昨年のハイライトの一つが、9月にアスペン研究所のヤング・エグゼクティブセミナーに参加できたことだった。

東洋・西洋の古典文献を通して教養とは何か、リベラルアーツとは何か、について世代の近い異業種の人々と共に考える機会があり、大変勉強になった。

以下、あらためて学びの報告を少し。

 

■プログラム

プログラムは、「世界・日本」「認識」「ヒューマニティ」「社会・デモクラシー」の4セッションで構成されている。

セッションを通して、人間、文化、社会、さらには世界が直面する問題などについて、普遍的価値に根ざした対話をしながら、思索を深めていく。

(詳細:https://www.aspeninstitute.jp/seminar/young_executive/)

 

■参加者

モデレーター、リソースパーソン、11社から総勢19人

 

■課題文献

<西 洋>
オルテガ「大衆の反逆」、
シェイクスピア「ジュリアス・シーザー」
プラトン「パイドロス」
アリストテレス 「形而上学」
パスカル「パンセ」
カント 「道徳形而上学の基礎づけ」
デューウィ「哲学の改造」
ベルクソン「道徳と宗教の二源泉」
ヒポクラテス「古い医術について」
ヘンリー・D・ソロー 「ウォールデン」
J・S・ミル「女性の解放」
リンカーン 「ゲティスバーグ演説」

 

<東 洋>
夏目漱石「現代日本の開化」
森 鴎外「普請中」
内村鑑三「余は如何にして基督信徒となりし乎」
孟子「孟子」
紫式部「源氏物語」
「平家物語」
鈴木大拙「東洋的な見方」
清沢 冽「暗黒日記」
今道友信「エコエティカ」

 

※今回課題図書として挙げられた上記選書の中の、個人的なNo. 1は『平家物語』。
 よく知られている通り隆盛を誇った一族の滅亡を描いた作品だが、全編を貫く仏教の価値観からはどんな時も驕ることなく己を戒めることの大切さが読み取れる。
 驕る平家は久しからず。政治、芸能、実業、、どんな世界でもこれは真理。
 今を生きることの意義であったり、生きている間に何を成すかについても深く考えさせられる作品だった。

 

■全体を通して学んだこと

〇学びの姿勢

・アスペンでは二つのことを大事にしている。考え抜くということと、対話を繰り返すということ。
 まずは選出された古典と個人個人で向き合い、テキストを読むところから始め、書かれた概念や表現と向きあう。
 もうこれ以上は無理というところまでテキストに書かれていることを考え抜いて、参加者が一堂に会してそれぞれの学びを持ち寄り、対話を行う。

・対話の場では参加者全員が車座になり、モデレーター、リソースパーソンの助けを得ながらテキストの理解を深めていく。
 学びがより深まるのはここからで、それぞれが考え抜いて持ち寄った視点や読み解きを踏まえてどう感じたかを述べ合い、そこで様々な視点に触れる。
 自分が読み飛ばしていたような文章に感銘を受けていた仲間がいたりする。
 対話を通し多様な考えを共有し、そこに新たな学びが生まれていく。

・良質の教育の根幹には必ずこの二つがあることを再認識できた。

 

〇分からない、ということ

・受講生からの「難しい」「よくわからない」という反応に対して、リソースパーソンの先生方からとても興味深い示唆があった。

 そもそも分からないというのは、どういうことなのか?

 これには2つの側面があると学んだ。

 ①まず何かを読んでいて、その内容が理解できないという意味での、「分からない」、ということ。
  これは、言葉の翻訳、時代背景、語彙、地域性など、自分の言葉の枠組みとは異なる要素に出会ったときに起こる。
  このようなとき、自分の言葉で説明できないことがある。
  しかし、この「分からない」という違和感にも近い感覚は非常に重要。
  なぜなら、分からないからこそ、理解しようと努力し、新たな視点で世界を見ようとするから。
  異なる言語体系を理解し、その壁を乗り越えることが、「分かる」につながる重要なプロセスである。

 ②もう一つは、特定の問題に対してなぜ問題意識を持つ必要があるのかが分からないという場合。
  つまり、なぜある問題について考えるべきなのかが理解できない状況。
  このような場合、学習と洞察が大切になる。
  問題意識を認識し、それに取り組むことで、世界が大きく広がる。
  新たな理解を得るためには、固定観念を打破し、対話と古典を通じた学びを続けることが重要となる。

 〇つまり、「分からない」という感覚は成長の機会であり、新しい知識と視点を得るための鍵であるといえる。

 

〇限界からの解放について

セミナーでは、古典を通じたリベラルアーツからの学びについても触れられた。
リベラルアーツとはヒトを自由にする技法などと訳されるが、これはつまり「限界からの解放」であるということだった。

では、具体的にどんな限界からの解放か、というと次の4つがあるとされました。

1)知識の限界:知らなかったことを知り、自らの知識の限界を突破する

2)経験の限界:経験してないことを、人や書物との対話を通じて学びを深める

3)視野の限界:自分が今見えているものから解放されること、視座や視野を広げる

4)思考の限界:これが一番大事で、思考の固定観念から解放されるということ。
  言葉は私たちが生まれた時からあって借り物である。どうしても思考は他の人が作ってきたものに影響される。
  自分の言葉として血肉とする、人から借りた言葉ではあるのだけども、自分だけの考えに基づいた言葉で、自分のものにする、ということ。

 

■仕事に生かしたい視点

今回は東洋、西洋の古典作品から様々な視点を学ぶことができた。

参加前は古典からの学びというと、すぐに何か自分の仕事に役に立つということはないと思っていた。
しかし、よく考えると人生や世界についてなど大きな視点で考えるに止まらず普段の生活や仕事にも生かせそうなポイントも学んだ気がする。
カントやプラトンといった名前を聞くだけでその難解な理論のイメージが先行してしまいがちだが、覚悟を決めて向き合えば、様々な応用が効くことが分かる。

あるいは、シェークスピア作品などからは、そのストーリーテリングの妙技から、講義にも生かせそうな工夫や、学びのインパクトを高めるのに参考になる仕掛けについても学べた。

 

■今後の取り組みについて

最後に先生方からは、折に触れて今回の作品でも良いし、過去に読んだことのある作品でもよいので、古典に立ち返るようにとエールをいただいた。
再読してみると、その作品へのイメージが変わったり、新たに気づいたりすることがあるはずだ、と。
そして、その変化こそ、自身の成長であるとのことだった。

盲目的に義務感を持ってただ闇雲に古典を学ぼうとするのではなく、自分の中の「分からない」を大切にしながら、自らの世界を広めるために、限界から解放されるために、これからも学び続けていきたい。

 

今年も、ただ学ぶだけではなく、対話やアウトプットを重視しながら、取り組みを楽しんでいくことも忘れないようにしたい。