ー 突然、2倍以上になった。

今年の「ハヤカワSFコンテスト」に、1012作品が集まりました。例年は400点前後だったそうです。

8月16日の日本経済新聞によれば、同じことはSFだけで起きているわけではありません。「このミステリーがすごい!」大賞は前年比6割増、新潮新人賞も3割増。さまざまな文学賞で応募が増えています。

もちろん、増えた作品がすべて生成AIで書かれたわけではありません。文学フリマの盛り上がりなど、そもそも書く人が増えている可能性もあります。

それでも、一つの変化は起きています。

以前なら、小説を一本完成させるだけでも大変でした。何カ月も書く。途中で行き詰まる。書き直す。それでも最後までたどり着いた人が文学賞に応募する。

いまは生成AIを使えば、構成を考える、資料を整理する、文章を直す、別案を出す、といった作業を大幅に速めることができます。

つまり、一つの作品を完成させ、応募するまでのコストが下がったのです。

すると当然、応募できる人も、送られてくる作品の数も増えていきます。

ところが、選考する側の事情はあまり変わりません。
書くのは速くなっても、読むのはそれほど速くならない。

AIなら短時間に大量の文章を作れます。しかし文学賞の選考では、人間が届いた原稿を読まなければならない。

ここに、新しい非対称性が生まれます。

作品を作るコストは下がる。
しかし、作品を読むコストはほとんど下がらない。

文学賞が直面しているのは、「AIが小説を書けるようになった」というだけの問題ではありません。文章を作るコストが急速に下がる一方で、それを選び、評価するコストは下がっていない、残り続ける。
そんな構造が生まれてきているのだと思います。

AIか人間かを見分ければ済むのか

ただ、問題は作品数が増えることだけではありません。
文章を作るコストが下がれば、私たちはこれまで以上に大量の「完成稿」に囲まれることになります。

そこで、もう一つの問題が出てきます。

完成した文章だけを見て、その文章がどう作られたのか分かるのでしょうか。

簡単なことではありません。

今年の Commonwealth Short Story Prize* では、受賞作品の一つに「AIで生成されたのではないか」という疑いが起きました。外部のAI判定サービスなども疑いを示し、かなり大きな論争になりました。

*イギリス連邦(モントルーや諸国、旧英連邦)加盟国の市民を対象とした、未発表の短編小説に贈られる国際的な文学賞

ところが主催する Commonwealth Foundation が、作者の草稿、タイムスタンプのある文書、メモなど制作過程を調べた結果、AI が作品を書いた証拠は確認されませんでした。最終的に主催者は、受賞作は AI によって書かれたものではないと判断しています。

興味深いのは、完成稿だけでは決着しなかったことです。

必要になったのは、その文章がどう作られたのかという「途中」の記録でした。

これから、こういうことは増えると思います。

たとえば小説家が、AI に登場人物の矛盾を探してもらったとします。

結末を20案出してもらい、19案を捨てた。
資料を整理してもらった。
文章を直すヒントをもらった。
そして最後には、自分ですべて書き直した。

これは「AIが書いた小説」でしょうか。

逆に、ほぼすべてを AI に書かせ、人間が最後に少し手直しした作品も「AIを使った作品」です。

同じ言葉でくくるには、あまりにも違います。

だから私は、「AIを使ったか」という質問だけでは足りなくなっていくと思います。

問われるのは、むしろ、その制作の途中で人間が何をしたのかではないでしょうか。

何を見たのか。
何を選んだのか。
何を捨てたのか。
AI の提案のどこに違和感を持ったのか。
そして、最後にどこで自分で決めたのか。

そこまで考えると、もっと難しい問いが残ります。

何が、その文章を「あなたの文章」にしているのか。

Voice は「文章の癖」ではない

このことを考えていて、文学エージェントの Carly Watters の言葉を思い出しました。

彼女は17年間で約20万件の本の企画を見てきたといいます。その彼女が、作家にとって重要なものとして挙げているのが Voice です。

彼女はこう書いています。

“Voice is your fingerprint.”
Voiceはあなたの指紋だ

ただ、Voice は単なる文体でもないと思います。

短い文章を書く。
難しい言葉を使わない。
比喩が多い。
ユーモアがある。

こうしたものは、たしかにその人の文章の特徴です。

でも、書き方だけなら AI もかなり上手に真似できるようになりました。

Voice は、その一段前にあるものではないでしょうか。

たとえば、二人が同じ雨の日の東京を歩いたとします。
一人は、新しく建ったビルを見る。
もう一人は、そのビルの間に残った古い店を見る。
別の人は、高級店の入口で一人だけ雨に濡れている警備員を見るかもしれません。
同じ場所にいても、目に入るものが違う。

