『Conversations with an Executioner』英語版書影
『Conversations with an Executioner』英語版書影。画像:Duckworth Books
1949年、ワルシャワの刑務所で、一人のポーランド人が奇妙な監房に入れられました。 カジミェシュ・モチャルスキ。
第二次世界大戦中、ポーランド国内軍の一員としてナチス・ドイツへの抵抗運動に参加していました。 ところが戦争が終わると、今度はポーランドの共産主義政権から危険人物とみなされ、投獄されます。 その彼が同じ監房に入れられた相手の一人が、ユルゲン・シュトロープでした。
ナチ親衛隊、SSの将軍です。 1943年、ワルシャワ・ゲットーでユダヤ人たちがナチスに武装蜂起すると、シュトロープはその鎮圧を指揮しました。 ゲットーは徹底的に破壊され、彼自身の報告では5万6千人以上のユダヤ人が殺害または拘束されました。米国ホロコースト記念博物館には、シュトロープが作成した報告書と写真が現在も残されています。 その男とモチャルスキは、255日間、同じ四つの壁の中で暮らすことになります。 私はこの話をThe Guardianで読んで、少し考え込んでしまいました。 モチャルスキがやろうとしたことが、普通ではなかったからです。

大量殺人者に、話をさせる

敵だった男です。憎んでもおかしくありません。
実際、モチャルスキは戦時中、シュトロープ暗殺計画にも関わっていました。 しかし監房に入った彼は、別のことを始めます。
シュトロープに質問し、その人生について話をさせたのです。そして出所後その話を本にまとめます。 彼が知りたかったのは、単に「何をしたのか」ではありませんでした。 どういう人間が、どのようにして大量殺人者になるのか、でした。 シュトロープは死刑を待つ身でした。モチャルスキは後に、絞首台の影にいる人間は話したくなるものだ、と振り返っています。 そしてシュトロープは、本当によく話しました。 少年時代のこと。
SSで出世していったこと。
ヒトラーやナチズムについて。
戦争について。
ワルシャワ・ゲットーについて。 しかも、ほとんど反省していません。 それだけなら、残虐な戦犯の記録として理解できるかもしれません。ところが、もっと不気味な場面に出会します。 あるときシュトロープは、狭い監房の中で馬の乗り方を実演し始めたといいます。細かく馬の鳴き声まで真似したといいます。そして女性についてのくだらない話も繰り返します。 大量殺人を指揮した人間が、いつも悪魔のような顔をしているわけではないのです。 馬の話をする。
女性の話をする。
昔を懐かしむ。
自分の出世を誇る。
そして、大量殺戮についても話す。 そのすべてが、同じ一人の人間の中にある。
そこに、この本の怖さがあります。

怪物は、怪物の顔をしていない

私たちは巨大な悪を見ると、その実行者も巨大な怪物だったのだと思いたくなります。 その方が安心できるからです。 自分とは違う人間だった。
異常な人間だった。
狂信者だった。 そう線を引けば、こちら側は安全な気がします。
異質なものへの説明が自分の中でつくから。 しかしシュトロープを255日間見続けたモチャルスキの記録は、その線を曖昧にします。 もちろん、シュトロープは「普通の人だから仕方がなかった」のではありません。彼は最後までナチズムを信じた、悔い改めないファシストでした。大量殺戮に自ら加担し、その責任を負うべき人間です。 だからこそ、むしろ怖い。 人間は、日常生活を持ったまま、強烈なイデオロギーを信じることができる。家族を愛しながら、別の人間を人間として扱わないこともできる。冗談を言いながら、残酷な命令を出すこともできる。 悪は、人間性が完全に消えたところからだけ生まれるわけではない、ということがわかります。

「Ordnung」という言葉

The Guardian の記事の中で、私が特に引っかかった言葉があります。 Ordnung。 ドイツ語で「秩序」です。 モチャルスキが知りたかったのは、なぜ一部のドイツ人が大量殺人者となり、自分たちの「秩序」を世界に押しつけようとしたのか、ということでした。 秩序。
本来は悪い言葉ではありません。
社会には秩序が必要です。
法律も必要です。
組織にも規則が必要でしょう。 問題は、秩序そのものが目的になったときです。 秩序に合わない人間を「例外」とする。
例外を「問題」と呼ぶ。
問題を「処理」の対象にする。 そうやって言葉を一つずつ置き換えていけば、その向こう側にいる生身の人間が見えなくなっていきます。 殺すのではない。
中立化する、任務を遂行する。
人を追い出すのではない。
秩序を回復する。
残酷なことをしているのではない。
命令に従っている。 ここまで来ると、怖いのは命令そのものだけではありません。人間が、自分で善悪を判断しなくても生きられる仕組みができてしまうことです。

