きでこれまでもいろいろと読んできた。
このブログでも以前、英・トニー・ブレア元首相に学ぶ、リーダーの言葉を紹介した。
政治課題に日々取り組む世界のリーダーは、どんな考え方を持ち、行動し、自らの人生をいかに振り返るのか。
リーダーシップ研究好きとしては、興味が尽きない。
そこで本日の一冊。
日本からもとても興味深い一冊が出てきた。
安倍元総理による回顧録。
複数の記者からの質問に答えていく形で、首相時代の裏側を自身の言葉で振り返った一冊。
早いタイミングでインタビューを開始していたのが本当に良かったと思う。
この歴史の証言が残せた意義はとても大きい。
そして政界どころか人生の劇場をあのような形で去らなければいけなかったと思うと本当に気の毒だ。
回顧録を読んで思ったのは、この人は見た目の印象と異なり、物事を非常にドライにとらえていてぶれない。
受け答えに迷いがないのだ。
自らに権限が集中させるために、次第にこうしたコミュニケーションスタイルを確立していったのかもしれない。
周りの忖度も歯止めがかからなかったのも少し分かった気がする。
こんな形で言い切られると、まぁそうか、と受け止めてしまいそうだ。
確かにテレビに映る様子にもいつも妙な安心感があったのを思い出す。
Reassuring というか、うまく訳せないが、なんだか安心して見られる政治家だったと思う。
安定感。
そしてこの特質は外交で大きな力を発揮する。
日本人の政治家でこれだけ諸外国との交渉や外交で力を発揮できた人は稀なんだと思う。
自分が仮にオバマ大統領と対面したとき、果たして下記のようにオバマ大統領に言い返せるかどうか。
P. 131 TPPめぐるオバマ大統領との応酬
ー 4月23日にオバマ米大統領が来日しました。日米首脳会談で、オバマ氏は環太平洋経済連携協定(TPP)交渉について、安倍さんに譲歩を迫ったといわれます。真相はどうだったのですか。
4月23日の夕食会は、銀座の「すきやばし次郎」で行いました。店のカウンターで、雑談もせずにすぐに仕事の話になって、オバマが「安倍内閣の支持率は60%。私の支持率は45%だ。シンゾウの方が政治的基盤が強いのだから、TPPで譲歩してほしい」と言い出したのですね。その後も、オバマは「自分はこの店に来るまで、アメリカの車を一1台も見ていない。これは何とかしもらわなければ困る」と言うのです。「輸入しろ」と。私は「いや、アメ車に関税なんかかけてませんよ」と反論したが、オバマは「非関税障壁があるから、アメ車が走ってないんだ」と私に詰め寄るわけです。
私は「ではちょっと店から出て、外を見てみましょうか。BMW、ベンツ、アウディ、フォルクスワーゲン。いくらだって外車は走っている。でも、確かにアメ車はない。なぜかって、車を見ればすぐ分かりますよ。ハンドルの位置が違うんです。アメリカの車は、右ハンドルに変えず、左ハンドルのまま売ろうとしている。テレビのCMだって、ドイツ車メーカーはさんざん流しているけど、アメリカは流していません。東京モーターショーにも、アメ車は出展していないんだ」と説明しました。そして「そういう努力をしていただかなかったら、売れるはずがないでしょう」とたたみかけたのです。すると彼は黙っちゃいました。
実は、東京モーターショーに米国のメーカーが出展していないという話は、甘利明さんから事前に聞いていたのです。自動車の話題が出るだろうと思って、反撃の準備をしておかないといけないから。
最悪勝たなくてもいいけど、絶対に負けてはいけないのが、交渉の鉄則だとされる。
事務方が手を動かすにしても、交渉事は最後の最後、トップが負けてはいけないということがよく分かる。
この人はその最後の一番にめっぽう強かった印象。
外交の裏側ということでは、こんなエピソードも披露している。
P. 132 ー外国の要人と会食をする際に店を選ぶ基準はありますか。
オバマと会談したすきやばし次郎は、外務省の推薦でした。米国のセレブは、1泊2日で、プライベートジェットですきやばし次郎の寿司を食べにくるという。そういう世界があるのですね。当初の予定で大統領補佐官のスーザン・ライスは夕食会のメンバーに入っていなかったのだけれど、会場がすきやばし次郎だと知って、急遽入れてほしいと言い出してメンバーに入りましたからね。
店選びにはいろんなパターンがあります。17年に当時国際通貨基金(IMF)の専務理事だったクリスティ―ㇴ・ラガルドが来日した時は、私がよく行く渋谷・神泉町の寿司店に連れていきました。彼女も寿司好きだというので。
