2025年のブッカー賞は、ハンガリー系英国人作家 デイヴィッド・サレイの小説『Flesh』が受賞しました!

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審査員長のロディ・ドイルは「暗い物語だが、読む喜びに満ちている」と語り、批評家のひとりは「生きているという不可思議さをめぐる小説」と評しました。

SNSやAIが言葉を消費していくこの時代に、静けさと余白で語るこの作品が選ばれたのは、まさに象徴的といえるのかもしれません。

 

まずあらすじの確認まで。
主人公は、イシュトヴァンという一人の男性。
少年時代、母と暮らすハンガリーの団地で起きた衝撃的な事件。軍隊での孤独、そしてロンドンで富裕層に仕える日々。

彼は人生のあらゆる段階で、感情を抑え、世界を静かに観察しています。その距離感が、彼という人間の魅力であり、同時に痛みでもあります。

 

タイトルの「Flesh(肉体)」は、この作品の中心にあるテーマです。著者のサレーは執筆の背景について「私たちの存在は、まず肉体的な経験であり、他のすべてはそこから派生する」と語っています。
たしかに、悲しみや欲望、恐怖や希望——それらは言葉になる前に、身体のどこかで感じられるもの。
この小説は、その“生の実感”に触れようとしているのだと思います。

 

審査員たちは、この作品の「余白の力」を絶賛しています。
心情を説明するのではなく、沈黙で語る。
ある場面では、喪失を表すために数ページの白紙が挿入されています。
ロディ・ドイル審査委員長はこう述べました。
「多くが明かされているのに、私たちはそれに気づかない。そのこと自体が extraordinary(非凡)だ。」

 

この“言葉にならない領域”こそが、『Flesh』の真の魅力と評されています。
作品は、男らしさや階級、移民、権力といった現代的テーマを抱えています。しかし同時に、非常に個人的なのに普遍的な物語でもあります。
ドイルは「私は泣くなと教えられて育った。イシュトヴァンはまさにそのような男だ」と語りました。
『Flesh』は、いわば“泣かない男たち”への静かな鎮魂歌であり、「強さとは何か」を問い直す一冊にもなっているようです。

 

興味深いのは、ポップカルチャーからの共感です。
読書家で知られる歌手のデュア・リパは自身のブッククラブでこの作品を紹介し、「緊迫感に満ちた一冊」と高く評価しました。

Dua Lipa In Conversation With David Szalay, Author Of Flesh: Live From the New York Public Library

またラッパーのストームジーは、授賞式の短編映像で朗読を担当。
文学と大衆文化が交わる、この新しい受容のかたちはとても象徴的です。
AIが文章を量産する時代に、人間の“沈黙”にこそ力があると、多くの人が本能的に感じているのかもしれません。

 

サレイは以前にも『All That Man Is』(2016年)でブッカー賞候補となりましたが、今回の『Flesh』では、文体がさらに研ぎ澄まされています。
飾りを捨て、言葉を削り、沈黙の中で意味を浮かび上がらせる。
まるで文学というより「存在の記録」のようです。

 

ブッカー賞財団のガビ・ウッドは「抑制的で緊迫し、誠実で胸を打つ作品」と評価しました。
おそらくそれは、文学が再び“生きること”の根源に立ち返りつつあるという兆しでもあるのだと感じます。
SNSが可視化し、AIが要約する世界で、サレイはあえて曖昧さや沈黙を選びました。

 

生きているという不可思議さ。
それを感じ取るための文学がまだあって、それを信じ続ける読者が世界にいる——
文学の強さ、存在意義を強く感じさせます。

 

『Flesh』の静けさは、「書くとは何か」「生きるとは何か」という問いに対する、21世紀のひとつの答えなのかもしれません。■

P. S. 本人の人となり、様子が伝わるインタビューはこちらから

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p id=”0f35c8f4-4fed-4f01-af31-fc574c693155″>(https://thebookerprizes.com/the-booker-library/authors/david-szalay)