好きなことで自分のキャリアを作っておいた方がいいと思う。
もちろんそんなこと言われなくてもわかっている、それができていれば苦労はしない。
ただそこに向けて私たちは力を尽くしているだろうか。
キャリアの方向性なんてある程度、運次第だ。
だからこそ、もがいてもがいて少しでも自分のやりたいことに近づけていかなくちゃいけない。
いっかいこっきりの自分の人生なんだから。
筆者のように中年期になると、今の組織が嫌になったからと他に行こうと思っても、雇い主側は「で、何をしてきた人ですか? うちで何をしてくれますか?」と聞いてくるわけだから、それに応えなくちゃいけない。
もう昔の話で恐縮だが、一番最初に勤めた会社で最初に配属されたのが経営企画部というところで、そこでは、いわゆる経営戦略を考えたり、会社が進んでいく方向を決めて、それを組織内に浸透させるような仕事をしていた。
まあ、言ってみれば社長の御用聞きみたいなところだ。
先輩にコバヤシさんという中年の男性社員がいて、その人は経理が得意な人で、細かい数字周りのことは何でも大体任されていた。
でもコバヤシさんはいつもつまらなそうな顔をしていた。
仕事を楽しんでいないのではないかと思って、それとなく会話をしながら探りを入れてみると、やはり嫌いのようだった。
「コバヤシさん、いつも戦略の分析とか、子会社の財務諸表のチェックとかありがとうございます。やっぱり数字に強いとこういう部署では活かせますね。自分はその辺がからっきしで…」
コバヤシさんはこれまでずっと経理畑で人に感謝されるという経験をあまりしてこなかったようだ。少しうれしそうだった。
「あぁ、まあね。長くやってきたってだけだけど。」
でもやっぱり、自分の力を活かせてて羨ましいですよ、というと少し寂しそうに笑って、
「でも好きな仕事ではないからなぁ」と言った。
「じゃあ、本当にやりたいことって別にあるんですか?」と聞くと、
「あぁ。もっと直接商品を作ったり、開発したりするようなことをしたいんだ、我々はメーカーなんだからさ」と言った。
コバヤシさんとはその後も数か月間、同じ部署で働いた。
でも彼は相変わらず楽しそうではなかった。
そんなある日、「決めたよ、おれ。辞めるわ」と言って本当に転職を決めてしまった。
今の仕事が嫌で辞めるなら経理部に戻ってこいとか、みんなお前の部署(経営企画部)に行きたいんだぞとか、じゃあどこならいいんだ、とか社内の方々からいろいろな形で圧力を受けたようだが、ほだされずにちゃんと辞めた。
後日次の仕事では、どんな仕事をするんですかと聞くと、なんとやはり経理関連だという。
「え、じゃあ今と変わらないじゃないんですか?」と聞くと、
「まあそれしか結局できないからな。ただ次はもっと商品とか、開発に近い現場になるんだ」と本人はいたって前向きに捉えているらしかった。
このときのコバヤシさんとのやりとりから二つ学んだ。
一つは、仕事なんていうものは、結局自分に何ができるかである程度決まっていってしまうということ。
もう一つは、それでも自分が本当にやりたいと思えることに少しずつでいいから、近づく努力をすること。
恐ろしい話だがこれまでの日本の企業では、新入社員は自らの配属先も選べず、たいていは初任配属された部署を皮切りにキャリア形成があっという間に始まってしまう。
どこでスタートしてどんな部署でどんな仕事をするかなんて、選べないから、本当に運任せだと思う。
もちろんやってみたら意外にも自分に向いていたと気づけるものもあるだろうが、ほとんどは、最初から向いていないと思っている時点で好きではないことが多い。
何年やっても好きになれない仕事で自らのキャリアを作っていくのはつらい。
仕事は結局やってきたことで決まっていってしまうから。
特に人生も後半になればなるほどそうだ。
だから二つの軸でやりたい仕事を捉えたらいいと思う。
まずは自分は何が好きで何が嫌いか、をよく認識すること。
その次に、自分は何が向いていて、何が向いていないのか、つまり他者は自分の何をどう評価しているかの第三者視点を持つこと。
この二つの軸の間で調整して、必要なら妥協もしながら、「好き」と、「向いている」、を近づけていく努力が必要なんだと思う。
そしてなにより大事なのが、理想の仕事に近付いているこの長いプロセスを楽しむこと。
難しいけど、この過程の妙を楽しめるようになったら、人生の勝利者だと思う。
山登りだって、頂上にいる時間より、坂を上っている時間の方が圧倒的に長いわけだから。
今日はふとコバヤシさんを思い出して、キャリアのことについて考えてみたりした。
コバヤシさんが開発の現場で仕事ができていることを切に願っています。