ワシントンD.C.のリンカーン記念堂。

巨大な椅子に座るリンカーン像は、上半身と手を失っています。その足元に、赤い服を着た一人の女性が立っています。口を白い布で覆われた主人公、ジューンです。

『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』シーズン3の一場面。
最近、Amazonプライムでこのドラマが見放題になっていたので見出したら、結局止まらず。ビンジウォッチング。シーズン3まで来たところで、そして、この映像に、しばらく魅せられました。

原文に掲載の画像:Season 3 | The Handmaid’s Tale

かつて奴隷解放を成し遂げた大統領の記念堂で、再び人間が奴隷として扱われている。その皮肉が、言葉による説明を必要としないほど鮮明に映し出されていました。

しかし、リンカーン記念堂の歴史を調べると、この場面はもう少し複雑な意味を持っていることがわかります。

自由を記念する場所で

1922年5月30日、リンカーン記念堂の落成式が行われました。当時の大統領ウォレン・ハーディングやリンカーンの息子らが出席し、5万人以上が集まりました。
(この頃リンカーンの息子がまだ生きていたという事実に驚きます。南北戦争は意外ともっと近い話なんですよね)

しかし、式典では黒人と白人の座席が分けられていました。演説者の一人、黒人教育者ロバート・モートンは、人種間の平等を訴える原稿を用意していました。ところが、記念堂の建設委員会を率いていたウィリアム・タフトから修正を求められ、批判的な部分を削除しています。

奴隷解放を記念する建物の落成式で、人種隔離が行われ、平等を求める言葉が制限されていたのです。

それから17年後の1939年。黒人歌手マリアン・アンダーソンは、人種を理由にコンサート会場の使用を拒否されました。彼女が代わりに歌ったのが、リンカーン記念堂の階段でした。さらに1963年、同じ場所でマーティン・ルーサー・キング牧師が「I Have a Dream」の演説を行いました。

リンカーンの奴隷解放宣言から100年が経過していました。それでもなお、黒人は平等な権利を求めて闘っていたのですね。

リンカーン記念堂は、自由を獲得した国家がその完成を祝う場所であると同時に、自由の約束を十分に果たしてこなかった国家に対し、人々が繰り返し異議を申し立ててきた場所でもありました。

なぜ、リンカーンの首と手を破壊したのか

ドラマの舞台となるギレアド国では、アメリカ合衆国が崩壊し、神権国家が成立しています。ワシントンD.C.の歴史的建造物も、ギレアドの思想に合わせて改変されています。ワシントン記念塔は巨大な十字架に姿を変え、リンカーン像は頭部と手を失いました。

制作美術を担当したエリザベス・ウィリアムズは、2020年のインタビューで、この破壊の意味を説明しています。製作陣は、リンカーンの頭部と手を、自由を象徴するものとして捉えました。

頭部は思考する力。手は行動する力。

その両方を取り去ることで、ギレアドが人々から思考と行動の可能性を奪ったことを表現したというのですね。

撮影は本物の記念堂で行われ、彫像の破壊は映像技術によって加えられました。しかし、そこにあるのが実在するリンカーン記念堂だからこそ、架空の国家による破壊が現実の歴史と結びつきます。

かつて人々が自由を求めて集まった場所が、その自由を否定する国家の舞台になっているということなんですね。

ジューンがリンカーンに触れた瞬間

この場面には、もう一つ興味深い制作秘話があります。
主人公のジューンが自らの所有者セリーナと激しく言い争った後、破壊されたリンカーン像に近づき、手を触れる場面です。

ジューンを演じたエリザベス・モスによると、この動作は監督ディアブラ・ウォルシュたちが撮影現場で提案したものでした。

普段、リンカーン像の周囲にはロープが張られ、一般の人が直接触れることはできませんが、撮影ではそのロープを外し、モスが実際の像に触れたのだそう。

彼女は、どれほど多くの人がこの像に触れたことがあるのだろうと考えながら近づき、手を置いた瞬間には心臓が激しく鼓動していた、と振り返っています。

私は、この制作秘話を知ってから、あの場面の見え方が変わりました。ジューンが触れているのは、架空の記念碑ではありません。1922年に完成し、アンダーソンの歌声を聞き、キング牧師の演説を見届けてきた、現実のリンカーン像でした。

その像に、自由を奪われた架空の女性が触れる。
現実の歴史とフィクションが、文字どおり一つの場所で交わっています。

誰の声が残されるのか

一つの場所の歴史をたどると、自由を記念することと、人々が実際に自由を行使できることの間には、常に距離があったことがわかります。

リンカーン記念堂は、アメリカが自由を達成したことを証明する建物ではありません。ここは、自由という理念を、その時代を生きる人々がどこまで実現できるのかが、繰り返し問われてきた場所なのだと思います。

巨大な記念碑が残っていても、そこに刻まれた理念が人々を守ってくれるとは限りません。しかし、その足元に立つ人間が、過去に何が語られ、何が奪われたのかを知ることはできます。

首を失ったリンカーンの前で、ジューンは顔を上げています。◾️

原文に掲載の画像:Season 3 | The Handmaid’s Tale

参考情報

米国国立公園局:リンカーン記念堂の落成式 — 1922年の式典、出席者、人種隔離の記録。

米国議会図書館:ロバート・モートンの演説草稿と書簡 — 落成式の演説原稿と修正稿の一次資料。

米国国立公園局:リンカーン記念堂の階段 — アンダーソンの1939年の公演とキング牧師の1963年の演説。

TheWrap:How ‘Handmaid’s Tale’ Team Built a Ruined Washington, DC — 制作美術担当者が語るリンカーン像の破壊と、その象徴的な意味。

How They Pulled Off That Lincoln Memorial Fight — エリザベス・モスが語る、リンカーン像に触れた場面の撮影秘話。


初出:note、2026年10月16日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年10月23日)。原文:https://note.com/proper_clam757/n/n909c82e33078

カバー画像:リンカーン記念堂の像の前に立つマリアン・アンダーソン、1939年4月9日、撮影 Harris & Ewing(米国議会図書館、パブリックドメイン/出典)