カバー画像:フィンセント・ファン・ゴッホ、手紙に描いた《アルルの寝室》のスケッチ(1888年10月)(パブリックドメイン/Wikimedia Commons)
今日の Hypomnemata を書きながら、ずいぶん昔の美術の授業を思い出しました。
母校・パリの高校で 美術科目を取っていたころ、先生から、白いキャンバスを前にして考え込むのではなく、まず手を動かせ、と言われたことがあります。何を描くのか完全に決めてから始めるのではない。線でも色でも、とにかく何かを「置いて」みる。そうすると、そこから次に描くものが見えてくる。
私はもともと絵を描くことが好きでした。
この学校には、卒業する生徒の作品から毎年一、二点を選んで校内に残す伝統があり、私の作品もその一つに選ばれました。おそらく今も、学校のどこかに飾られているはずです。
そんなに好きなことでもキャンバスの前でフリーズするときもあった。さて、何を描くか。
今になって思うと、先生が教えたかったのは、上手に描く方法ではなかった。何を描くかが完全に決まるまで待つのではなく、まず手を動かす。描き始めることで、次に何をすべきかが見えてくる。考えてから描くのではなく、描きながら考える。その感覚を教えようとしていたのだと思います。
一枚の紙を前にして、久しぶりにそのことを思い出しました。最初に書いたのは、Moving your hands before thoughts という言葉でした。
私のnoteでも、ときどき、書くことがないなぁと思います。正確には、まだ考えがまとまっていないから書けない、と思っている。もう少し考えれば形になる。何を言いたいのかが見えてから書こう。けれど、そうして待っていると、白い紙はいつまでも白いままです。
もしかすると、文章も絵と同じなのかもしれません。
考えがあるから書くこともあります。しかし、書いているからこそ考えが生まれることもある。最初の一文を書けば、その言葉が別の記憶を呼び、その記憶が別の考えにつながる。書き始める前には存在していなかったものが、手を動かしている途中で形を持ち始めます。
今日の Hypomnemata もそうでした。パリの教室のことを思い出し、白いキャンバスと白い紙がつながり、そこから「書く」という行為そのものについて考え始めました。
そして一枚を書き終えるころ、最後だけ日本語になっていました。
「書くことで見えてくるものもあるので、まず手を動かしてみる、ということ。書くことは考えることなのだと思う。」
これは、書き始める前から用意していた結論ではありません。一枚の紙に書き始めたから、たどり着きました。■
The Caipirinha Papers — HYPOMNEMATA, Folio No. 3
2 October 2026
原文に掲載の画像:©️The Caipirinha Papers
初出:note、2026年10月22日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年11月4日)。原文:https://note.com/proper_clam757/n/ne26998e3701b