メローニがトランプより教皇を選んだ日と、ローマの見えない重力について。
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外から叩かれると、わかること。
飲み屋で会社の悪口を言っているサラリーマンたちがいますよね。やれ上司が無能だ、組織が腐っている、あの制度はおかしい。散々言う。でも外の人間に同じことを言われた瞬間、急に変わります。「いや、うちにもいいところはあるんだけどね」と。
笑い話のようで、これは案外、国家レベルでも起きることだと思っています。
トランプ大統領が各国と乱暴なやりとりをするたびに、図らずもひとつのことが起きています。
それは、それぞれの国が、普段は見せないものを見せる、ということ。
その国が本当は何を「触れてはいけないもの」として抱えているのかが、静かに浮かびあがる。
今年の春、イタリアで面白いことが起きました。
2026年4月、メローニ首相が、トランプ氏によるローマ教皇批判を「受け入れられない」と公の場で言ったのです。
もともとトランプ氏に比較的近いとされていた人物が、はっきり距離を取った。
ロイターもこれを、両者の関係を試す出来事として報じています。
ここは、一見、外交判断のように見えます。
でも私はこれは、もっと古いからくる判断の話だと思っています。
イタリアとバチカン
イタリアとバチカンは、法的には別の国家です。
1929年のラテラノ条約で、イタリアはバチカンの独立した主権を承認しました。制度の上では、きちんと切り分けられています。
ただ、現実はそれほど単純ではない。
教皇は単なる外国の元首ではありません。
教皇は同時に、ローマ司教でもあります。
現在のレオ14世はシカゴ生まれのアメリカ人ですが、教皇職の座はローマにある。だから教皇がアメリカ人であっても、イタリアから見れば「アメリカの宗教指導者」にはならない。
まず先に、ローマの教皇なんですよね。
ローマという都市は、国家の首都であると同時に、何世紀にもわたるカトリックの記憶が積み重なった場所でもあります。
その記憶は、近代国家になったからといって簡単には消えない。
ここで面白いのは、イタリアとバチカンがずっと仲良しかというと、全然そうではないということです。
移民、家族観、欧州統合。イタリアの右派政権と教皇庁のあいだには、しばしば緊張が走ります。内側では本当によく揉めている。
それでも、外から侵犯されると話が変わる。
メローニ首相が守ったのは、教皇レオ14世という個人というより、「教皇に対してそういう言い方を許してはいけない」というイタリアの象徴秩序だったのではないかと思います。
飲み屋のサラリーマンと、構造は似ています。
内側での摩擦は許される。でも外からの侵犯は、許されない。
トランプが明らかにしていく国家観
奇妙な偶然もあります。
攻撃したのはアメリカ人。守られたのも、アメリカ人の教皇。
でもイタリアが守ったのは、その人の国籍でも宗教でもなく、教皇職というローマの長い記憶です。
トランプ氏が乱暴な言葉を投げるたびに、各国は「自分たちは何者か」を問い直させられています。
イタリアが今回見せたのは、近代国家になってもなお、どこかでローマである、ということだったのかもしれません。
やはりローマは「永遠の都」なんですよね。◾️
初出:note、2026年4月18日。Fabio Caipirinha の恒久アーカイブとして収録(本サイト掲載:2026年10月15日)。原文:https://note.com/proper_clam757/n/na1dd79ae385f
カバー画像:夕暮れのサンタンジェロ城(ローマ)(CC0, Wikimedia Commons/出典)