読書という体験には、「読み終わった瞬間」にすべてが完結するタイプの作品と、むしろその後にじわじわと影響を及ぼし続ける作品があるように思う。

カズオ・イシグロの小説は、まさに後者に属する。

静かな語り口と抑制された感情表現の中に、読者の心をとらえて離さない何かが宿っている。

2025年、代表作『わたしを離さないで』は刊行から20周年を迎えた。

WaterstonesのInstagramで、「どうすれば物語が読者の心に“取り憑く”ように残るのか」という問いについて、自身の思索を語っている。

特に『わたしを離さないで』は、その静かな語り口と、どこか説明しきれない哀しみが交差する物語によって、多くの読者を読後もなお「囚われたまま」にしてきた。

英語では時にhauntingとも表現されるゆえんだ。

心に残る物語の力とは何か、記憶に残る作品とはどのようなものか。

 

今回紹介するクリップは、先日紹介したものの続きになる。

カズオ・イシグロが語るこれからの「書くこと」:未来への教訓

 

今回もイギリスの大手本屋、WaterstonesのInstagramから紹介したい。(拙訳)

 

カズオ・イシグロ:読後も心に残る物語のつくり方
作家の世界では、小説は読者を引き込んで、緊張感を持続させるべきだ、という話がよくされます。もちろん、それはとても大事なことです。
でも、読者が読み終えたあとも、心の中に長く残り続けるような物語を書くにはどうすればいいのか。数時間とか、数日間だけじゃなくて、何週間、あるいは何ヶ月、理想的には何年も記憶にとどまるような――。この問いは、私にとってますます重要になっています。
私自身が読者としてそういう作品に出会ったとき、それがなぜ心に残るのか、実ははっきりとはわかっていません。本を読んだり映画を観たりして、長い年月が経ってもずっと頭から離れないものがある。だけどその「残る理由」が何なのか、いまだによく分からないのです。
読んでいる最中はすごく好きだと思った作品でも、読み終わったらそのまま消えてしまうものも多い。もし、その違いの「要素」を突き止めることができたら、偉大な作品を書くための鍵を手にすることができる、と私は確信しています。でも、まだ完全には分かっていません。
ただ、いくつか仮説はあります。その一つは、「完全には解決されないこと」が、作品に残響を与える重要な要素ではないかということです。
一般的には、物語のすべてがきちんと収束すべきだ、という考え方が強いと思います。そして確かに、それも大切です。でも、もしすべてがあまりにもきれいに収まりすぎてしまうと、逆に心に残らない。だから、目指すべきは、たくさんのことがきちんと整理されつつも、いくつかの本質的なことがあえて未解決のまま残されている、そういうバランスだと思います。
そして、その「未解決の部分」は、人間の心や感情の奥深くに触れるような、核心的なものである必要があるのです。私にとっての偉大な作品の多くは、まさにそういう構造を持っています。

 

 
 
 
 
 
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イシグロは、読者の心に残り続ける物語には「すべてを語りきらない余白」が必要だと語っている。

読者を引きつけ、物語を最後まで読ませる技術はもちろん重要だが、それだけでは足りない。

むしろ、すべてを明瞭に語り尽くしてしまったとき、作品は読後に静かに消えていく。

記憶に残る物語には、何かが「語られずに残っている」必要があるのだ。

 

その考えは、『わたしを離さないで』において明確に体現されているように思う。

物語の核心には、解き明かされない問いがいくつもある。

 なぜ登場人物たちは、あの運命に逆らおうとしなかったのか。

 「提供」という制度を受け入れるしかなかった彼らの感情は、どこまでが納得で、どこからが諦めだったのか――。

 

物語の中では、そのような問いに明確な答えが与えられることはない。

だが、その不完全性こそが、読者に強い余韻を残し、長く記憶にとどまらせるのではないだろうか。

 

イシグロの筆致には、派手な展開や激しい感情の爆発はほとんどない。

むしろ淡々とした語り口のなかに、感情の揺れや切実さが静かに織り込まれている。

その抑制された文体によって、登場人物たちの内面が深く読者の心に染み込んでいく。

語られなかったこと、見過ごされた沈黙、曖昧にされた感情――それらが物語の中で響きとなり、読後にじんわりと残る。

 

このような「語りすぎない美学」は、日本文学における「もののあはれ」や「余白の美」という感性にも重なる気がする。

イシグロ自身はイギリスで育った作家だが、彼の作品にはどこか日本的な情緒や価値観がにじむ。

それが、英文学としての構造の中に独自の深みと静けさをもたらし、世界中の読者に長く愛される理由の一つとなっているのだろう。

 

「すべてを語りきらないこと」。

それは決して説明不足ではなく、むしろ読者の感情や想像力に深く働きかけるための意識的な選択だ。

イシグロの作品は、語られなかったことによって、語られた以上の深みを持つ。

『わたしを離さないで』が20年経ってもなお読み継がれているのは、読者一人ひとりの中に、それぞれ異なる「解かれなかった問い」が残るからだろう。

 

彼の語った「未解決のままにしておくこと」の大切さは、単なる技法ではなく、文学という表現がいかに人間の感情や記憶と向き合うかという、根源的な問題への応答でもある。

私たちは物語を読むことで何かを知り、時には何かを失い、そしてその「わからなさ」を抱えたまま、物語の外側へと歩みを進めていく。■