「最近の子どもは本を読まなくなった」

そう聞くと、私たちは原因を子どもの側に探しがちです。

スマートフォンばかり見ているから。
動画やゲームの方が刺激的だから。
長い文章に集中できなくなったから。

しかし、2026年7月17日に英国下院教育委員会が公表した報告書『Reading for Pleasure』は、別の問いを立てています。

社会は、子どもが本を楽しめる環境を十分に用意しているのか。

同委員会は、読書離れを教育だけの問題ではなく、社会全体の課題と位置づけています。すべての学校への図書館整備や、子どもへの図書館カードの発行などを提言しました。

この視点に立つと、読書離れは本人の意欲だけでは説明できません。

読書を可能にする環境の問題が見えてきます。

「読める」と「読みたい」は違います

英国の報告書が扱っているのは、識字能力や読解力だけではありません。

テーマは、Reading for Pleasure——楽しみのための読書です。

文字を読めることと、自分から本を手に取ることは同じではありません。読む技術は教えられますが、読書を好きになるよう命じることはできません。

子どもが本を読む最初の理由は、必ずしも「役に立つから」ではありません。

面白いからです。
続きが知りたいからです。
自分とは違う世界へ行けるからです。

児童文学作家の角野栄子さんは、読書を「すぐに答えが出ない、隙間の時間」と表現しています。

ページをめくりながら、「これから何が起きるのか」「自分ならどうするか」と考える。その時間が想像力を育て、自分の言葉につながっていくといいます。

角野さんが設立に関わった「魔法の文学館」には、自ら選んだ児童書が置かれています。願っているのは、子どもが「好きな本を見つけて最後まで自分で読む」経験です。

https://kikismuseum.jp/

読書は、効率よく答えを得る行為ではありません。
すぐには答えの出ない時間にとどまり、その間に自分なりの世界をつくる行為です。

だからこそ、読む技術を教えるだけでは足りません。自分で本を選び、その世界に入っていく経験が必要です。

読書離れは、意志の弱さだけでは説明できません
英国のNational Literacy Trustは、2026年に子どもと若者を対象とする大規模な読書調査を実施しました。

(National Literacy Trust: イギリスの独立系慈善団体。子どもから大人まで、人生を切り拓くために必要な読み書き・コミュニケーション能力(リテラシー)を身につけ、教育や雇用の格差をなくすことを目的として活動。)

自由時間の読書を楽しんでいると答えた8歳から18歳は36.1%。前年からは回復しましたが、長期的には低い水準です。毎日読書をすると答えた割合も20.3%にとどまり、社会経済的な格差は広がっています。

こうした数字を見ると、若者の関心が本からスマートフォンへ移ったと説明したくなります。
でも実際には、読書を妨げるのはスクリーンだけではないんですよね。

そもそも本が家にない。
図書館がない、あっても遠い。
静かに読める場所がない。
親にも時間や経済的余裕がない。

その状況で「もっと読みなさい」と言っても、社会の問題を本人の努力に置き換えているだけです。

人は、目の前にない選択肢を選べません。
必要なのは「努力」ではなく「仕組み」です

そこで、英国下院教育委員会が提言したのは、子どもに努力を求めることではありません。

すべての学校に図書館を整備すること。
出生時から公共図書館にアクセスできるようにすること。
学校の時間割に図書館を利用する時間を設けること。
図書館を支える人材と予算を確保すること。

つまり、読書を個人の善意や家庭環境だけに任せず、社会として保障しようとしています。

本を読むかどうかは個人の選択です。
しかし、その選択が生まれる条件は、個人だけではつくれません。

日本にも、子どもの読書を社会全体で支える理念があります。「子どもの読書活動の推進に関する法律」です。2023年に閣議決定された第五次基本計画では、次の四つが基本方針とされています。

不読率を下げること。
多様な子どもの読書機会を確保すること。
デジタル社会に対応した環境を整えること。
子どもの視点に立って読書活動を進めること。

文部科学省は、家庭、地域、学校を含む社会全体で取り組む必要性を明記しています。つまり、日本でも読書は本人や家庭だけの問題とは考えられていません。

ただし、計画があることと、子どもの日常に本があることは別です。

図書館という部屋があっても、魅力的な本がなく、案内する人もいない。立ち寄る時間もない。それでは十分に機能しません。
建物だけでは、インフラにならないんですよね。

文化は、アクセスから始まる

読書だけの話ではありません。
美術館へ行くこと。
音楽を聴くこと。
哲学に触れること。
古典を読むこと。

私たちは、これらを個人の関心や教養の問題として考えます。でもその前には、誰かが用意した入口があります。

家に本があった。
先生が一冊を勧めてくれた。
近所に図書館があった。
親が美術館へ連れて行ってくれた。

文化への関心は、本人の内側から突然生まれるわけではありません。
まず、出会える場所が必要です。

[画像省略]

イタリアの服飾経営者ブルネロ・クチネリは、事業で得た富を、教会、街道、劇場、図書館など、地域の文化的基盤へ戻してきました。

2027年には、本拠地のあるソロメオ村に6万冊を所蔵する図書館が完成する予定です。

彼がつくっているのは、本を保管する建物だけではありません。本に出会う可能性が、日常の中にある社会です。
文化を大切にするとは、その価値を語ることだけではありません。次の人がそこへ入れる入口をつくることです。

https://solomeo.it/en/art-and-culture-in-the-hamlet/the-universal-library

本を読む大人も、インフラの一部

読書を支えるのは、施設や予算だけではありません。
子どもの前で本を読む大人も、その一部です。
読書文化は、「本を読みなさい」という言葉だけでは伝わりません。
本を読み、それについて話し、楽しんでいる人が近くにいることで伝わります。
読書が勉強ではなく、生活の一部として見えること。
それもまた、社会が用意できる環境です。

子どもに求める前に、社会に問う

子どもの手が届く場所に、本はあるでしょうか。
自分で選べるだけの種類があるでしょうか。
成績や課題から離れて、ただ楽しめる時間があるでしょうか。
本について話せる人がいるでしょうか。

読書は個人の習慣です。
しかし、その習慣を可能にするのは、本、図書館、時間、場所、そして人です。だから、読書離れを子どもの問題だけにしてはいけません。

読書は、習慣である前に社会のインフラです。
そして、そのインフラが支えているのは読解力だけではありません。すぐに答えを求めず、自分の言葉を育てる時間です。

「本を読みなさい」と言う前に、私たちが残すべきものがあります。
本と出会える場所です。◾️

[画像省略:クチネリ: アウレリウス新人文主義アカデミーより]


主な参考資料

* House of Commons Education Committee, Reading for Pleasure, 17 July 2026.

* House of Commons Education Committee, “A library in every school,” 17 July 2026.

* National Literacy Trust, Children and Young People’s Reading in 2026, June 2026.

* 文部科学省「第五次『子どもの読書活動の推進に関する基本的な計画』」2023年3月28日閣議決定。

* 日本経済新聞「角野栄子『魔女の宅急便』40年 誰でも一つ、持つ魔法」2025年3月3日。

* 日本経済新聞「ブルネロ・クチネリさん 人の尊厳と美を追究、新時代のブランド築く」2026年1月20日。

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初出:note、2026年7月22日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年10月15日)。原文に掲載されている第三者の画像は、権利上の理由により本アーカイブでは省略しています。原文:https://note.com/proper_clam757/n/nb05904ae0e3a

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