カバー画像:『カタルーニャ図』(1375年、アブラハム・クレスケス作とされる、フランス国立図書館)より、シルクロードを行く隊商(パブリックドメイン/Wikimedia Commons)
カルヴィーノ『見えない都市』から考えた、旅と故郷の話
世界中の都市について語っているのに、なぜ自分の故郷については語らないのか。
イタリアの作家イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』を読んでいると、そんな問いに出会います。
1972年に発表されたこの小説に登場するのは、13世紀の旅行家マルコ・ポーロと、モンゴル帝国の皇帝フビライ・ハンです。
マルコ・ポーロは皇帝に、自分が見てきたという都市について次々と語ります。
ただし、それらは実在する都市ではありません。
建物がなく、水道管や蛇口だけが空中に張り巡らされた都市。毎日新しい物を買い、昨日まで使っていた物を捨て続けるため、街の外に巨大なゴミの山ができていく都市。
全部で55の都市が登場します。
都市にはそれぞれ女性の名前があり、「記憶」「欲望」「記号」「死者」などの系列に分けられています。
普通の小説のように、一つの事件が結末へ向かって進むわけではありません。
一つの都市を訪れる。
マルコ・ポーロとフビライ・ハンが話す。
また別の都市へ行く。
読者自身も、知らない街から知らない街へ移動しているような感覚になります。
しかも、この自由な断片の集まりには、実は精密な構造があります。
カルヴィーノは最初から55都市の設計図を作って書いたわけではありません。都市についての短い文章を長い時間をかけて書きため、後になってそこに共通するテーマを見つけ、分類し、並べ替えていきました。
まず書く。
そこから、自分が何について書いていたのかを発見する。
その作り方自体が、この小説らしいと思います。
『見えない都市』の面白さは、存在しない都市について書きながら、現実の都市について考えさせるところにあります。
大量に物を捨てる都市を読めば、消費社会のことを考える。記憶によって姿を変える都市を読めば、自分が暮らしてきた街について考える。
「こんな都市はない」と分かっているのに、どこかで「これは自分たちの街のことではないか」と感じさせる。
現実をそのまま描くのではなく、少し変形してみせる。
すると、普段は見えていなかった現実が見えてくる。
そして物語の途中で、さらに面白いことが起きます。
世界中の都市について話してきたマルコ・ポーロが、自分の故郷ヴェネツィアについてはほとんど語っていないことを、フビライ・ハンが指摘します。
なぜヴェネツィアについて話さないのか。
マルコ・ポーロは、どの都市について話すときにも、そこにはヴェネツィアについての何かが含まれている、という意味のことを答えます。
この場面がとても好きです。
55の都市が、突然別のものに見えてくるからです。
すべてが文字通りヴェネツィアだということではありません。けれど、マルコ・ポーロはどこへ行っても、故郷で身につけた記憶や感覚を通して世界を見ていたのではないか。
そんな気がしてくるのです。
歴史上のマルコ・ポーロ本人が、長い旅の間にどれほどヴェネツィアを恋しがっていたのかは分かりません。それでも、カルヴィーノが描くマルコ・ポーロには、ある種の望郷を感じます。
人は知らない街へ行っても、完全な白紙の状態ではその街を見ません。自分が知っている言葉、食べ物、人との距離、街の明るさ、時間の流れ。
そうしたものを物差しにして、新しい場所を見ています。旅人は故郷を置いて旅立つのではなく、故郷を連れて旅をする。
『見えない都市』を読んでいると、そんなふうに思えてきます。
私自身、いくつもの国や都市で暮らしてきました。
だからなのか、「故郷」という言葉を聞いたとき、一つの風景だけが浮かぶという感覚があまりありません。
一方で、私は実際にヴェネツィアを訪れたことがあり、あの街がとても好きです。もし「自分で故郷を選ぶことができるなら」と聞かれたら、ヴェネツィアを選びたいくらい、好きになりました。
そこで生まれたわけでもなく、育ったわけでもなく、家族の土地でもないのに。それでも、あの街には不思議なつながりを感じています。水が合う、みたいなことかもしれません。
『見えない都市』を読んでいるうちに、別の疑問が生まれました。故郷は、一つの場所から生まれるものなのだろうか。
もしかすると、私たちは旅してきた場所から少しずつ何かを持ち帰り、自分の中に別の都市を作っていくのかもしれません。
ある街から言葉を。
別の街から食べ物を。
ある国から仕事の仕方を。
別の国から人との距離感を。
それらを重ね合わせていけば、現実の地図には存在しない一つの場所ができる。そう考えると、『見えない都市』という題名が、私には少し違った意味を持ち始めます。
カルヴィーノの55都市だけが「見えない都市」なのではありません。私たち一人ひとりの中にも、記憶や経験からできた、地図には載っていない都市があるのかもしれません。
自分なりの、でも自分にしか、わからない街が。◾️
参考資料
Italo Calvino, “Italo Calvino on ‘Invisible Cities’,” Columbia: A Journal of Literature and Art, No. 8, Spring/Summer 1983, pp. 37–42.
Italo Calvino Official Site, “Le città invisibili.”
カルヴィーノ自身の説明として、都市とは「記憶、欲望、言語の記号」などからできており、都市で交換されるのは商品だけでなく、言葉、欲望、記憶でもあると紹介されています。
Le città invisibili – Italo Calvino
Marina Warner and Anna Della Subin, “Fiction and the Fantastic: ‘Invisible Cities’ by Italo Calvino,” London Review of Books, Close Readings, 10 March 2025.
今回のエッセイを書くきっかけになったPodcastです。55の「ありえない都市」が、実際の都市について何か真実を明らかにすること、現実と幻想、語り手と聞き手の境界、カルヴィーノにとって幻想が「真実を語る方法」だったことなどを論じています。
Italo Calvino, Le città invisibili, Einaudi, 1972.
原著の初版は1972年。今回の本文で触れている出版年。
初出:note、2026年10月23日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年11月4日)。原文:https://note.com/proper_clam757/n/nf050bf49e470