今日は創作者と仕事、二足のわらじについて考えてみます。
20世紀のモダニズム文学を代表する詩人・劇作家の、T・S・エリオット が代表作『荒地』を発表した1922年、彼は銀行員でした。
1917年から1925年まで、ロンドンの Lloyds Bank で外国取引の仕事をしていました。20世紀を代表する詩の一つは、エリオットが専業作家になってから書かれたわけではありません。
だからといって、「忙しくても書ける。エリオットを見習えばいい」という話でもありません。
銀行の仕事は、彼から多くの時間とエネルギーを奪いました。友人のエズラ・パウンドは、エリオットが一日8時間の活力を銀行で使ってしまうことを嘆いています。1921年には健康を崩し、3か月の休暇を取り、イングランド南東部のマーゲイトやスイスで『荒地』を書き進めました。
仕事は生活を支える。
しかし同時に、考える時間や精神の余白まで奪うことがあります。
ポーランドの作家ヴィトルド・ゴンブローヴィチも、亡命先のアルゼンチンで銀行員になりました。1947年12月から1955年5月まで Banco Polaco* に勤め、銀行の図書室や報告書作成の仕事をしながら、『トランス=アトランティック』などを書いています。
(* Banco Polaco(バンコ・ポラコ)は、歴史的にアルゼンチン・ブエノスアイレスに設立されたポーランドの銀行(Polska Kasa Opieki、略称PKO)の現地法人の通称)
調べてみると、文学史にはこうした例がいくらでもあるんですよね。
なので、問いは、「仕事をしながら書けるか」ではなくなってきます。
どんな仕事なら、人は働きながら考え続けられるのか。
ここで、「波止場の哲学者」と呼ばれた、エリック・ホッファーの生き方が参考になります。
なぜホッファーは港を辞めなかったのか
ホッファーは大学で哲学を学んだ思想家ではありません。彼はサンフランシスコの港湾労働者でした。
港で働きながら考え、1951年に『The True Believer』を出版します。本が評判になってからも、彼は港を辞めませんでした。1967年の時点でも、週3日ほど働いています。
その年の『The New Yorker』のインタビューに、印象的な場面があります。
ホッファーは前日に仲間と整理した港の荷物を記者に見せ、自分たちはいい仕事をしたのだ、と誇らしげに説明します。
彼にとって港湾労働は、「本当は思想家なのに、生活のため仕方なくやっている仕事」ではなかったんですよね。目の前の仕事には、自分の第一の仕事としてきちんと取り組む。と同時に、働いている間も頭のどこかには考える余白が残っていたといいます。
ある日、オーストラリアから届いた重いパイプを一日がかりで仕分けしながら、ホッファーは次の本の序文を頭の中で一文ずつ組み立てました。家へ帰ると、それを書き留めます。だから自分はフルタイムの作家にはなれないのだ、と語っています。
港で働いていても、考える自由がある。
誰からも早く書けと急かされない。
一つの考えに一年かけたければ、そうすることもできる。仕事をしているからこそ、書くことまで「仕事」にしなくて済んだのです。
これは面白い逆説です。
私たちは普通、仕事がなくなれば、もっと創造的になれると考えます。
でも、ホッファーはそう考えなかった。
彼にとって生活のための仕事は、創作の邪魔ではなく、考える自由を守る仕組みでもありました。
創作者にとって「良い仕事」とは何か
もちろん、どんな仕事でもいいわけではありません。
仕事を終えるころには、何も考えられなくなっていることもある。時間だけではありません。人間関係や緊張、終わらないメールや会議によって、仕事が頭の中まで占領してしまうこともあります。
だからと言ってホッファーの話から、「肉体労働こそ創作にいい」と一般化するのもちょっと違う。
むしろ、ここから考えたいのは、
良い仕事とは何か。
ということだと思います。
私は、こう考えています。
良い仕事とは、目の前の仕事をきちんとやりながら、仕事の外にいる自分まで失わずにいられる仕事、ではないか。
生活を支えられる。
仕事そのものにも手応えがある。
しかし、自分の精神のすべてを仕事に差し出さなくていい。
本を読む余力が残っている。
考える余白が残っている。
家族や友人を愛する力が残っている。
別の何かに夢中になる力が残っている。
そう考えると、これは作家だけの話ではありません。
人生には「もう一つの本気」があっていい