なぜ、それが気になったのか。
なぜ他のものではなく、それを残したのか。
そこから何を考えたのか。

私は、その積み重ねが Voice になるのだと思っています。

何に目が止まるのか。
何を大切だと思うのか。
何に違和感を覚えるのか。
何を捨て、何を残すのか。

そして最後に、それをどう言葉にするのか。
その選択が何度も繰り返されると、「これはこの人の文章だ」と分かるようになる。

Voice とは、その人らしい「ものの見方」といってもいいのかもしれません。

完成稿から消えてしまうもの

私は長いあいだ、読んだものや気になった言葉、思いついたことを保存してきました。さかのぼれば、25年近くになります。昔の記録を読み返すと、おもしろいことがあります。

いまの自分なら書かないことを書いている。
まだ知らないことがある。
間違っている。
迷っている。
そして、ある時点から考えが変わっている。

完成した文章だけを並べても、この変化はなかなか見えません。

この考えは、どこから始まったのか。
最初に何を読んだのか。
なぜ、その一文に引っかかったのか。
途中で何を捨てたのか。
どこで考え直したのか。
最後に、なぜこの結論を選んだのか。

そういうものは、文章がきれいに完成するほど消えていきます。

AI が登場して、このことが以前より気になるようになりました。

調べる。
比べる。
整理する。
反論させる。
自分では思いつかなかった案を出してもらう。
便利だからです。

でも、その途中で、自分は何を見て、何を選び、何を退けたのか。
その記録まで失ってしまうと、完成稿を読み返しても、自分がどこで判断したのか分からなくなります。

だから私は最近、答えだけでなく、考えている途中も残すようにしています。

読んだ記事。
気になった一文。
まだ答えのない問い。
思いついたこと。
AIに聞いたこと。
その答えを読んで「これは違う」と思ったこと。
考えが変わった瞬間。
最後に自分で決めたこと。

一つひとつは、小さな記録です。
でも時間がたつと、それらが一本の線になっていきます。

考えた跡を残すーThe Caipirinha Papers

私は、このための小さな思考記録を形にしてみました。自らのペンネームを冠したシンプルで、ちょっとオシャレな、記入シートです。(笑)
The Caipirinha Papers と呼んでいます。

完成した文章を書くためのものではありません。
完成する前の思考を残すためのものです。

たとえば、
何を見つけたのか。
何が引っかかったのか。
いま何を考えているのか。
何がまだ分からないのか。
どこで考えを変えたのか。

あとから読み返した自分が、そのときの自分ともう一度話せるようにする。

そんなものを作りたかったのです。
(フォーマットはタイトルの写真の通り)

今回の文学賞のニュースを見ていて、この習慣には、私が最初に考えていた以上の意味があるのかもしれないと思いました。

実際、次回のハヤカワSFコンテストでは、生成AIを利用した場合、具体的な使用方法を明記することになりました。

下記のように、場合によってはプロンプトの入出力など、制作過程の提示を求めるため、その履歴も保存しておくよう応募者に求めています。

[画像省略:出典 https://kobonabi.com/hayakawa-sf-contest-15th-2026-2027/]

完成した作品だけではなく、「どう作ったのか」まで問われ始めているのです。

AI が文章を作れること自体は、もう珍しくありません。

これから重要になるのは、むしろ、

何を見たのか。
なぜ気になったのか。
何を選び、何を捨てたのか。
そして、どこで自分で決めたのか。
そういう、人間の思考の跡なのかもしれません。

文章がいくらでも作れる時代だからこそ、残しておくべきなのは、完成した文章だけではなく、そのプロセスだ

私は、そう考えています。◾️

参考情報

日本経済新聞「AI小説が文学賞に殺到 増える選考コスト、公募新人賞は存続できるか」2026年8月16日

Carly Watters, “I’ve Rejected 200,000 Books In My 17 Years In Publishing,” June 27, 2026.

Commonwealth Foundation, “2026 Commonwealth Short Story Prize Update,” June 22, 2026.

早川書房「第15回 ハヤカワSFコンテスト 応募要項」


初出:note、2026年8月26日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年10月15日)。原文に掲載されている第三者の画像は、権利上の理由により本アーカイブでは省略しています。原文:https://note.com/proper_clam757/n/n7543a61c66cf

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