AIと文章表現について考えさせられる長い記事を読みました。

What if Readers Like A.I.-Generated Fiction? | The New Yorker

 

読み終えたあと、正直に言うと、少し考えが変わりました。

これまではどこかで、

「AIは文章を書けても、文学は書けない」

そう思っていました。

でも、この記事は、その前提を静かに、でも確実に揺さぶってきました。

 

AIは「それっぽい文章」を書ける、という話ではなかった

記事で紹介されていたのは、ある研究者の実験です。

AIに、特定の作家の文章を学習させ、「この作家の文体で、この場面を書いてほしい」と指示する。

そうすると、最初は、AIの文章は不評でした。

大げさで、感情過多で、人間が書いたものには到底及ばない。

ところが、条件を変えたところ、結果が一変したといいます。

作家の「断片」ではなく、「全作品」をAIに読み込ませたのです。

すると、評価が逆転しました。

 

文章を審査した創作専攻の学生たちは、人間の模倣文よりも、AIの文章を高く評価したのです。

この記事を読んでまず知ったのは、

AIは、ある条件下では「人間より好まれる文章」を書けてしまう

という、かなり重たい事実です。

 

「誰が書いたか」は、想像以上に見分けられない

さらに印象的だったのは、この記事を書いた作家自身が行った追加実験です。

自分の過去作品をAIに学習させ、まだ誰にも見せていない新作の一部を書かせる。

その結果、本人も、友人も、長年の読者も、どちらが人間で、どちらがAIかわからなかった。

この部分を読んで少し考え込みました。

私たちは「文体」や「雰囲気」で作家を読んでいるつもりでいますが、それは多くの場合、細部を一つひとつ点検する読み方ではありません。

語りのリズムや距離感を「感じ取って」はいても、「分析して」いるわけではない。

だからこそ、全体の印象が似ていれば、書き手の違いは簡単に溶けてしまうのだと、この実験は示しているように思えました。

 

それでも「文学は終わらない」と感じた理由

では、この記事は「文学はもう終わりだ」と言っているのでしょうか。

前半だけを読めば、

「もう作家はいらないのでは」

「文学はAIに置き換えられるのでは」

という不安が強くなります。

しかし、この記事はそこで結論づけません。

後半で論点は、

私たちは、そもそも文学を何だと考えてきたのか

という問いへ移っていきます。

私たちは近代以降、文学を

「作者個人の内面表現」

として読むようになってきました。

けれどそれは、歴史的に見れば比較的新しい考え方です。

別の時代や地域では、文学はもっと共同体的で、政治的で、

「誰が書いたか」よりも

「どんな文化や価値を共有するか」が重視されてきました。

この記事は、AIが文学を終わらせるかどうかは、文学をどう定義するか次第だという地点へ読者を導いています。

AIの是非を超えて、文学とは何のためにあるのか

という問いを、あらためて投げ返してきたように感じます。

 

AIは、文化を運ぶ存在でもある

もう一つ、この記事から学んだ重要な点があります。

記事が強調しているもう一つの重要な点は、AIが生成する言葉も、文化や価値観を運ぶということです。

AIの文章は中立ではありません。

その背後には、

  • どの言語を中心に学習しているか
  • どんな未来像を前提にしているか
  • どんな企業や社会の価値観があるか

が必ず反映されます。

表面的には作家の文体を模倣していても、

それは作家本人の文化や歴史を引き受けているわけではない

この記事は、そのズレをはっきり指摘しています。

「誰の声として語られているのか」

この問いは、AI時代の文章を読むうえで、これからますます重要になるのだと思いました。

 

読み終えて残ったこと

この記事は、

「AIは文学を書けるのか」

という問いに、単純な答えを出していません。

むしろ、問いはこう言い換えられています。

・私たちは、文学に何を求めてきたのか

・誰の声として、どんな文化を受け取りたいのか

・言葉を、個人の表現として読むのか、共同体の実践として読むのか

文章を書くこと、読むことの意味を、もう一度考える必要があると感じました。

うまい文章かどうか。

それっぽいかどうか。

感情を動かすかどうか。

それだけなら、AIはこれからも進化するでしょう。

それでも私たちが人間の文章を読むとしたら、

それはきっと、

「誰かが、どんな時間と場所から、その言葉を紡ぎ出しているのか」

を知りたいからなのだと思います。

 

AIの登場を私たちは、

文学を終わらせる出来事ではなく、

文学をどう捉えるかを、もう一度考え直す契機

として捉えべきなのかもしれません。▪️

〇 参考にした主なリソース

The New Yorker 掲載記事

著者:Vauhini Vara

(AIによる文体模倣の実験と、その文学的・文化的含意を論じた長編ルポルタージュ)

※本記事は、The New Yorker誌掲載の記事を主な参照元とし、その論旨と構造をもとに「何が示されていたのか」「そこから何を学べるのか」という観点で整理・再構成しています。

What if Readers Like A.I.-Generated Fiction? | The New Yorker

https://www.newyorker.com/culture/the-weekend-essay/what-if-readers-like-ai-generated-fiction