私が暮らしたことのあるシンガポール西部に、Maju Forestという森があります。
広さは約23ヘクタール。
2026年7月、シンガポール政府は、その約3分の2を開発し、高密度の公共住宅を建てる案を示しました。
すると、大きな反発が起きました。
嘆願書には4万9,000人以上が署名し、8月16日には約2,000人が自然保全を求める集会に参加しました。
政府の調査では、この森で113種の動物が確認されています。そのなかには、保全上重要な種も含まれています。
「それなら森を残せばいい」
と言いたくなります。
でも、この話はそれほど簡単ではないんですね。
ことシンガポールのように狭い国土の場合は特に。
シンガポールでは、HDBと呼ばれる政府系の公共住宅が、多くの国民の暮らしを支えてきました。人口や世帯構成が変わるなか、政府は今後も住宅を供給し続ける必要があります。
つまり、ここで衝突しているのは、
住宅を建てたい政府と、自然を守りたい市民、
という単純な構図ではありません。
住宅も必要です。
森も必要です。
どちらも正しい。だから難しい。
しかも、土地には限りがあります。
23ヘクタールを住宅に使えば、その部分を森として残すことはできない。森として残せば、そこに住宅は建たない。
理念の世界なら、
「住宅供給と自然保護を両立しましょう」
と言えます。
しかし土地の上では、同じ場所を二度使うことはできません。ここに、政策判断の厄介さがあります。
社会問題について話すとき、私たちは「正しい答え」を探しがちです。
環境を守るべきだ。
住宅を供給すべきだ。
子育てを支援すべきだ。
どれも正しい。
けれど実際の政策では、その正しいもの同士が同じ土地、同じ予算、同じ時間を奪い合うことがあります。
Maju Forestでは、それが23ヘクタールという具体的な形で現れました。
政府は批判を受け、当初案より多くの緑地を残す方向で計画を調整するとしています。
それでも問いは残ります。
どこまで森を残すのか。
どれだけ住宅を建てるのか。
他の土地へ移せるのか。
どの選択にも、別のコストがあります。
リーダーに求められるもの
最後は、腹を括る、ということに尽きると思います。
語源を見ると、昔の日本では、腹の中に心や精神の中心があると考えられていたのだとか。そのため「腹に力を入れる」ことで心を決めるという意味につながったそう。
英語にしようとすると、resolve、commit、brace oneself、どれも近いけれど、どれも少し違う。「覚悟を決める」よりも身体的で、「決断する」よりも重い。
失うものがあることを、あらかじめ引き受けてから前に進む、その感覚のこと。
AIは、この23ヘクタールをどう分ければ被害が最小になるか、シミュレーションしてくれるかもしれません。住宅需要のデータも、種の生息数も、経済効果も、瞬時に並べてくれる。
でも、腹は括らない。
結局、AIには失うものが、何もない。
森を諦めるのも、住民の反発を受け止めるのも、100年後に「あのとき、なぜこの決断をしたのか」と問われるのも、いつだって生身の人間だです。
リーダーの仕事とは、結局、そういうことなのだと思います。正しいものと正しいものを比べて、どちらかを選び、その責任を、自分の腹、体で引き受けること。
どちらの選択肢も正しいとき、どちらを選ぶかを、決め切ること。諦めて失ったものと生きていくこと。
腹を括ること。◾️
参考情報
Reuters, “Singapore’s plan to clear forest for housing faces a backlash,” 21 August 2026.
Urban Redevelopment Authority, Singapore, “Liveable and Inclusive Neighbourhoods,” Master Plan 2025, updated 29 July 2026.
Housing & Development Board, Singapore, “2nd Quarter 2026 Public Housing Data and Upcoming Flat Supply,” 23 July 2026.
Originally published on note on 2026-09-10 06:14:59 JST.