『銀座のカラス』 椎名 誠
主人公23歳の松尾勇は、デパート業界の新聞や雑誌を発行している小さな会社の新米編集者。
会社創業以来の人事異動によって配属された編集部で業界向けの地味な雑誌を作っている。
ある日、前任者の突然の退社により、いきなり編集長に。
椎名誠さんの初めての新聞連載小説。
そして、自伝的青春小説の傑作。
私は、いつだって、苦労の後を見せない、一筆書きのようにさらさらと書かれた日本語の作品にあこがれる。
椎名誠さんの余分な力の抜けた爽やかな作風はずっと追い付かないところにある。
朝日新聞に連載されたこの作品は椎名さんが45歳くらいのときに書かれているようだ。
今の自分とあまり変わらない年齢だ。
励みとしたい。
さて、本日の抜粋はこちらから。
P. 503 あとがき
一九八九年十一月から一九九一年二月まで『朝日新聞』に連載したぼくの初めての新聞小説である。外国も含めて一年中あっちこっち旅行ばかりしているフラフラ作家だから、果たしてきちんと最後まで連載を続けられるだろうか不安と緊張の激しく混じった一年三カ月であったが、一日も穴をあけず終わらせることができたので、終了したときは「よおし、エライエライ! おまえもやればできる」と、自分で自分をほめてやった。
それにしても、この小説はいたるところで書いた。ホテル、民宿、テント、新幹線、ヒコーキ、ひどいときは羽田に向かうタクシーの中と、その書き続けた場所をひとふで書きの線のように追っていくと、おそらく日本中をまんべんなくくねくね走り回るこんがらがった糸ダマのようになってしまうだろうと思う。作品の内容はまったく別にして「全日本どのくらいいろんなところで書いたか文学賞」というようなものがあったら絶対に受賞できるだろうと思う。
だからぼくのこの小説を担当した学芸部の白石明彦さんはつくづく大変だったろうと思う。本当に締切りぎりぎりになってもうアトがない、というようなときの白石さんの電話の声はいつも悲壮感にあふれていた。そういうとき、ぼくは彼を励ました。
「大丈夫ですよ。もしどうしても書けなくて穴があきそうだったら早めに知らせますから、そのときは一緒に逃げましょうね!」
すると白石さんはますます悲しげな声になるのだった。
そんなふうなドタバタの日々だったけれど、ここに漸く(ようやく)一冊の本にまとまるのはなんだかしみじとうれしい。
この本は、ぼくの小説のなかでは、
『哀愁の町に霧が降るのだ』(情報センター出版局刊)
『新橋烏森口青春篇』(新潮社刊)
に続く三部作をなすもので、おのおのの小説舞台の設定と登場人物は変えてあるが、それぞれ時代的につながっている話だ。だからまたいつか時をスキップして松尾君とその周辺の人々のその後の話を書こうと思っている。
ところで、この稿を書いているのは石垣島の民宿で、ぼくはもうここに永いこと居ついている。真夏の珊瑚礁を舞台にした映画を作っているのだ。映画をつくるのはぼくのずっと昔からの夢だった。連日くまなく圧倒的に腫れあがった下で仕事をしているので、全身漆黒化し、漁師のようになってしまった。民宿のテーブルの上でこの本の校正をしていたら、ぼくのことをあまりよく知らない土地の人が「あついのにお勉強してエライねえ」とほめてくれた。松尾君がこよなく愛した千葉の海とここの海はずいぶん様子がちがうけれど、遠く聞こえる潮騒(しおさい)の音は、記憶の中のものとあまり変わらないのがうれしくて、そして少しだけ奇妙に切ない気もする。
一九九一年七月二十二日 石垣島白保にて
椎名 誠