またとても興味深い対談を聞きました。
今回も David Perell の How I Write からです。
ゲストは現代アメリカの文壇を代表する作家、ジョナサン・フランゼンで、ここでロングインタビューを見ることができます。
『コレクションズ』『フリーダム』『ピュリティ』『クロスロード』などで知られるフランゼンは、メディアからはよく「シリアスな大作家」の代表のように語られます。
実際、2010年にはTIME誌から「Great American Novelist」と評され、表紙を飾ったことも。

かなり前に彼の作品を読んだことがありますが、難しく、結構気合を入れて読んだ記憶があります。
でも、今回本人が話している創作の秘密は、意外なほどシンプルで、そして徹底して「読者の快楽」と「キャラクターのリアリティ」に向いていました。
この記事では、その対談から特に刺さったポイントを、小説や物語を書く人向けに、日本語で整理してみます!
1. 物語は「小さくて笑える問題」から始まる
フランゼンは自分のことを「キャラクターの小説家」だと言います。
その中心にあるのが、こんな発想です。
主人公のための「たった一文の問題」を見つける。
しかもその問題は、
・世界を救う話でも
・核爆弾の発射コードが盗まれる話でも
ある必要はありません。
むしろフランゼンが好むのは、笑ってしまうくらい小さな問題 だといいます。
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「絶対に飛行機に乗りたくない人を、どうしても乗せたい誰かがいる」
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「どうでもいいように見えるこだわりに、本人は命がけで執着している」
外から見ればくだらない。
でも本人にとっては死活問題。
このギャップそのものが、もうすでにコメディであり、ドラマの種になるといいます。
そして一度「この人は何を欲しがっていて、それに何が邪魔をしているのか」がはっきりすれば、あとは自然に場面が立ち上がってくる、のだと。
◇ポイント
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まず「キャラの人生最大(に見える)くだらない悩み」を一文で書いてみる
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その願望を邪魔する人・状況を、2〜3個ぶつけてみる
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経歴や見た目より先に、「欲望と障害」を描く
キャラクターの履歴書を埋める前に、たった一文の「小さくて笑える問題」を本気で考える。
これだけで、キャラが急に動き出す感覚が生まれるだろう、といいます。
2. 「笑えない主人公」は、読者をしんどくさせる
フランゼンが何度も強調していたのが、「笑い」と「距離感」です。
シリアスだからといって、笑ってはいけないわけじゃない。
むしろ、笑えないシリアスはどこか信用できない。
彼が警戒しているのは、こんなタイプの物語です。
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作者自身が「被害者」意識を強く持っている
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主人公も「私は良い人なのに、悪い人たちにひどい目に遭わされた」と感じている
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物語の構図も「善い被害者 vs 悪い加害者」に固定されている
こうなると、その小説は同じ種類の被害感覚を持つ人にしか届かなくなる。
「私もひどい目に遭った」という読者には刺さるけれど、そこが限界です。
フランゼンが好きなのは、もっと意地の悪い、でも正直な前提です。
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誰も100%善人ではない
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誰も100%悪人でもない
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自分の主人公を、どこかおかしく、どこか滑稽な存在としても眺める
だからこそ、作者自身が主人公を笑えることが大事だと言います。
登場人物が自分では深刻に悩んでいるのに、読者側は「いやそれ…」と苦笑いしてしまう。
その「距離」があるからこそ、物語が呼吸を始める、ということなんですね。
3. 「トラウマ吐き出し」と小説の決定的な違い
インタビューの中で出てきた、今っぽいキーワードが「トラウマ・ダンピング*(trauma dumping)」です。
⇒トラウマ・ダンピング:相手への配慮や適切なタイミング、関係性を考えずに、自分の過去のつらい経験(トラウマ)や深刻な悩みを一方的に、大量に打ち明けてしまう行為で、聞き手に精神的な負担(圧倒されたり、消耗させられたりする)を与えてしまうこと
フランゼンの整理はこうです。
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辛い体験をそのまま書き出すことは、たしかに救いになるし、同じ経験をした人の慰めにもなる
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でもその多くは、「世界の不公平さ」に対する自分視点の訴えにとどまる
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そこには「作者」「読者」「キャラクター」の三角関係が生まれにくい
フランゼンが目指しているのは、次のような関係です。
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書き手としての自分
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目の前の読者
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そして、その二人が一緒に観察する「キャラクターたち」
つまり、「読者と一緒に、いろんな人間の惨めさやおかしさを眺める側」に自分を置く。
それによって、作者と読者は同じ側の観客席に座ることになります。
このとき重要になるのが、自分の恥をどう扱うかです。
フランゼンはこう言います。
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書いていて「ここは恥ずかしすぎる」と感じる場所が必ず出てくる
