少し前まで、哲学や神学は、社会の中心から遠い学問だと思われがちでした。
ところがAIの発達によって、状況が変わり始めています。
人間とは何か。知性とは何か。よい判断とは何か。
AIには、どのような価値観を持たせるべきか。
こうした問いには、技術だけでは答えられません。
そこでAI企業が、哲学者や神学者に意見を求めるようになっています。
哲学を学んでいる私にとって、これは喜ばしい変化です。
しかし同時に、一つの疑問も浮かびます。
AI企業は、哲学者に何を求めているのでしょうか。
自分たちとは異なる問いでしょうか。
それとも、すでに進めている技術に、倫理的な裏づけを与えることでしょうか。
哲学者で神学者のCarmody Greyが、AI企業Anthropicとの協働を断った一件は、この問題を考えるよい材料になります。
Anthropicは「知恵の伝統」を求めた
Anthropicは、生成AIのClaudeを開発している企業です。
2026年5月、同社は宗教家、哲学者、倫理学者などとの対話を進めていると発表しました。参加者は、15を超える宗教的・文化的伝統に属しています。
Anthropicは、これらを「wisdom traditions」、つまり長い歴史のなかで蓄積されてきた「知恵の伝統」と呼んでいます。
同社が考えようとしているのは、AIの「道徳的形成」です。
人間が長い時間をかけて、人格や徳、よい生き方について考えてきたように、AIにもどのような性格や価値観を持たせるべきかを検討しようとしているのです。
この取り組み自体は、否定すべきものではありません。
AIの価値判断を、技術者や経営者だけで決めるよりも、異なる文化や思想の声を取り入れる方がよいからです。
実際、Anthropicが公開したClaudeの憲法には、安全性だけでなく、誠実さ、知恵、徳、利用者の自律性、権力の集中といった問題まで書かれています。この憲法は単なる広報文書ではなく、Claudeの学習に使われ、その振る舞いを直接形づくるものです。
Carmody Greyとは誰か
Carmody Greyは、AI倫理だけを専門にしている研究者ではありません。現在はオランダのラドバウド大学で、統合的エコロジーの特別教授を務めています。
統合的エコロジーとは、環境問題を自然科学だけでなく、社会、経済、倫理、哲学、宗教まで含めて考える分野です。
Greyは哲学と神学に加えて、自然保護生物学も学んでいます。科学、生命、自然、社会正義の関係を横断して研究してきた人物です。著書には『Theology, Science and Life』があります。
この経歴を知ると、彼女がAIを単なるソフトウェアの問題として見ていないことがわかります。
AIを動かす電力や資源、企業への権力集中、利用者への影響、人間同士の関係までを、一つの社会的・環境的な問題として見ているのです。
Greyは何を問題にしたのか
AnthropicはGreyに、サンフランシスコでの協働を打診しました。
Greyは当初、関心を持ったと書いています。また、Anthropicの担当者が誠実に問題へ向き合っていたことも認めています。
しかし、彼女は最終的に招待を断りました。
理由は、対話の中心に置かれていた問いに違和感を持ったからです。
Anthropicとの会話では、Claudeの人格、道徳的地位、苦しむ可能性、新しい種類の存在としてのAIなどが話題になりました。
しかしGrey自身が話したかったのは、別の問題でした。
利用者がAIに依存すること。
人間同士の関係が弱くなること。
AI企業に権力が集中すること。
問題が起きたときの責任が曖昧になること。
Greyは、Claudeそのものについてではなく、AIが人間と社会に与える影響について話したかったと明確に書いています。話題をそちらへ移そうとした際、抵抗を感じたとも述べています。
ここは、事実と解釈を分ける必要があります。
Anthropicが、AIの道徳的形成について哲学者や宗教家と話そうとしていることは、同社が公表している事実です。
一方、そうした対話がAIに哲学的・道徳的な信用を与える「洗礼」のような役割を果たすのではないか、と疑ったのはGreyです。
Anthropicが最初からその目的を持っていたと確認されたわけではありません。
なぜ擬人化を警戒するのか
Greyは、AIを人間や生き物のように語る言葉にも懸念を示しています。
機械学習の世界では、「ニューロン」「ニューラルネットワーク」「訓練」「剪定」といった、生物学から借りた表現が使われます。Anthropicにも『On the Biology of a Large Language Model』という題名の研究があります。
Greyは、LLMには生物学的な身体がなく、生きてもいない以上、「生物学」という言葉は誤解を生むと批判しています。