トランプ米大統領が17年に来日した時は、彼、肉好きで、かつ派手な場所が好きだから、鉄板焼きにしようと。だから私の考えで銀座の「うかい亭」を選びました。店選びに私が関与していることが先方にも伝わると、話もスムーズに進みます。
自分の行動がどんな影響を周囲に与えるかをよく理解していたことが分かる。
ポジティブなことだが、その分、罪も重いともいえる。
何かと関係が取りざたされた官僚たちとのやり取りにも触れている。
各省庁の官僚が自分にどのように説明に来るか、省庁の特色といったものも、細かに答えていてこれが興味深い。
役人と一言でいっても各省庁はそれぞれ文化が大きく異なることが分かる。
(国家公務員志望の学生さんはこの各省庁の文化の違いを、希望省庁選びの参考にしたらいい)
P. 288
財務官僚は、官邸の首相執務室に複数で来て、私に財政政策について説明をする時、一人の役人しかしゃべらないのです。同席している財務省の数人は、私が何を言うかメモを取っているだけなのです。私が「うーん」と考えていても、誰も発言しません。私の前では一切議論しない。要は、情報収集が目的で官邸に足を運んでいるのです。そして官邸を去ってから、財務省内で作戦会議を開いて対応を決める。私が増税に慎重な話をした場合、私の方針を覆すためにいろいろと画策をするわけです。
同じ官僚でも経済産業省の役人は、執務室に来て私の考えを聞くと、その場で議論を始めるのです。私の面前で、官僚数人が延々と話しまくることもありました。「ちょっと君たち、総理を無視して議論に華を咲かせるなよ」と思ったこともあるくらいです。
外務官僚は、担当地域の局によって縦割りが激しく、個人プレーでいろいろ主張するのです。警察官僚は、私が暴力団の情勢に関心があったから、暴力団の抗争の説明には来るのですが、それ以外の案件で、執務室に来ることは稀でしたね。官僚は、訳書によってカラーが違います。
終盤、民間の海外事業マンも真っ青になりそうなエピソードを紹介している。
イランと敵対するサウジアラビア、UAE、オマーンの三か国を20年1月に訪問したときのこと。
P. 371
サウジの人はベドウィン(砂漠の住人)なので、月に一回砂漠にテントを張って、そこで昔の生活をするのです。(ムハンマド・ビン・サルマン)皇太子には、北西部にあるアル・ウラーという町のテントで会談しようと言われ、1時間半ほどかけてウラーに向かったのです。
ところが途中から道がなくなり、砂漠の中をベンツのSUVで走っていたら、SUVの車列が夜中の真っ暗な中、砂地にタイヤがはまり、前にも後にも進まなくなってしまったのです。私のSPですら「どうすればいいんだ」と動揺していました。砂漠の中で10分ほど立ち往生していたら、遠くに動いている車が見える。それがトヨタのランドクルーザーだったのです。そこで無理矢理、ランドクルーザーに乗っている人にお願いして、私とSP数人だけ、車を乗り換えさせてもらって、ウラーに向かったのです。通訳も到着が遅れてしまったため、会談では一生懸命、英語で何とか会話していました。通訳が到着したときは正直ほっとしましたよ。
ー 警護の体制に問題があったとも言えます。
いや、先遣隊が現地入りし、砂漠の中での会談は「とても無理です」と言っていました。にもかかわらず、私が行くと決断したわけですから、仕方がないでしょう。先遣隊は、人を乗せないで走ったそうです。それで実際に我々が車に乗り込んだら、タイヤが砂にめり込んでしまった。
ただ、その後は新型コロナウイルスの感染拡大で、中東で外交を展開する余裕はなくなってしまいました。
おそらくこういう押しの強い部分もあって、それがなんか嫌なパワハラの形で表出するというよりも、まぁ仕方ないなぁよしやるか、の方向でいろいろと周りを動かせる人だったんだろうなと思う。
人柄が偲ばれるエピソード。
ちょうどこの外遊についてだと思うが、日経新聞にこんな記事があった。
記事では、皇太子とのこのようなやりとりが記述されていた。
首相はホテル近くの会場でサウジアラビアの実質的な指導者、ムハンマド皇太子と会談しました。
同席者によると、皇太子が「東京やリヤドで高いビルばかり見ているよりも、大自然の中のほうが人間は英気を養える」と語りかけると、首相も大きくうなずきました。
「生涯の記憶に残る」とも語っていたそうです。
あらためて、ご冥福をお祈りします。