―リチャード・ムーア卿のインタビューを聞いて考えたこと
先日、イギリスの対外情報機関 MI6(秘密情報部)のトップを務めていたリチャード・ムーア氏が登場したポッドキャストインタビューを聞きました。
彼はつい数週間前まで「イギリス版 CIA」の長官として、ロシア、 中国、イラン、テロ対策、そしてウクライナ戦争やアメリカ新政権への対応など、世界の「裏側」を見続けてきた人です。
インタビューでは、
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世界をどう見ているのか
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中国やロシアをどう捉えているのか
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スパイという仕事はどんな倫理的ジレンマを抱えているのか
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そもそもどうやってMI6に入ったのか
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どんな人が情報機関に向いているのか
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AIやテクノロジーが諜報活動をどう変えているのか
といった話が、とても率直に語られていました。
「スパイの話」というと、つい007といったフィクションをイメージしてしまいますが、このインタビューは、むしろ「リーダーシップ」と「仕事観」の話として聞くと、とても示唆に富んでいます。
ここでは、印象に残ったポイントを、私なりのメモも兼ねて整理してみたいと思います。
1. 「秩序なき世界」に生きているという自覚
ムーアは、現代の国際環境について、
38年のキャリアの中で、ここまで秩序が失われた状態は見たことがない
と語ります。
ウクライナ、ガザ、イラン、米中対立……世界のあちこちに「ゆるんだ糸」のような火種がいくつもぶら下がっていて、それを管理するためのレール(冷戦期のような大国間のルール)が機能していない、という感覚です。
とくに彼が気にしていたのは「関係の劣化」です。
パンデミックの間、米中のハイレベルな対話がほとんど途絶えていたことを例に挙げ、「誤算のリスクが高まる」と警鐘を鳴らしていました。
ここには、諜報のプロとしてのシンプルな発想があります。
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諜報機関:リスクと誤算の可能性を見つける
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外交・政治:そのリスクを減らすために「話をする」
情報機関の役割は、あくまで「危険を見つけて知らせるところまで」であり、その先の政治的な解決には、対話のチャンネルが不可欠だ――という考え方です。
2. 中国は「脅威」か「機会」か
印象的だったのが、中国に対する捉え方です。
中国について質問されると、ムーアは「脅威か機会か」という二項対立ではなく、
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英国の利益を守るうえで、確かに脅威となる行動もしている
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しかし同時に、協力や利害の一致がありうる大国でもある
という、かなりバランスの取れた見方をしていました。
情報機関の立場から見ると、
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スパイ活動やサイバー攻撃には「非常に強く」対抗しなければならない
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しかし、それを理由に全面的な断絶に走るのではなく、
自国の価値観と利益を守りつつ関係をマネージする
というスタンスです。
面白かったのは、彼が「中国は強さを尊重する」とあっさり言い切っていたところです。
それは、単に強硬であれ、という意味ではなく、
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自国の原則や価値観をぶれずに示す
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圧力に過剰に怯えず、長期的な視点で対応する
という、「芯のある態度」を指しているように感じました。
これは日本が置かれている立場にもそのままヒントになる気がします。
3. MI6への入り方と「秘密の人生」
スパイ映画の定番のような話ですが、ムーア自身のキャリアの始まりは、いわゆる「tap on the shoulder(肩を叩かれる)」だったそうです。
オックスフォード在学中に、ある教員から「外務省とは別の形で、対外業務に関わるキャリアに興味はないか」と声をかけられたのがきっかけ。
当時はほとんど何も説明されず、かなり「よく分からないまま賭けに出た」感覚だったと振り返っています。
同時に、彼はこんなことも語っています。
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昔は「オックスフォードでのスカウト」や「両親が英国生まれであること」といった条件が暗黙に存在していた
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しかし今は、それらは制度として改められ、多様な背景の人材を採る方向に変わっている
つまり、かつてのMI6は「エリート・白人・伝統校出身」というイメージにかなり近かったが、今はそうではない、ということですね。
ちなみに若いころにBBCにも申し込んだが、面接まで呼ばれることなく落ちた、と話しています。
「秘密に生きる」ということ
スパイの仕事の本質の一つは、やはり「秘密に生きること」です。
ムーアは、家族や親しい友人にすら、自分の本当の仕事を長く話せなかったと語ります。
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一部の親戚や友人は「地味な外務省職員」と信じている
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子どもに真実を話すタイミングはとても難しく、10代半ばくらいで思い切って打ち明けた
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その際は夫婦であらたまって息子と向き合ったこともあり、息子は両親が離婚することを切り出したと思ったそう(笑)
そして、この仕事にはある種の「自己犠牲」が必要だとも話します。
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認知欲求が強い人には向いていない
