祖先の土地に戻れば、自分の「本当の居場所」が見つかる。私たちは、そんな物語をどこかで期待しがちです。

ところが、オーストラリアの作家、オマール・ムサがマレーシア領ボルネオ島を訪ねて見つけたのは、少し違うものでした。

家族のルーツがある土地に近づくほど、彼は自分が思っていた以上に「オーストラリア人」であることに気づいたのです。

それでも同時に、ボルネオとのつながりは以前より深くなった。そして、自分はある意味ではこれからも「外から来た人」であり続けるだろう、と認めています。

この感覚が、私はとても気になりました。

ボルネオを舞台に、二つの世界を一つの文体にする

ムサの小説『Fierceland』は、2026年のオーストラリア最高峰の文学賞、マイルズ・フランクリン賞を受賞しました。

マイルズ・フランクリン文学賞は、「オーストラリアの生活をあらゆる局面で描き、文学的価値の高い小説」に毎年授与される文学賞です。

物語の中心にいるのは、オーストラリアで育ち、父の死後にマレーシア領ボルネオ島へ戻る兄妹です。二人はそこで、パーム油事業で大きな富と権力を築いた父が残したものと向き合っていきます。

https://www.penguin.sg/book/fierceland/

ムサはこの小説に6年をかけ、21回書き直したそうです。
サバ州のコタキナバルを訪ね、家族や現地の人々から話を聞きました。小説の舞台を「知っているつもり」で書かないためだったのでしょう。

文章そのものにも、その複雑さが残っています。
英語で書かれた小説ですが、冒頭からマレーシア英語でよく使われる「lah」や「bah」、父親を指す「Abah」といった言葉が自然に入り込みます。さらにムサは、ラップのリズムと、マレー世界の伝統的な物語形式である「ヒカヤット」を組み合わせています。

ヒカヤットとは、簡単に言えば、マレー世界に古くから伝わる長い物語の形式です。英雄譚、歴史、恋物語、宗教的な物語など、さまざまな内容を散文や半散文で語ってきました。つまりムサは、現代オーストラリアの話し言葉だけでも、伝統的なマレー文学だけでもない。その両方を自分の文体のなかに置いています。

ただし、ここで大事なのは「二つの文化をきれいに融合した」という話ではないと思います。むしろ、完全には融合しないものを、そのまま残しています。

「外の人」であることは、欠点なのだろうか

今回、自分のアーカイブを遡ってみると、私は10年以上前からマレーシアの作家タッシュ・オーやタン・トゥアン・エンの記事をかなり保存していました。

タッシュ・オーもまた、マレーシアと英国、家族の世界と国際的な作家としての世界、その間に立つ感覚について繰り返し書いています。彼は、東南アジアを一枚岩の文化として描くことそのものに違和感を持っていたといいます。

タン・トゥアン・エンも、自分を「マレーシア文学の代表者」のように扱われることから距離を取っています。

考えてみると、これは不思議ではありません。
ある場所を深く知っていることと、その場所を「所有している」ことは同じではないからです。

私自身、マレーシアを含む複数の国で暮らしてきました。
長く住んだからこそ分かることがあります。

同時に、長く住んでも決して内側の人にはなりきれない部分もあります。
以前なら、その距離は克服すべきものだと考えていたかもしれません。
けれどムサを読んでいると、逆の可能性が見えてきます。

距離があるからこそ、見えることがあるのではないか。

内側にいる人には当たり前すぎて見えないものを、少し離れた位置にいる人は見ることができる。一方で、完全な外部者には感じられない痛みや記憶を、家族や言語を通して知っている。

その中途半端さは、必ずしも弱点ではありません。
むしろ、そこにしかない視点になることがあります。

帰属とは、距離がなくなることではない

海外で長く暮らしていると、「どこの人ですか」と聞かれることがあります。

答えは簡単なはずなのに、ときどき困ります。
国籍の話なら答えられます。出生地も答えられます。今住んでいる場所も答えられます。でも、それらを全部並べても、自分がどこに属しているかを言い切ったことにはならない。

オマール・ムサ の面白さは、その問題を解決しようとしないところにあると思います。

ボルネオに近づいて、自分がオーストラリア人であることを知る。
それでもボルネオへのつながりは深くなる。
外の人でありながら、無関係ではない。

帰属とは、どこか一つの場所との距離が完全になくなることではないのかもしれません。むしろ、自分とその場所のあいだにどんな距離があるのかを知り、その距離に責任を持つことなのではないでしょうか。

そして書くという行為は、ときにその距離を測る方法になります。
あなたにも、離れてみて初めて見えるようになった場所はあるでしょうか。■


Sources

  • The Guardian, “Omar Musa wins Miles Franklin literary award for ‘tour de force’ novel Fierceland”, 5 Aug 2026
  • Penguin Books Australia, Fierceland official extract
  • Honi Soit, “The Forest Is Watching: Omar Musa on Power, Language and Fierceland”, 18 May 2026
  • Malaysia National Heritage Department / Dewan Bahasa dan Pustaka, definitions and background on Malay hikayat
  • Fabio Archive: Tash Aw (2013–2019), Tan Twan Eng (2013–2014) saved materials

初出:note、2026年8月13日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年10月15日)。原文:https://note.com/proper_clam757/n/n0e0a7afdd035

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