メキシコのスーパーマーケットのチーズ売り場に、「Parmesan」(パルメザン)と書かれたチーズが並んでいます。それがイタリア産なら、特に不思議には思わないでしょう。では、アメリカ産だったらどうでしょうか。それは、本当に「パルメザン」なのでしょうか。
いま、この「Parmesan」という名前が、アメリカ、メキシコ、EUの貿易交渉をややこしくしています。
2026年5月、EUとメキシコは新しい貿易協定に署名しました。そこには、568のヨーロッパ産食品や飲料の名前をメキシコで保護する仕組みが含まれています。
これはGI-Geographical Indication、日本語では「地理的表示」と呼ばれる制度です。ある土地と深く結びついた商品の名前を、誰でも自由に使える普通名詞にはしない考え方です。
たとえばChampagneならフランスのシャンパーニュ地方。Parmigiano Reggianoなら、イタリア北部の決められた地域と製法です。
EUにとって、こうした名前は単なる商品名ではありません。土地や歴史、製法まで含んだ意味合いを持ちます。
一方、アメリカは違う見方をします。ここもまたアメリカらしい。
parmesanやfetaのような言葉は、すでに広く使われる一般名称になっている。だからアメリカのメーカーも使えるはずだ、という立場です。
アメリカからメキシコへのチーズ輸出は、年間約10億ドル。およそ1,600億円です。EUからメキシコへのチーズ輸出は約2億ドル、約320億円です。
つまり、名前を誰が使えるかは、そのまま市場の問題になります。
ここが面白いと思いました。
言葉は、いつまで故郷のものなのでしょう。
ある土地の商品が世界で成功すると、その名前も広がります。そして広がれば広がるほど、元の土地との結びつきは弱くなることがあります。
実際、「Parmesan」をめぐる争いは今出てきたものではありもせん。2008年、EU司法裁判所では、ドイツで「Parmesan」という名前を使ったチーズが争われました。その際、裁判所は、Parmesanが保護名称であるParmigiano Reggianoを想起させうると判断しています。
つまり、少なくともヨーロッパでは、Parmesanは単なる一般名称ではない、という考え方が長く続いています。
一方で、アメリカ側にも理屈があります。
ある言葉が何十年も一般名称として使われてきたなら、それを後から特定の土地だけのものに戻せるのか。
ここに簡単な正解はありません。
伝統を守ること。
言葉が世界で変化していくこと。
その二つがぶつかっています。
スーパーで「Parmesan」と書かれた袋を手に取るとき、私たちはほとんど特別考えません。
でも、その一語の後ろには、イタリアの土地があり、アメリカの生産者がいて、メキシコの市場があり、EUの法律がある、ということなんですよね。
一袋のチーズに、思った以上に大きな問いが隠れています。◾️
参考情報
Reuters, “Dispute over cheese names causes stumbling block in US-Mexico trade negotiations,” 28 August 2026.
European Commission, “EU-Mexico Modernised Global Agreement — An agreement for European farmers.”
Court of Justice of the European Union, Case C-132/05, Commission v Germany, 26 February 2008.
※円換算は1ドル約160円として概算。
初出:note、2026年9月30日 05:48:28 JST。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録。原文:noteの記事