「悪の凡庸さ」だけでは足りない

この本について、出版社の編集者はハンナ・アーレントの有名な「悪の凡庸さ」を思い起こさせる、と語っています。 たしかに似ています。 アーレントがアイヒマン裁判を通じて見たのも、映画に出てくるような悪魔ではなく、組織や命令の言葉の中で巨大な犯罪に加担した人間でした。 ただ、シュトロープを「悪の凡庸さ」という便利な言葉だけで片づけるのも違う気がします。 彼は単なる無色の官僚ではありません。 思想を信じていました。
出世しました。
命令しました。
そして、自分のしたことを誇っていました。 ここには「思考しなかった人間」だけではなく、間違った世界観を自分の正しさとして生きた人間がいます。 私には、こちらの方がアイヒマンよりさらに不気味です。

この本そのものも、権力に翻弄された

この話にはもう一つ皮肉があります。 モチャルスキはナチスに抵抗した人物でした。
それなのに戦後、今度は共産主義政権に逮捕され、長期間投獄されました。釈放されたのは1956年です。 彼は後にジャーナリストとして働きながら、シュトロープの話した内容を丹念に調べ直しました。しかし本は長く出版を禁じられ、ようやく1970年代に雑誌で連載され、1977年に書籍化されたときにも検閲を受けました。 今回、Sean Gasper Bye(ポーランド文学を英語に翻訳しているアメリカ出身の翻訳家)による完全な英訳が刊行され、この本が再び注目されています。もちろん、ナチ体制と戦後ポーランドの共産主義体制を簡単に同じものとして扱うべきではありません。 ただ、一つだけ共通して考えられることがあります。 制度が存在することと、その制度が正しいことは同じではない。そして、制度の中にいる人間が、自分の判断まで制度に預けてよいわけでもないということ。

255日間の記憶は信用できるのか

この本には、もう一つ重要な問題があります。 モチャルスキは監房でメモを取れませんでした。
つまり、私たちが読んでいる会話は速記録ではありません。 彼は後になって、記憶を頼りに255日間の会話を再構成しました。娘によれば、長期の囚人生活の中で、父親は頭の中に一種の「城」をつくり、そこで言葉を保存していたといいます。釈放後には、シュトロープが語った内容を資料と照合していきました。 だから、一言一句そのままの会話だと考えるべきではないでしょう。しかし、だから価値がないということでもありません。これは録音ではなく、記憶と調査によって再構築された、人間観察の記録です。 そしてモチャルスキが観察し続けたのは、一人の大量殺人者だけではなかったのだと思います。 人間が、自分のしたことをどう正当化するのか。
どうやって自分を「まともな人間」の側に置き続けるのか。そして、どこで自分自身の判断を手放すのか。 それを255日間、目の前で見続けた。

判断を手放すということ

この歴史を、現代の会社やAIの話にそのまま重ねるのは雑だと思います。 ワルシャワ・ゲットーで起きたことには、それ固有の歴史と犠牲があります。それを安易なビジネスの比喩にするべきではありません。 それでも、この本が現在の私たちにも残す問いはあります。 私たちは毎日、何かに従って生きています。 法律。規則。慣習。組織。専門家。多数派。
そして、自分が正しいと思っている物語。
その多くは必要なものです。 しかし、「そう決まっているから」という言葉が、自分で善悪を考えなくてよい理由になった瞬間、何かが変わります。 怪物を探しても、おそらく意味はありません。
シュトロープが教えるもっと不快な事実は、怪物が怪物の顔をしているとは限らないことだからです。 笑うこともある。
家族もいる。
冗談も言う。
自分はまともだと思っている。 それでも、人は恐ろしいことができる。 だから見張るべきなのは、遠くにいる「悪人」だけではないのだと思います。 自分が正しい側にいると思ったとき。
秩序を守っていると思ったとき。
命令に従っているだけだと思ったとき。 そのときにもなお、自分で考えているか。 秩序がもっとも危険になるのは、秩序に従うことが、自分で善悪を判断する代わりになったとき、だと思いました。

参考資料

Jo Glanville, “Conversations with an Executioner: a chilling classic reveals the mind of a Nazi mass murderer,” The Guardian, 17 August 2026.
https://www.theguardian.com (Conversations with an Executioner) Kazimierz Moczarski, Conversations with an Executioner, translated by Sean Gasper Bye, Duckworth Books / Steerforth Press, 2026.
初出:note、2026年9月5日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録。原文:https://note.com/proper_clam757/n/n9f1da3393f14
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