ー AI時代に「大学に行かない」選択肢は、後退か、進歩か?
最近、「Z世代は大学に行かなくなっている」という話題をよく目にします。
AIが仕事を奪う時代に、わざわざ高い学費を払って大学に行く意味があるのか、こんな論調です。
代わりに、電気工や配管工といった技能職を選ぶ若者が増えている——そんな記事もよく目にします。
(Z世代の大学進学率は依然高いものの、「大学は唯一の進路」という認識は弱まりつつあるという調査も複数あります。)
一見すると、大学や学問への価値が軽視されているようにも感じられます。
しかし、この The Economist の記事を読んで、ちょっとその見方が変わりました。
この記事が描いていたのは、「大学不要論」ではなく、学びの構造そのものが変わりつつある現実でした。
目次
大学への不信は、感情論ではない
なぜ「技能職」が選ばれ始めているのか
問題は「大学か、技能か」ではない
AI時代に問われているのは「判断力」
大学は終わったのか?
大学への不信は、感情論ではない
記事によれば、アメリカでは「大学教育が非常に重要だ」と考える人の割合が、2010年の約75%から、現在は3分の1程度まで下がっています。
理由は単純です。
・学費が高すぎる。
・そして、仕事につながらない。
特に深刻なのは、AIの影響です。
スタンフォードやハーバードなどの研究では、生成AIを導入した企業ほど、ジュニアのホワイトカラー職を採用しなくなる傾向が確認されています。
その結果、大卒でも最初の仕事に就けず、あるいは学位を必要としない仕事に就き、その状態が長く固定化されてしまう。
これは「努力不足」の問題ではありません。
入口そのものが極端に狭くなっているのです。
なぜ「技能職」が選ばれ始めているのか
一方で、電気工、配管工、昇降機技師、半導体工場の技術者といった職種への関心は高まっています。
理由は現実的です。
第一に、AIに代替されにくい。
AIはコードを書くことはできても、現場で配線を引き直したり、設備の異常を肌感覚で察知したりはできません。
第二に、収入と安定性。
これらの仕事の上位層は、実際、大卒ホワイトカラーを上回る収入を得ています。
第三に、イメージの変化です。
SNSでは、若い職人たちが自分の仕事ぶりを発信し、多くの共感を集めています。
少し X や Instagram などで、検索してみるとわかります。
今、すごいアップされてるんですよね。
#skilledtrades #tradework #tradesman #bluecollar #bluecollarlife #workinghands


かつての「汚い・危険・報われない仕事」というイメージは、静かに崩れつつあります。
ただし、これは「肉体労働が偉い」という単純な話ではないんです。ホワイトカラーよりブルーカラーのほうが優れている、とかいう価値判断の話ではなく。
評価され始めているのは、「身体を使うかどうか」ではなく、判断がどこで行われているかです。
改めて考えると、電気工や配管工、半導体工場の技術者の仕事は、単なる作業ではない。
現場の状況を読み取り、予測し、即座に判断し、手を動かす。その一連のプロセスは、その時その時の状況によって異なるので、マニュアル化しにくく、AIにも委ねにくい。
一方で、これまで知的労働とされてきた仕事の中には、実は「判断」を伴わない定型的な作業が多く含まれていました。
・決まったフォーマットに沿って作るレポート
・既存資料を整理・要約して作るパワーポイント
・過去の事例を当てはめて作る企画書
・マニュアル通りに進める分析や初期的なコンサル業務 など
これらは高度な教育を受けた人が担ってきましたが、
求められていたのは、実際は「正しい型をどれだけ速く、正確に再現できるか」でした。
こうした仕事は、判断の基準がすでに外部化されています。
評価軸も、手順も、ゴールも、あらかじめ決められている。
だからこそ、生成AIが得意とする領域でもある。
AIが置き換えているのは、「頭を使う仕事」ではなく、判断を必要としない知的作業だと言った方が正確かもしれません。
重要なのは、知性そのものが不要になったわけではない、ということ。
むしろ、何をAIに任せ、何を人間が引き受けるかを決める判断力は、これまで以上に人間側に求められて来ると思います。
問題は「大学か、技能か」ではない
この記事で最も重要なのは、別の点にあります。
それは、教育が二者択一になってしまっているという指摘です。
大学に行くか、行かないか。
どちらかを一度選ぶと、簡単には戻れない。
学問と実務が分断され、行き来できない制度が続いてきました。
こうした分断が、制度として最小限に抑えられている国の一つが、スイスです。
スイスでは多くの若者が、義務教育修了後に職業教育を選びますが、それは「大学を諦める」選択ではありません。
職業教育を選んだ若者は、企業で働きながら理論教育も並行して受け、給与を得ながら学びます。
さらに、その後に追加の試験や課程を経て、大学へ進む道も開かれています。
学ぶか働くか、ではなく、学びながら働き、働きながら学び続けることを前提に制度が設計されています。
この仕組みが参考になるのは、技能教育を「袋小路」にしていない点です。
進路選択が早い段階で行われても、それが知的な成長やキャリアの可能性を閉ざすことにはならない。
学問と実務が、対立するものとしてではなく、往復可能なものとして位置づけられています。
こういう好例を見てると思うのは、問題は、「学ぶか、働くか」ではなく、学びと働きが分断されてきたことそのものなのなんだなとわかります。
AI時代に問われているのは「判断力」
私自身、これまで教育やリーダーシップに関わる仕事をしてきましたが、AI時代に本当に価値が残るのは「知識」そのものではないと感じています。
こういう記事を読んであらためて思うのは、問われるのは、何が重要かを判断する力、ということ。
どの情報を信じ、どう行動するか。
この判断力は、机上の理論だけでも、現場経験だけでも育ちません。
抽象と具体を往復する中でしか鍛えられない。
だからこそ、これから最も不足するのは、現場を理解できる知的な人材であり、思考できる実務家なのだと思います。
大学は終わったのか?
では、大学は不要になったのでしょうか。
私はそうは思いません。
ただし、大学に行けばそれで十分、という時代は、確実に終わりつつあります。
学位そのものが価値を失ったのではなく、学位だけでキャリアが保証される構造が崩れ始めています。
いま問われているのは、どの学校に行くかじゃなくて、自分は、どんな学びを、どんな順序で、どんな現場と接続しながら積み重ねていくのか。
学びそのものを設計する力だと思います。
大学を出るかどうかよりも、どう学び続けるか。
その問いから、私たちはもう一度、自分のキャリアを考え直す段階に入っているのだと思います。▪️
● 参考元: The Economist
Ditch textbooks and learn how to use a wrench to AI-proof your job?