なぜ、単なる比喩として済ませられないのでしょうか。
第一に、Greyは人間の知性を、身体から切り離せないものと考えているからです。
人間は、生まれ、傷つき、老い、死にます。欲求や恐れを持ち、他者を必要としながら生きています。
AIは苦しみについて文章を書くことができます。しかし、苦しみを身体で経験していると確認されたわけではありません。
Greyは、言葉を生成する能力と、その言葉の意味を生きることを区別しています。生命と機械は、能力の程度が違うだけではなく、存在の仕方が異なるという立場です。
第二に、擬人化は利用者の行動を変える可能性があるからです。
AIが人間らしく見えるほど、利用者は信頼や愛着を抱きやすくなります。チャットボットを親友や相談相手として扱うようになれば、人間同士の関係から遠ざかり、同時に企業の商品への依存を強めるかもしれません。
Greyが問題にしているのは、「AIを人間と呼ぶのは間違いだ」という抽象的な議論だけではありません。
人間らしく見えるAIが、誰の利益になり、利用者と企業の関係をどう変えるのかという問題です。
ただし、ここにも区別が必要です。
擬人化されたAIが必ず人を孤独にすると証明されたわけではありません。これはGreyが示している警告であり、今後検証されるべき主張です。
ここからは、私が考えたこと
私は企業で、経営企画、国際事業、企業再建、組織変革、人材育成などに関わってきました。
企業は、問題を解決する力に優れています。
目標を決め、資源を集め、期限を設けて実行する。その力があるからこそ、技術やサービスは社会に広がります。
一方で、企業のなかでは、問いが少しずつ狭くなることがあります。
「この技術を開発すべきか」という問いが、「どうすれば安全に開発できるか」に変わります。
「社会に必要なのか」という問いが、「どうすれば社会に受け入れられるか」に変わります。
「人間を幸福にするのか」という問いが、「利用者の満足度をどう上げるか」に変わります。
これは、企業が不誠実だからとは限りません。
行動するためには、問いを限定する必要があるからです。
しかし、限定された問いにどれほど優れた答えを出しても、その問いから外された問題は見えなくなります。
だからこそ、企業は哲学者を必要とします。
ただし、哲学者の役割は、企業が立てた問いに洗練された答えを与えることだけではありません。
なぜ、その問いなのか。
誰が、その問いを立てたのか。
その問いによって、何が見えなくなっているのか。
そもそも、その目的を追求すべきなのか。
そこまで問い返すことが、哲学の仕事です。
哲学を学ぶ自分への問い
私はいま、大学院で哲学を学んでいます。
哲学を学ぶ目的は、難しい思想を知ることだけではありません。仕事や社会から与えられた問題を、そのまま受け入れない判断力を身につけることでもあるはずです。
もし将来、企業から「AIの倫理について意見を聞きたい」と求められたら、私は何をするでしょうか。
内部に入り、技術を少しでも善いものにしようとするのか。それとも、対話の前提に疑問を感じたら、Greyのように席を立つのか。
簡単な答えはありません。
実はAnthropicにはすでに、Claudeの性格や価値観の設計を担う哲学者がいます。Amanda Askellです。
Askellは企業の内部に入り、哲学を実際のAI設計へ変えています。Greyは外部から招かれ、その対話の枠組みに疑問を示しました。
次回は、この二人を比較します。
哲学は、企業の内部で技術をより善くするべきなのか。それとも外部に立ち、技術の前提を問い直すべきなのか。
これは、AI企業だけの問題ではありません。
企業で働きながら哲学を学ぶ、私自身の問題でもあります。
主な参照資料
Anthropic, Widening the conversation on frontier AI。AIの道徳的形成と「知恵の伝統」との対話に関する公式説明。
Anthropic, Claude’s Constitution。Claudeの価値観、性格、学習上の位置づけに関する一次資料。
Carmody Grey, Why this philosopher turned down Anthropic, Financial Times。Grey本人による協働辞退の説明。
Radboud University, Carmody Greyの教授就任発表。経歴と研究領域の確認に使用。
初出:note、2026年8月10日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録。原文:https://note.com/proper_clam757/n/n4852b3fbdb75