少し前、クリストファー・ノーラン監督も強い影響を受けたと公言している、古典学者 Emily Wilson による『オデュッセイア』の翻訳について書きました👇
https://note.com/proper_clam757/n/na8f8fb21fee2
翻訳とは、古典を現代語で説明し直すことではありません。作品が、別の時代の読者や創作者にもう一度作用できるようにする営みだと書きました。
そして、クリストファー・ノーラン の映画『The Odyssey(オデュッセイア)』も、その延長線上にあると私は考えていました。
翻訳家のWilsonの翻訳がホメロスを現代へ開き、その先で映画監督のNolanが新しい作品をつくる。そこに、翻訳が未来の創作を可能にする力を見ていました。
ところが、その記事を書いた数日後、Wilson 本人がノーラン監督 の映画を厳しく批判するという意外なニュースが飛び込んできました。。
彼女は、映画にはホメロスが持っていた心理的、感情的、政治的、倫理的な深みがないと指摘し、脚本についてはこうまで述べています。
もしこの脚本の一部でも自分が書いていたら、きっと恥ずかしいと思ったことでしょう
彼女が問題にしたのは、原作との細かな違いではありません。Wilsonにとって『オデュッセイア』は、英雄の冒険譚であるだけではないからです。そこには、戦争から帰還した人間の傷があり、家族との隔たりがあり、記憶、復讐、忠誠、赦しをめぐる問いがあります。
一方、Nolanの映画には壮大な映像があります。
神話的なスケールがあり、長い旅があり、怪物や戦いがあります。しかしWilsonには、その壮大さを支える人間が見えてこなかったようです。
彼女は、オデュッセウスが妻のもとへ帰れるかどうかを気にかける理由を、映画が観客に与えていないと批判しています。映像は大きくても、人物の動機は浅い。大きな主題を扱っているように見えても、それについて説得力のあることを何も語っていない。
Wilsonの失望は、ノーラン監督が原作を忠実に再現しなかったことへの不満ではありません。彼女がホメロスの核心だと考えるものが、映画から抜け落ちていたことへの批判です。
ここには、前回の私の記事では考えていなかった問題があります。
翻訳者は作品を未来へ手渡すことはできます。
しかし、その作品が未来でどのように読まれ、使われ、つくり変えられるかまでは決められません。
同じホメロスを読んでも、WilsonとNolanが受け取ったものは同じではありませんでした。
Wilson は、人物の心理や倫理的な複雑さを見ました。
ノーラン監督 は、神話の規模、帰還の旅、運命との対決、映像として立ち現れる異世界を見たのでしょう。
この違いは、古典には複数の読み方があるというだけの話ではありません。すべての解釈が同じ価値を持つわけではないからです。人物を単純化し、原作の複雑さを失えば、当然批判されます。それでも、ひとたび作品が次の創作者へ渡れば、その使われ方を最初の送り手が管理することはできません。
ここに、創作の自由と残酷さがあります。
翻訳者は橋を架けます。しかし、その橋を渡った人がどこへ向かうかまでは決められません。
そして今回、さらに興味深いのは、Wilson が映画を全面的には否定していないことです。
彼女は脚本を酷評しながらも、この映画の公開は祝うべき出来事だと述べています。映画によって人々が劇場へ戻り、『オデュッセイア』の翻訳が売れ、古代ギリシャ文学への関心が高まっているからです。
Wilsonは、ノーラン監督が一般の人々を再び読書へ向かわせようとしていることに感謝している、とも語っています。
映画には失望した。
しかし、その映画が人々をホメロスへ連れ戻していることには感謝している。
この二つは矛盾しているようで、矛盾していません。
作品として批判することと、その文化的な効果を認めることは両立するのだと思います。むしろ、この二つを切り分けて考えるところに、Wilsonの批評の誠実さがあるともいえます。
古典は、忠実に保存されるだけでは生き続けられません。翻訳され、演じられ、撮り直され、ときには単純化され、批判されながら、次の時代へ移っていきます。
私は前回、翻訳は未来の創作を可能にすると書きました。今回、そこにもう一つ付け加えたいと思います。
翻訳が開いた未来は、翻訳者のものではありません。
だからこそ、そこには失望も生まれます。
それでも作品は、その失望さえ引き受けながら、別の読者と創作者のもとへ進んでいきます。
古典が三千年後にも生きているのは、おそらくそのためなのでしょう。◾️
#オデュッセイア
https://note.com/proper_clam757/m/mc335d296a167
初出:note、2026年7月29日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年10月15日)。原文:https://note.com/proper_clam757/n/na0cfc308be87