ー 中東で学んだ、正しさと信頼のあいだにある距離

アルコール0%の醤油を作ること自体は、技術的な仕事でした。ものづくりの観点からは、簡単なことではありませんが、メーカーとして挑戦を受けることはできます。

しかし、本当に難しいのはさらにその先でした。
それを実際に誰かの食卓に置いてもらう。
ここは、技術の話だけでは終わりませんでした。

中東・アフリカ地域の営業を担当していた頃、私はノンアルコール醤油の商品開発に関わりました。イスラム圏の家庭やレストランでも安心して使ってもらえるようにするための、いわば「規格対応」の仕事です。

醤油そのものの基本は、新入社員の頃に学んでいました。原料、発酵、香り、うまみ、品質管理。醤油がどう作られ、どう味が設計され、どう商品として世に出ていくのか。その基礎は、会社に入ったときに教わります。

けれど、中東担当になって初めて学んだのは、別のことでした。「現地の規格に合う」正しいレシピを作っても、それだけでは人の食卓には届かない、ということです。

醤油には、発酵の過程でごく微量のアルコールが自然に生まれます。だから、イスラム圏向けの商品としては、それをどう扱うかが大きな論点になります。

技術的には、やるべきことは明確でした。
アルコールを含まない配合を作る。成分を確認する。必要な認証を取る。パッケージに表示する。現地の代理店に説明する。現地の公的機関から認証を受ける。

研究所は、数値の整ったレシピを仕上げてくれました。成分表を見れば、誰にでも説明できる。アルコールは入っていない。規格にも合っている。だから大丈夫です、と言える。

これで話は進むはずでした。
でも、現地に行くと、そうはいかないんですよね。
なにをもって、「現地の規格に合う」といえるのか。

宗教指導者、輸入業者、家庭の主婦、レストランのシェフ、小売店の担当者。それぞれが、「何が許されるか」について、少しずつ違う感覚を持っていました。

成分表に「アルコール0%」と書いてあることと、その人が「これは自分の家の食卓に置いてよいものだ」と感じることの間には、数値では測れない距離がありました。

ある地域では、成分表示よりも宗教指導者の一言の方が重かった。ある家庭では、「日本から来たものだから」という理由だけで、少し警戒された。ある商談では、商品の話に入る前に、私たちが現地の食習慣や祈りの時間をどれだけ理解しているかを見られていました。

そこでは、商品だけが審査されていたわけではありません。

私たちが何を理解しているのか。
何を軽く見ているのか。
その土地の人たちが大切にしているものに、どれくらい敬意を払っているのか。
それが見られていたのです。

正しいレシピを持って行くだけでは、誰も動きませんでした。

食卓までの距離は、翻訳できない

もちろん、これは単なるハラール対応の話として説明できます。
規格に合わせて成分を調整する。認証を取る。パッケージに表示する。販路を開拓する。そう説明すれば、ビジネス上の筋は通ります。

でも、現地で起きていたのは、それだけではなあということなんですよね。
そこにあったのは、信頼が生まれるまでの遅さです。
正しいことを言っても、すぐには届かない。
証明しても、すぐには安心されない。
資料を出しても、それだけでは食卓に入れてもらえない。

食べ物は、単なる商品ではありません。
食べ物は身体に入ります。
家族の中に入り、祈りや生活のリズムの中にも入っていきます。
だから、成分表が正しいだけでは足りない。

その商品が、自分たちの生活の「内側」に入ってきてもよいものなのか。
そこに違和感はないのか。
自分たちが大切にしてきたものを、知らないうちに汚すことにはならないのか。

そうした問いが、言葉になる前に、その場に漂っていました。

市場に入るとは、棚に並ぶことではない。
誰かの生活の内側に入れてもらうことです。

翻訳できないもの

私はこれまで、The Untranslatable という視点に惹かれてきました。Substackでもこのテーマを取り上げています。
翻訳できないもの。
他の言語に置き換えきれないもの。
ある土地、ある文化、ある歴史の中でしか、本当には意味を持たないもの。

ただ、あのノンアルコール醤油の仕事を思い出すたびに、翻訳できないものとは、単に外国語の美しい言葉のことではないと分かります。

翻訳できないのは、言葉そのものではない。
むしろ、その言葉が置かれている生活です。
祈りです。
警戒心です。
信頼です。
食卓までの距離です。

「アルコール0%」は翻訳できます。
「ハラール」も説明できます。
成分表も、規格も、認証も、別の言語に置き換えられます。

でも、「これはうちの家族に出してもよい」と感じるまでの距離は、簡単には翻訳できません。
そこには信仰があります。
育ってきた食文化があります。
家族への責任があります。
知らないものへの警戒や、外から来たものに対する記憶もあります。