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自分の貢献が公に評価されることはほとんどない
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満足は「ミッションの重要性」と「仲間との連帯感」に求めるしかない
これは、諜報の世界に限らず、多くの組織に通じる部分だと感じました。
「表に名前は出ないけれど、組織を支えている人」の視点そのものですね。
4. スパイの仕事は「人間との関係」そのもの
もっとも興味深かったのは、人間関係の話でした。
諜報員の仕事を一言で言うと、こう整理していました。
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相手が持っている「秘密」を、自国の利益のために共有してもらう
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そのために、深い信頼関係と親密さを築く
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しばしば、相手は命を賭けるようなリスクを負う
つまり、
「人を利用する」のではなく、「人との関係に命がかかる仕事」
だと捉えているのが印象的でした。
報酬としてお金を払うこともあるし、動機には様々なものがあります。
しかし、最後にモノを言うのは、
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「この人はプロフェッショナルで、自分の安全を守ってくれる」
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「この人の価値観なら、命を預けられる」
と、相手に感じてもらえるかどうかだ、と。
だからこそ、ムーアは「情報機関で働く人には、次の資質が必要だ」と繰り返します。
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自分自身をよく知っていること(セルフ・アウェアネス)
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エゴが低いこと(low ego)
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倫理的な葛藤について深く考える力
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迷ったときに立ち返れる「価値観」を持っていること
これはそのまま、「権力の近くで働く人全般に求められる資質」だと感じました。
そして私が日ごろリーダーシップのクラスで教えていることともぴったりと重なります。
5. 倫理のラインと「9.11以後」の教訓
インタビューでは、9.11後のテロ対策と拷問問題にも触れられます。
アメリカが水責め(ウォーターボーディング)などの拷問を行っていたことは、すでに上院調査などで明らかになっていますし、イギリスも「見て見ぬふり」をしたという批判があります。
この点でムーアは、
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米側の行為が「全く受け入れられない」ものであったこと
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当時の自分たちは、その詳細を十分に知らされていなかったと感じていること
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しかし「もっと早く、もっと敏感に異常に気づくべきだった」という反省は受け入れていること
を、かなり慎重に言葉を選びながら認めていました。
ただMI6の諜報員がこれらの行動に共犯としてかかわったことはない、我々側からはだれも訴追されていないとも強調しており、自分は元長官として「それを誇りに思っている」とも述べています。
そして、現在のMI6には、
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法律に基づいた厳格なコンプライアンス・プロセス
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外部の監視機関によるチェック
が整っており、もし故意に拷問に関与した職員がいれば「刑務所行きだ」とまで言い切っています。
ここで見えてくるのは、
「国家安全保障と倫理」はトレードオフではなく、
長期的には、倫理を破ったほうがむしろリスクになる
という考え方です。
短期的な成果のためにラインを越えると、後で組織全体の信頼性を損ない、結果として安全保障上のダメージも大きくなる、という感覚です。
6. ウクライナ戦争と「根比べ」の発想
ウクライナ戦争について、ムーアの見方はかなりはっきりしていました。
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プーチンは「現状では」和平をするつもりがない
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彼にとっての争点は、領土だけではなく「ウクライナをベラルーシのような従属国家にすること」
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ゼレンスキー大統領は、領土の一部を事実上手放す覚悟を見せているのに対し、プーチンはその気配すらない
そのうえで、
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プーチンの計算を変えるには、「軍事的・経済的な圧力」を強めるしかない
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これは「一瞬で終わる打ち上げ花火」ではなく、根気が必要な意思の勝負である
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この根比べに西側が負ければ、ロシアだけでなく中国にも「西側は弱い」というメッセージを送ってしまう
と語っていました。
ムーアの立場は、軍事的ハードパワーを前面に出して語るというよりも、
「これは戦車の数だけでなく、民主主義陣営の『持久力』の問題だ」
という見方に近いように感じました。
そして、この見方はそのまま、組織や個人レベルでの「長期戦の構え方」にも通じるように思います。
7. AI時代のスパイと「テクノロジーと人間」の合わせ技
インタビューの後半では、AIを含むテクノロジーの話も出てきます。
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中国などの監視国家では、顔認証やデジタル監視が高度に発達している
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その技術は、今や世界中の都市に輸出されている
