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1. 言葉の通じない土地で

言葉が通じなかった頃、私は人の顔をよく見ていた。 不思議なのは、言葉が通じる日本に戻ってからの方が、人を見なくなったことだ。そしてもっと厄介なのは、「人を見るのは得意だ」と思っていた私自身が、ある人を完全に見誤ったことだった。 私はブラジルで生まれ、イギリスの大学院を出るまで、日本で暮らしたのは小学1年生から4年生までの数年間だけだった。それ以外は、ずっと海外にいた。 学校の最初の記憶は、メキシコ・サルティーヨの小学校だ。
先生が何かを言っている。けれど、私には一言も分からない。この先生は、怒っているのだろうか。怒っているなら、何について怒っているのだろう。 私は先生の表情を見た。指さす先を見た。私の腕をつかむ手の力を感じた。そして、私をどこへ連れていこうとしているのかを、体で読み取ろうとした。 高校時代を過ごしたフランスでも、同じだった。まず、フランス語が分からない。だから、相手の言葉よりも、その人の体が表している意味を解こうとした。眉がわずかに上がる。口元がこわばる。身体がこちらを向いているか、少しだけ背を向けているか。重心はどこを向いているか。
幼いころよりは分かるようになっていたが、やっていることは同じだった。 相手と共有できる言葉を持たないと、人はもっと原始的なところから、相手を理解しようとする。 笑顔の奥に戸惑いがあるのか。
うなずきが本当の同意なのか、ただ会話を終わらせたいだけなのか。
間違えては学び、また間違える。
その繰り返しの中で、私は言葉より先に、人の表情や醸し出す雰囲気を読むことを覚えた。 これまでに暮らしたのは、8つの国。
不思議なもので、その生活が長くなると、自分が異邦人だという感覚は薄れていく。イギリスにいるとき、私はたぶんイギリス人になっていた。振る舞いが変わり、話し方が変わり、気づけばその土地の空気の一部になっている。


2. 言葉が通じる場所に戻って

その感覚が崩れたのは、むしろ日本に帰ってきたときだった。 イギリスの大学院を出て、日本で暮らし始めた頃のことだ。街を歩いていると、ふと日本語が耳に入る。 「あ、いま日本語だった。そうか。自分はいま、日本に住んでいるんだ」 今でも、そんな瞬間がある。 海外では、日本人であるというだけで、私はどこか「違う人」として映っていたのだと思う。けれど日本では、「日本人」というラベルだけでは、何の違いにもならない。 そこで私は、別の言葉で自分を説明するようになった。 ブラジル生まれであること。Fabioという名前。いくつもの国で暮らしてきたこと。初対面の相手には、そうした言葉で自分を伝えてきた。 振り返れば、私は長いあいだ、「違い」を通して、自分も他人も見てきたのかもしれない。 海外では、日本人であることが私を他の人と区別した。
日本に来てからは、ブラジル生まれであることや海外で暮らしてきたことが、その役割を果たした。人を見るときにも、まず違いが目に入った。 高校時代を過ごしたパリでは、人種や背景の異なる若者同士の衝突を目の当たりにしたことがある。同じ学校の仲間が傷つけられるのを見るのはつらかった。だから私は、人は違うから争うのだと思っていた。 ところが日本で暮らしてみると、会社の中で日本人同士がいがみ合っている。満員電車では、押し合いへし合いが起きる。同じ言葉を話し、似た文化の中で暮らしていても、人はぶつかる。 では、人を隔てているのは、本当に「違い」なのだろうか。 頭で分かっていることと、肌で知ることは違う。 日本で暮らし始めて、私はようやく実感した。
言葉が通じることと、分かり合えることは、別なのだ。 違いが小さければ分かり合える、というわけでもない。では、私たちは何をもって『相手が分かった』と思っているのだろう。少なくとも、人が争う理由を「違うから」の一言だけでは説明できない。 そして、もう一つ気づいたことがある。
ここでは、人は、言葉やラベルで相手を理解したつもりになりやすい。 肩書き、経歴、出身校。
「大丈夫です」という返事。 どれも、一人の人間を数語に圧縮した表現にすぎない。 たとえば、昇進して、プレイヤーとしての実績が通用しなくなったとき。
部下が、肩書きだけでは動かないと気づいたとき。
そこで初めて、言葉やラベルでは捉えきれない「人」が見えていなかったことに気づく。 あなたにも、覚えがあるのではないだろうか。


3. 欠けていたところから生まれた力

ラベルをすべて外したら、何が残るのか。 残ったのは、言葉が通じなかったあの頃に身についた、相手の表情を読む力だった。それは今も、私を助けてくれている。 これは、私が生来「持っていたもの」ではない。
むしろ、欠けていたものから生まれたもの。
「言葉が通じなかったという経験」が、育ててくれたものだ。 いくつもの国で暮らしながら、人が求めるものには、驚くほど共通するものがあると気づいた。 認められたい。
大切にされたい。
自分のしていることに意味を感じたい。 現れ方は国ごとに違っても、その奥にあるものはとても似ている。 だから、言葉の外にも、その人について知らせてくれるものがある。 約2800年前に成立したとされるホメロスの『オデュッセイア』にも、よく似た場面がある。 長い旅を終えたオデュッセウスは、ぼろをまとった老人の姿で故郷に帰ってくる。王の名も身分も明かさない。見た目だけなら、ただの老人である。 それでも乳母は、彼の脚に残った古傷を見て、主人だと気づく。さらにその後、求婚者たちには扱えなかった彼自身の弓を、オデュッセウスは扱ってみせる。 名前や肩書きを隠しても、その人が歩いてきた時間は身体に残る。身につけた力は、行動に現れる。 私にも、海外で過ごした時間が残したものがある。 相手と言葉を交わせないとき、私は顔を見た。姿勢を見た。声の調子を聞いた。そうやって人を理解しようとした時間が、いつの間にか「人を見る」という習慣になっていた。 履歴書には書きにくいスキルかもしれない。
けれど間違いなく、私という人間を形づくっている力の一つだ。私は長いあいだ、それを自分の強みだと思っていた。


ただ、この「見る力」には、危険な落とし穴がある。

かつて私が、第一印象だけで「この人とは合わない」と判断した人がいる。その人は今、私のいちばん仲の良い友人だ。

職場でも、似たことは起きる。会議で黙っている部下を「反対している」と読む。短い返事から「やる気がない」と判断する。見えた事実に、自分の説明を重ねてしまう。

この先では、私が友人を見誤った経験をたどりながら、「観察」「仮説」「確認」を分ける方法を、会議や1on1の場面に引き寄せて考える。確かめるときの問い方と、無理に聞かず保留するという判断も扱う。

ここで扱うのは、相手の本音を見抜く技術ではない。自分の見立てを、答えとして扱わないための方法だ。

付属のFIELD SHEETは、2週間で10件を目安に、見えた事実、考えられる別の可能性、確認できたことや保留したことを記録するためのものだ。
4ページの印刷用PDFと、PCで入力できるWord版を用意した。最後に記録を振り返り、自分がどんな場面で相手を決めつけやすいのかを考える。

では、私はあの夜、何を見て、何を見落としたのか。


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初出:note、2026年10月3日(有料記事・無料公開部分のみ収録)。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年10月15日)。原文:https://note.com/proper_clam757/n/n7df91f33dcf4

カバー画像:ピーテル・ブリューゲル(父)《ネーデルラントの諺》(Public domain, Wikimedia Commons/出典)

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