スターバックスを世界的な企業に育てたハワード・シュルツに、リーダーシップについて考えさせられる逸話があります。

2004年、リーダーシップ研究で知られるウォーレン・ベニスが Fast Company 誌に語った話です。ちなみに、ベニスはもう亡くなっていますが、現代のリーダーシップ論における最高権威と称されたアメリカを代表する経営学者・組織心理学者でした。

シュルツはある海外市場への進出を考えていました。
(おそらく中国市場だったと言われています)
コンサルタントによる調査や分析は進出に否定的で、直属の幹部もほぼ全員が進出に反対していたといいます。スターバックス経営陣はこのときコンサルタンティング会社に50万ドル以上を使っていたともされます。

そこでシュルツはベニスに電話をしました。

「自分にはやりたいことがある。しかし、ほとんどの部下が反対している。どうしたらいいだろう」

ベニスは「進め」とも「やめろ」とも言いませんでした。
彼はシュルツに、自分の instinct、gut、heart――つまり直感や心は何と言っているのか、と問いかけます。そして、自分の心に従ってみてはどうか、と勧めました。

ここまでなら、「優れた経営者はデータより直感を信じる」という話に見えます。

しかし、私はこの逸話の大事なところは、その先にあると思います。

ベニスはシュルツに、部下の反対を無視するようには言いませんでした。むしろ、もう一度彼らと数時間かけて話し、何を心配しているのかをすべて聞くよう助言したのです。

聞いた結果、自分が間違っていると思えば考えを変えればいい。それでも考えが変わらなければ、自分が正しいと思う方向を示し、周囲の協力を求めればいい。

シュルツは実際にその手順を踏み、最後には自分の判断で進出を決めました。

つまり、これは「直感か、データか」という単純な話ではありません。

シュルツは調べています。
専門家の分析も受けています。
自分に反対する人たちの意見も聞いています。
それでもなお、一つの答えにはならなかった。

経営には、そういう場面があります。

新しい市場へ出るべきか。
事業から撤退するべきか。
短期の利益を優先するのか、長期の信頼を守るのか。
優秀だが問題のある人材を残すのか。

情報を増やせば必ず正解が出る問題ではありません。
むしろ重要な判断ほど、どちらにももっともらしい理由があり、最後まで不確実性が残ります。

ここで、もう一つ考えてみたいことがあります。

私たちは、成功した人の判断を後から見るとき、「英断だった」「未来を見抜いていた」と語りがちです。しかし、もし同じ判断が大失敗に終わっていたら、どうでしょう。

50万ドル以上の調査結果を無視した。
部下が反対しているのに押し切った。
自分の直感を過信した。
おそらく、そんな評価にもなったはずです。

成功すれば英断。失敗すれば独断。
「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉もありますね。

大切なのは、結果と判断を完全に同じものとして扱わないことだと思います。良い判断をしても、予想外の出来事によって失敗することはあります。逆に、かなり無謀な判断をしても、幸運によって成功することがあります。

だから、本当に考えるべきなのは、結果を知った現在から「あの判断は正しかった」と言うことではありません。

結果がまだ分からなかった時点に戻っても、その判断の仕方を良いものだと言えるか。

シュルツの逸話が面白いのは、ここです。

そして20年以上たった現在を見ると、スターバックスの歴史そのものも、一つの「成功物語」ではないことが分かります。

2024年度第4四半期には、世界の既存店売上が前年同期比7%減、中国では14%減となり、会社は明確な立て直し局面に入りました。ところが2026年度第3四半期には、世界の既存店売上が7.9%増まで回復しています。(スターバックス投資家情報)

中国事業についても、2026年にはBoyu Capitalとの合弁会社へ移行し、Boyuが60%、スターバックスが40%を保有する形になりました。かつての成功や失敗という一言では捉えきれないほど、経営は長い時間の中で姿を変えていきます。

だから私は、シュルツの話から「自分の直感を信じよう」という教訓を取り出したいとは思いません。

むしろ、できるだけ調べること。
自分と違う意見を聞くこと。
自分が間違っている可能性を残しておくこと。
そのうえで、それでも答えが一つに定まらなければ、自分が何を大切にするのかを決める。

そこにリーダーシップがあるのではないでしょうか。

AIの時代には、この問題はむしろ鮮明になると思います。

AIは大量の情報を集め、選択肢を比較し、リスクを洗い出し、自分では思いつかなかった反論まで出してくれるでしょう。正解のない問題についても、AIは相当なところまで私たちを助けてくれるはずです。

それでも最後には、計算だけでは決まらないことがあります。

何を大切にするのか。
何を失うことなら受け入れられるのか。
どの未来に賭けるのか。
そして、その結果を誰が引き受けるのか。

だから、「答えがある問題は AI に、答えがない問題は人間に」と単純に分けるだけでは、少し足りないのだと思います。

答えがない問題についても、AI を使ってできるだけ考え抜く。それでも最後に残る選択を、自分のものとして引き受ける。

リーダーとは、いつも正解を知っている人ではありません。結果がまだ分からないときに、それでも決めなければならない人です。☕

参考資料

* Fast Company, “Everything You Wanted to Know About Courage… But Were Afraid to Ask,” September 1, 2004.
  Warren Bennis本人によるHoward Schultzとの会話の記録。今回の逸話の中心となる資料です。(ファストカンパニー)
* Starbucks, Q4 and Full Fiscal Year 2024 Results, October 30, 2024.
  2024年の世界・中国での既存店売上の落ち込みを確認しています。(スターバックス投資家情報)
* Starbucks, Q3 Fiscal Year 2026 Results, July 29, 2026.
  2026年時点の回復状況を確認しています。(スターバックス投資家情報)
* Starbucks, Starbucks and Boyu Capital Finalize Joint Venture, April 2, 2026.
  中国事業の合弁化と持分構成を確認しています。(スターバックス投資家情報)


初出:note、2026年8月25日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年10月15日)。原文:https://note.com/proper_clam757/n/n2c1aa379bb01

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