AIは、これからますます多くの言葉を正確に翻訳するでしょう。規格も調べてくれる。市場調査も整理してくれる。宗教上の注意点もリストアップしてくれる。営業資料も、現地語に整えてくれる。

それでも、最後に問われるのは別のことだと思うのです。

その言葉は、その場所でどう響くのか。
その商品は、その人の生活にどう入っていくのか。
その正しさは、誰にとっての正しさなのか。

そこを読まなければ、正しい答えは空中に浮いたままになります。

「文脈的知性」という言葉では、まだ足りない

これを「文脈的知性」と呼ぶこともできます。
表面的な情報や単一の解決策に頼らず、置かれた状況、文化、時代背景、人間関係を読み取り、その場にふさわしい判断を導き出す力。

たしかに、それは大切です。
けれど、この言葉だけでは少し足りません。
「文脈的知性」という言葉は、どこか外側から風景を観察しているように聞こえます。分析し、分類し、理解する力のように響きます。

でも、現場で必要だったのは、もう少し身体に近いものでした。

相手が少し黙ったとき、その沈黙が拒絶なのか、思案なのか、礼儀なのかを感じ取ること。
こちらの説明が正しいのに、なぜか空気が動かない瞬間に気づくこと。
会議のあと、本当に話すべきことは会議室ではなく、食事の席で始まるのだと分かること。
祈りの時間が近づいたとき、話を続けるべきではないと察すること。

それは単なる知識ではありません。
その場に身を置き、自分もまた少し試されながら、相手の世界に入れてもらう感覚です。
日本語で言えば、「空気を読む」「間合いを測る」「察する」に近いのかもしれません。
でも、それも完全ではありません。
中東にも、アフリカにも、ヨーロッパにも、東南アジアにも、それぞれの「言葉になる前の了解」があります。

私はブラジルで生まれ、メキシコ、シンガポール、マレーシア、フランス、イギリス、香港など、いくつもの場所で暮らし、働いてきました。

どの土地でも、最初に必要だったのは、正解を覚えることではありませんでした。

その場所では、何が語られずに了解されているのか。何を言うと距離が縮まり、何を言うと閉じてしまうのか。何を知らないことが、ただの無知ではなく、敬意の欠如として受け取られるのか。
それを探ることでした。

では、この感覚はどうすれば少しずつ鍛えられるのでしょうか。

迷ったことを、その日のうちに書く

私は、この感覚は鍛えられると考えています。
ただし、フレームワークを覚えるだけでは足りません。
私の場合、それはまず「分からなかったこと」を書き出すことから始まりました。

現地で何が分からなかったのか。
なぜ、あの説明では空気が動かなかったのか。
相手はどの瞬間に黙ったのか。
自分は何を急ぎすぎたのか。
何を分かったつもりになっていたのか。

その日のうちに書き出してみる。
すると、自分がどこで的を外していたのかが、少しずつ見えてきます。
実際には、とても地味なことです。
自分の誤解を、なかったことにしない。
分からなかった自分を、恥ずかしいからといって消さない。
相手の反応を、「理解が足りない人たちだ」と片づけない。

そこからしか、文脈を読む力は育たないと思うんですね。AIは、文章を整えてくれます。分析も助けてくれます。論点も補ってくれます。
しかし、自分が何を分からなかったのかを、恥ずかしさごと引き受けることはできません。
そこは、人間がやるしかありません。

誰の食卓には、まだ置けないのか

あのとき、私はアルコール0%の醤油を売ろうとしていました。でも本当は、醤油を売っていたのではなかったのでしょう。

見知らぬ土地の食卓に、こちらのものを置いてもらえるかどうか。その許しを得ようとしていたのだと思います。
それは、認証だけでは得られませんでした。
成分表だけでも得られませんでした。
正しい説明だけでも得られませんでした。

必要だったのは、その土地の人たちが何を大切にしているのかを、こちらが本当に理解しようとしていると伝わることでした。

これは、ビジネスの話です。
同時に、リーダーシップの話でもあります。

正しい答えを持って行っても、誰も動かない場所がある。

だから、問いはいつもここに戻ります。

今、自分が「これが正解だ」と信じているものは、どんな文脈の中でしか通用しないものなのか。

そして、その正解は、誰の食卓にはまだ置けないものなのか。◾️

私のSubstack〈The Untranslatable〉では、今回のようなテーマをさらにグローバルな視点から、英語でディープに考察しています。
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初出:note、2026年7月16日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年10月15日)。原文:https://note.com/proper_clam757/n/nafbbb41462ea

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