日本にもついに対外情報庁が発足するようです。
長らく海外の情報を収集する専門の省庁がなかった日本にとって、これは大きな進展だと思います。

7/21 付けの産経新聞に、この対外情報庁がイギリスのMI6をモデルにした形で検討されることが書かれていました。

MI6 といえば、言わずと知れた、あの007を生んだ英国の秘密諜報部。今日はこの組織のトップを長く務めた人物のインタビュー記事から学んだことをまとめておきたいと思います。

6月に癌との闘病の末に亡くなられた、MI6の元長官 アレックス・ヤンガー卿(Alex Younger)が生前、最後に残したインタビューです。

https://www.youtube.com/watch?v=g-T1boiZFfM

ポイントは、

・今、イランで何が起きているのか
・戦局はどうとらえるべきなのか
・リーダーシップの観点から、スパイの親玉から何を学べるのか

まず、イランをめぐる戦争から。
こう分析していました。

作戦は完璧だった。
それでも、戦争の主導権は相手に移った――。

米国とイスラエルには、イランの核施設や軍事拠点を破壊する圧倒的な能力があります。実際、その航空作戦について、ヤンガー卿も軍事技術上はきわめて高度だったと評価しています。

それにもかかわらず、彼は戦争の主導権をイランが握ったと見ていました。

なぜ、圧倒的に強い側が主導権を失うのでしょうか。

この問いを考えていくと、戦争だけではなく、企業経営やリーダーシップにも通じる重要な問題が見えてきます。

それは、
作戦をうまく実行することと、本来の目的を達成することは同じではない
という問題です。

戦場で勝てないなら、戦場を広げればよい

イランは、通常兵器による正面対決で米国に勝つことはできません。

そこで採用したのが、軍事用語で「horizontal escalation(水平的エスカレーション)」と呼ばれる戦い方です。

相手が優位に立つ戦場で直接勝とうとするのではなく、対立の範囲を横へ広げ、別の場所で相手に費用を負わせます。

イランは攻撃手段や指揮系統を分散させ、湾岸地域の米軍基地、周辺国、海運、エネルギー市場などへ戦争の影響を拡散させました。

なかでも重要なのが、ホルムズ海峡です。

世界のエネルギー輸送にとってきわめて重要なこの海峡を機能不全にするために、イランは必ずしも米海軍を撃破する必要はありません。

タンカーを大量に沈めなくてもよいのです。

数機のドローンやミサイルが残っているという認識だけで、

  • 船長が航行を拒む
  • 海運会社が配船を見合わせる
  • 保険会社が保険料を引き上げる
  • 市場が原油価格にリスクを織り込む

という連鎖が起こります。

物理的に海峡を完全封鎖しなくても、「ここは安全ではない」と市場に信じさせれば、経済的には封鎖できるのです。

イランが攻撃しているのは、米国の軍事力そのものではありません。対象にしているのは、高度に結びついた現代社会が持つ、物流の混乱や損失に対する敏感さです。

弱い側が強い側と戦うとき、狙うのは相手の最も強い部分ではありません。相手がその強さを維持するために依存している、別のシステム を相手にすればよいのです。

施設を破壊しても、能力と意志は残る

このインタビューでヤンガー卿が区別しているのが、
目に見える設備を破壊することと、
その背後にある能力を消滅させること
の違いです。

核施設や遠心分離機を空爆によって破壊することはできます。

しかし、核開発能力は建物だけでできているわけではありません。

そこには、

  • 科学者と技術者
  • 設計・製造に関する知識
  • 物資の調達網
  • 地下施設
  • 組織間のネットワーク
  • 計画を再建する政治的意志

があります。

建物を破壊しても、知識や人間関係、そして再建する意志が残っていれば、能力はいずれ再生します。

さらに外部からの攻撃が、

「通常兵器では国家や体制を守れない。だからこそ核抑止力が必要だ」

という判断を相手側に強める可能性もあります。

そうなれば、施設破壊という戦術的成功が、核武装への意志を強めるという戦略的な逆効果を生みかねません。

これは戦争に限った話ではないと思います。

組織を改革するとき、目に見える制度や組織図だけを変更しても、その背後にある価値観、知識、人間関係、非公式な権力構造が残っていれば、組織は元の状態へ戻っていきます。

目に見える対象を変えることと、その対象を生み出しているシステムを変えることは、まったく別のことなんですよね。

指導者を倒すことと、望ましい秩序をつくることは違う

同じことは体制転換にも当てはまります。

独裁的な指導者を排除すれば、その国は自由で民主的になる――。

しかし、イラクやリビアの経験が示したように、「誰を倒すか」が明確でも、「その後、誰が、どの制度によって統治するのか」が設計されていなければ、体制転換は戦略ではなく単なる願望になります。

イランの現体制が弱体化したとしても、その後に生まれるのが自由民主主義だとは限りません。

革命防衛隊を中心とする軍事体制、複数勢力による内戦、地域や民族による分裂、あるいは、外部からの攻撃に反発するさらに強いナショナリズムが生まれる可能性もあります。

指導者の排除は一つの作戦です。
しかし、安定した秩序の形成は、そのはるか先にある政治的目的です。

前者を達成したからといって、後者が自動的に実現するわけではありません。

優秀な組織ほど「実行」によって失敗する

この構造は、企業のなかでも起こります。

優秀な人材が集まり、精緻な計画を立て、明確な KPI を設定し、プロジェクトを予定どおりに進める。

それでも、戦略的には失敗することがあります。

新商品を予定日に発売した。
買収を完了した。
海外拠点を設立した。
研修を計画どおり実施した。
設定した売上目標を達成した。

これらはすべて、作戦上の成果です。

しかし、本来の目的が顧客行動の変化、ブランドの定着、買収先との統合、現地組織の自立、リーダーの成長であるなら、それが実現したかどうかは別に検証しなければなりません。