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そこから逃げようとして、わざと過激・グロテスクな方向にねじ曲げてしまうことがある
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すると今度は「自己嫌悪を書き殴っただけ」のような文章になる
この袋小路から出るためのテクニックは存在しない、と彼は断言します。
必要なのは、自分の恥そのものへの内省。
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そもそも、なぜそこまで恥ずかしいのか
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今回の作品で、本当にそこまで踏み込む必要があるのか
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それとも、別の角度から見れば「笑い」に変えられるのか
フランゼン自身、『コレクションズ』執筆中に、自分の強烈な恥の感覚と向き合い、半年近く書けなくなった時期があったそうです。
最終的には、「その恥そのものを、徹底的に可笑しいものとして描く」ことで突破したと語っています。
まとめると、
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「そのままのトラウマ」を出すだけでは、小説にはならない
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自分の恥を一度「客席」から見直すことで、初めてキャラクターに命が宿る
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読者と一緒に笑えるところまで持っていけるかが勝負
4. ディテールは、実は「2文」で足りる
フランゼンの話の中で、実務的で刺さったのがここです。
長編小説でも、天気の描写に使う行数はトータルで1ページに満たない。
モブ的な脇役なら、本当に必要な描写は2文で足りる。
ただし、その2文を見つけるために、作家は50文くらい書いて、48文を捨てる。
若い書き手は、とにかく「見たもの全部を書こう」としてしまう。
「ドアに歩いていって、ノブをつかんで、回して、開けて…」と、行動を逐一なぞってしまう。
フランゼンが若い書き手に必ず勧めるのは、この2つの問いです。
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この一文は、本当に必要か?
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もっと短く、強く言えないか?
さらに、彼には「クリシェ* は1冊に1個ルール」があります。
⇒ クリシェ:「使い古された決まり文句・表現」を指す言葉
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「シートのように真っ白」「ネズミのように静かに」的な決まり文句
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ありきたりな状況・感情・展開そのものも、広い意味でのクリシェ
フランゼンは、2個目のクリシェを見つけた時点で、その本を読むのをやめると言います。
どれだけ賞を取っている作家でも容赦しない。
理由はシンプルで、
「その言い方、借り物だと自覚した? それを別の表現に言い換えようと、20分でも悩んだ?」
と、書き手に問いかけたとき、「いや、そこまで考えていないだろう」と感じてしまうから。
怖いですね。
借り物の言葉は、借り物の感情とセットになっている。
だからこそ、クリシェは物語の「 vivid な夢」を壊すノイズになる、と彼は言います。
5. 「完全なアウトライン小説」は、なぜつまらなく感じられるのか
物語の構成についてのフランゼンの姿勢も、なかなか過激です。
あまりに完璧に設計された本は、読んだときも
『あまりに完璧に設計された本』にしか見えない。
もちろん、全くのノープランで書くわけではありません。
彼は「どこに着地するか」のイメージは持っている。
でも、
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途中の道筋が最初からガチガチに決まっている本
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細部までアウトライン通りに書かれた本
には、どこか「安全運転の既製品」感が漂うと言います。
フランゼン自身の理想は、
「ゴール地点の方向は見えている。
でも、どの道を通ってたどり着くかは、まだ霧の中。」
その霧の中を進みながら、「自分でも驚く展開」を探し続けるプロセスこそが、読者にとっての驚きを生む。
そして、その探求のカギになるのが トーン、だとしています。
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皮肉っぽい声なのか
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深刻そうでいて、どこか笑いを誘うのか
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ナレーションが、どのくらい主人公に寄り添っているのか/突き放しているのか
フランゼンは、毎朝まず前日書いた200ワードほどを、「今すぐ掲載できるレベル」まで磨き上げてから先に進むそうです。
その過程で、
「あ、これがこの本のトーンだ」
という一文、一段落を見つけた瞬間、物語が一気に走り出す。
ヒップホップの即興で、「フック」を見つけた瞬間に一気にノる感覚に近い、と彼は言います。
6. 中流の、地味な人生から「極端さ」を掘り出す
フランゼンが描いてきたのは、基本的に中産階級の人々です。
特別に波乱万丈な人生ではない。
では、そんな人たちの物語を、どうやって「極端」にしていくのか。
彼の答えは、
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どこか精神的に不安定な部分
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強迫的なこだわり
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一見ささいな恋愛感情や嫉妬
といったスイッチを、意識的に「振り切る」ことです。
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「隣人へのどうしようもない恋心」が、4ヶ月、5ヶ月と続く
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普通なら諦めるか、何となく終わってしまうはずなのに、引き延ばされる