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その一方で、AIは膨大なデータの中から「協力してくれそうな人」を見つけたり、パターンを見抜くことに大きな力を発揮する
ムーアの結論は、「人間 vs テクノロジー」ではなく、
「人間+テクノロジーで、いかにゲームに残り続けるか」
という発想でした。
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監視技術の進歩により、従来のやり方では接触そのものが難しくなっている
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だからこそ、技術スタートアップや大企業と連携し、新しいツールを開発する必要がある
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そのために、MI6や関連機関が、かつてよりもずっとオープンになり、ベンチャー投資の仕組みまで作っている
というのは、とても現代的な変化です。
ここには、
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「官」と「民」、
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「秘密」と「オープン」
の間に橋をかけようとする姿勢がよく表れていると感じました。
8. リーダーとしてのあり方:真実を権力に届ける
最後に、ムーアが「MI6長官の仕事は何か」と問われたときの答えが、印象的でした。
「どんな政権であれ、そのときの政府に仕え、法律の範囲で不都合な真実も含めて事実を伝えること」
彼は38年間、一貫して「非党派」であり続けたと言います。
どんな首相や外務大臣であっても、耳の痛い情報を黙って飲み込むのではなく、金曜の夕方であっても、嫌がられても、「聞きたくないこと」を持っていくのが仕事だ、と。
この姿勢は、「スパイ」という言葉から連想するイメージとは、むしろ逆です。
こそこそと情報をねじ曲げるのではなく、
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法の枠内で
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政治的立場から距離を保ち
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得られた情報をできるだけ歪めずに届ける
という、透明性志向のリーダー像でした。
9. 「心配しない」ことと、次の人生へ
辞任後の生活について尋ねられると、ムーアは意外なほど穏やかに答えます。
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5年という任期でやれることはやった
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自分一人で背負い込まず、優秀な部下に任せて休暇もとってきた
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「自分に変えられないことは心配しない」と決めていた
そのうえで、これからは
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ワシントン大使館のような「次の大役」は他の人に任せる
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孫と過ごす時間など、「別の人生」を楽しみたい
と、ごく自然に「次のステージ」へ移ろうとしている様子が印象的でした。
巨大なプレッシャーのかかる立場にいながら、
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心配しすぎない
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任せる
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自分の人生の終わり方を、自分で決める
という姿勢は、どんな仕事にも通じる大事なヒントだと感じます。
特に「自分に変えられないことは心配しない」という考え方は、私の専門分野でもあるストア派の考えにも通じます。
おわりに:スパイの話は、実は「仕事」と「生き方」の話だった
リチャード・ムーアの話を聞いていると、「スパイの世界」は思った以上に「人間の世界」でした。
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世界が乱れても、「関係」をつなぎ直そうとする外交的な感覚
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脅威を見つけながらも、自国の価値観や倫理のラインを守ろうとする態度
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人を「駒」としてではなく、命を預け合う関係として扱おうとする姿勢
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テクノロジーを恐れず、人間の仕事と組み合わせてアップデートしようとする柔軟さ
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政治的立場に巻き込まれず、「真実を権力に届ける」ことに徹するプロ意識
映画のような派手なアクションよりも、
こうした「静かな誠実さ」のほうが、よほどスパイらしいのかもしれません。
そしてそれは、そのまま「今の世界で、どう働き、どうリードするか」という問いにもつながっているように思います。
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変化の激しい環境で、何を軸に判断するのか
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他者の人生を巻き込みながら働くとき、どこまで責任を引き受けるのか
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自分のエゴをどう扱うのか
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テクノロジーとどう向き合うのか
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燃え尽きずに「役目を終える」とはどういうことか
その落ち着いた静かな語り口からは、強い意志と覚悟、そして公僕としての「品」を感じました。
MI6長官という、一見遠い世界の話ですが、意外なほど、自分たちの日常の仕事や生き方に重ねて考えさせられるインタビューでもありました。■
原典 (YouTube より):Former MI6 Chief Richard Moore on China, Putin and Spycraft | The Mishal Husain Show