インドの外交官Navtej Sarnaは、38年間外交官として働きました。駐イスラエル大使、駐英高等弁務官、駐米大使などを歴任しています。
しかしその一方で、小説、短編、旅行記、文学エッセイ、翻訳を書き続けてきました。
本人の公式プロフィールには、writingを “a parallel passion” として追求してきた、とあります。
「並行する情熱」。
いい言葉だと思います。
人生で本気になれるものは、一つでなくてもいい。
仕事に真剣だから、創作が偽物になるわけではない。
創作に真剣だから、仕事を仮の人生として扱う必要もない。
二つの本気が、同じ人生を流れていてもいいと思います。
エリオットにとって銀行は、大きな負担でもありました。ゴンブローヴィチは銀行で働きながら小説を書いた。ホッファーは港で働くことのなかに、考える自由を見つけました。Sarnaは外交と文学を長く並行して生きた。
だから問うべきなのは、
仕事を辞めるべきか、
だけではないと思います。
それより先に、
この仕事は、自分から何を奪っているのか。
そして、
この仕事は、自分に何を残してくれているのか。
と考えてみる。
給与や肩書きだけでは、仕事の良し悪しは測れません。
一日の仕事を終えたあと、自分のなかに何が残っているのか。そこにも、仕事を測る重要な尺度があるのだと思います。
創作者にとっての「良い仕事」とは、よく働いた一日のあとにも、自分の人生が残っている仕事、なのかもしれません。◾️
参考資料
* T. S. Eliot, “T. S. Eliot at Lloyds Bank” — The T. S. Eliot Foundation、1917年3月にLloyds Bankへ入行し、1925年11月に退職した経緯。T. S. Eliot at Lloyds Bank
* T. S. Eliot, “In Eliot’s Own Words: The Waste Land” — The T. S. Eliot Foundation、『荒地』執筆中のエリオット自身の書簡。1921年に「精神的な自由がなかった」と書き、療養先のローザンヌで作品の多くを書いたことも確認できます。In Eliot’s Own Words: The Waste Land
* Witold Gombrowicz Biography — Witold Gombrowicz Museum、1947年12月にBanco Polacoで働き始め、1955年5月に退職したこと、『トランス=アトランティック』をこの時期に執筆していたことを確認できます。Witold Gombrowicz Biography
* Calvin Tomkins, “The Creative Situation” — The New Yorker, 1967、エリック・ホッファーが港湾労働を続けながら考え、書いていた生活を描いた重要なプロフィール。フルタイムの作家になろうとしなかった理由についても本人が語っています。The Creative Situation
* “The Longshoreman Philosopher” — Hoover Institution、Eric Hoffer Papersに基づく伝記資料、1943年に港湾労働者となり、その後約四半世紀にわたって港で働き、『The True Believer』を1951年に出版した経歴を確認できます。The Longshoreman Philosopher
* Navtej Sarna — Official Biography、38年間のインド外交官としての経歴と、writingを “a parallel passion” として続けてきたことを本人の公式プロフィールで確認できます。Navtej Sarna — About
* Robert Fay — Literature & Geopolitics本稿を考えるきっかけとなったRobert Fayの、文学者と職業をめぐる継続的な研究・エッセイの掲載媒体、Literature & Geopolitics
初出:note、2026年9月6日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年10月15日)。原文に掲載されている第三者の画像は、権利上の理由により本アーカイブでは省略しています。原文:https://note.com/proper_clam757/n/n6a6e8ba08178