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その間に、日常生活の「仮面」がどんどん剥がれていく
そうやって、中流の、平凡な生活の内部から、極端な感情を掘り出す。
ここに、フランゼンの「静かな過激さ」があります。
さらに彼は、現代についてこんなことも言っています。
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デジタル以前、人は「静かな絶望」の中で生きていたけれど
人生のどこか一カ所に「本当にすべてが動きうる瞬間」があった -
短編小説は、その瞬間だけを切り取って描くのに最適な形式だった
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しかし今は、一日24時間、スマホで気を紛らわせることができてしまう
だからこそ、彼は家族に戻っていきます。
SNSをミュートできても、親や兄弟、パートナーとの関係はミュートできない。
どんな読者にも、何らかの「家族経験」がある。
人々が人生をかけて避けようとしてきたような状況に、
無理やりキャラクターを追い込むのが、自分の仕事だ。
フランゼンはこう言います。
7. 「楽しみのために書き、楽しみのために読む」というラディカルさ
若い頃、フランゼンは「小説で世界を変えたい」と思っていたそうです。
社会的不正を暴き、人々の意識を変える——そんな文学の役割を信じていた。
中年になると、小説を「究極の孤独解消装置」として見るようになった。
100年前の作家と、ページを通じて意識がつながるあの感覚。
そして今、彼が行き着いているのは、もっとシンプルな場所です。
「快楽のために書き、快楽のために読む。」
もちろん、その「快楽」は浅いものとは限りません。
難しい言葉遣いや、あまり使われない文構造を使うこと自体も、フランゼンにとっては「遊び」であり、読者への「贈り物」です。
彼にとっての危険信号はたった2つ。
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「この部分に、ユーモアが見つからない」
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「これを書いていて、全然楽しくない」
政治的立場や、文学の社会的使命感よりも前に、「これは読者と自分にとって、ほんとうに楽しいか?」を問う。
すべてが「立場」や「正しさ」を求められる今の時代において、単に「楽しさ」だけで小説を書くことは、逆説的にとても政治的な態度でもある——
フランゼンの話を聞きながら、そんなことも感じました。
8. フランゼン流・キャラクター小説のチェックリスト
最後に、私が自分用にメモしたチェックリストを共有して終わります。
◎キャラクター設計
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主人公の「小さくて笑える問題」を一文で言えるか
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その願望を邪魔する他者・状況は、2〜3個明確か
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主人公を「被害者」としてだけ見ていないか
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作者として、その主人公をどこかで笑えるか
◎自己との距離
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書いていて異常に恥ずかしい部分から逃げていないか
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その恥を、別角度から「可笑しさ」に変換できないか
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トラウマを「そのまま」出していないか(変形させているか)
◎文体とディテール
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1ページに2個以上のクリシェが紛れ込んでいないか
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「この文は本当に必要?」「もっと短くできない?」を全行に問うているか
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脇役の描写を、2文に絞り込もうとしているか
◎構成とトーン
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ゴールの方向は見えつつ、道筋はあえて曖昧に残しているか
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自分でも「おっ」と驚く展開がどこかにあるか
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本のトーン(語りの声)は、一文で説明できるか
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例:「冷静だけど、どこかニヤッとしている語り」など
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◎テーマと世界
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地味な中流の生活から、「極端な感情」を掘り出せているか
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家族など、誰もが逃れられない関係性を使えているか
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最終的に、「これは読んでいて楽しいか?」と自分に問えるか
フランゼンの話を聞いていると、
「自分のキャラクターを、もっと笑っていい」
「自分の恥から、もっと逃げてはいけない」
この2つが、同じ根っこから生えていることに気づきます。
痛みやトラウマを「そのまま」書くのではなく、読者と一緒に笑えるところまで変換すること。
そこまで持っていったとき、初めてキャラクターは、「本当に生きている」と感じられるということなのだと思いました。■
〇 情報源:Jonathan Franzen: How to Write Truly Great Characters
Author of Crossroads, Freedom, Purity, and The Corrections
by David Perell
Nov 27, 2025