私自身、国際事業の現場で、本社の論理が完全に間違っていたというよりも、現地が本社の想定どおりには反応しなかった場面を見てきました。

本社には、資金、人材、ブランド、情報、意思決定権があります。

一方、現地には、顧客との関係、流通の実態、制度への理解、文化的な感覚、非公式なネットワークがあります。

本社が圧倒的な実行力を持っているからこそ、「計画そのものを見直す」よりも、「計画をさらに強く実行する」という方向へ進みやすい。

しかし、相手の反応に関する仮説が間違っていれば、実行力の強さは失敗の速度を上げるだけです。

弱い組織は、実行できずに失敗します。
優秀な組織は、ときに間違った目的や仮説を完璧に実行することによって失敗します。

情報が多くても、判断は正しくならない

元MI6長官であるヤンガー卿の発言で、もう一つ重要なのが「情報の政治化」です。

国家が判断を誤る理由は、必要な情報を入手できなかったからとは限りません。情報は存在していたのに、政治指導者が望む物語と合わなかったため、軽視された可能性もあります。

組織のなかで、

  • 都合の悪い分析が上層部へ届かない
  • 方針に反する意見が「消極的」と評価される
  • 不確実な情報が、意思決定の過程で断定的な表現に変わる
  • リーダーの期待に沿う報告だけが歓迎される

ようになれば、情報量が増えても判断の質は上がりません。

優れた情報組織とは、大量のデータを持つ組織ではなく、権力者にとって不都合な現実を、歪めずに届けられる組織です。

これは、AI 時代には一層重要になります。

AI は膨大な文書、通信、画像、数字を処理し、パターンや異常を見つけることができます。

しかし、経営者や政策決定者が、自分に都合のよい出力だけを採用するなら、AI によって判断が正しくなるとは限りません。

必要なのは情報の量だけではありません。
その情報を受け取る側が、自分の仮説を疑えるかどうかです。

戦術的成功という罠

ヤンガー卿は、2014年から2020年まで MI6 長官を務め、過去 50 年で最も長くその職にあった人物です。バルカン、中東、アフガニスタンなどで実務を経験し、対テロ部門も率いました。2026年6月2日、膵臓がんのため 62 歳で亡くなりました。

今回のThe Economistによる生前最後の映像インタビューは、情報機関の元トップが遺した、きわめて重い戦略論として見ることができます。

もちろん、「イランが主導権を握った」というのは、現時点におけるヤンガー卿の戦略評価です。戦争の最終的な結果が確定したという意味ではありません。

それでも、彼の分析から得られる原則は明確です。

戦闘に勝つことと、戦争の目的を達成することは違う。
施設を破壊することと、能力や意志を消すことは違う。
指導者を排除することと、望ましい秩序をつくることは違う。

KPIを達成することと、本来の目的を実現することも違う。

リーダーは、作戦の進捗だけを見ていてはいけません。

相手や顧客は、こちらの行動にどう反応しているのか。
目に見える成果の背後で、どのような副作用が生まれているのか。

組織のなかで、聞きたくない情報が失われていないか。
そもそも、現在の作戦は本来の目的へ近づくためのものなのか。

完璧な実行を称賛する前に、私たちはもう一度、問い直す必要があります。

私たちは作戦をうまく実行しているだけなのか。
それとも、本来達成すべき目的に近づいているのか。

P. S. アレックス・ヤンガー卿(サー・アレックス・ヤンガー、Sir Alex Younger)は、イギリスの情報機関である秘密情報部(MI6)の元長官を2014年から2020年まで長官を務め、長年にわたりロシアや中国などによる脅威、テロ対策への対応を指揮しました。癌との闘病の末、2026年6月に62歳で逝去されました。

ヤンガー卿のご冥福をお祈りします。■


#リーダーシップ #戦略 #組織論 #国際情勢 #MI6 #経営
#AI時代のリーダーシップ

参考資料:Sir Alex Younger, the late MI6 chief, on the art of espionage
Recorded on Jun 5th · 45 min

https://www.economist.com/insider/inside-defence/sir-alex-younger-the-late-mi6-chief-on-the-art-of-espionage?utm_medium=cpc.adword.pd&utm_source=google&ppccampaignID=21228634515&ppcadID=&utm_campaign=a.22brand_pmax&utm_content=conversion.direct-response.anonymous&gclsrc=aw.ds&gad_source=1&gad_campaignid=21228661560&gbraid=0AAAAADBuq3IL366jH8w3oJ78k2MXWzh-W&gclid=CjwKCAjw1IHTBhAaEiwA4AYNFuNkea2u9qT3pnrtc-wfikuByAgvn0zvGWulR96_ccJiEMOrUJF-8xoCuNQQAvD_BwE

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初出:note、2026年7月30日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年10月15日)。原文:https://note.com/proper_clam757/n/nc0e395c68758

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