Paul Krugman(ポール・クルーグマン)といえば、アメリカを代表する経済学者の一人で、NY Timesの著名なコラムニストとして知られる。

2008年度には、ノーベル経済学賞も受賞している。

 

そんなクルーグマンが、最近、NY Timesを去ったらしい。

 

下記の記事にその経緯を書いている。

Departing the New York Times – I left to stay true to my byline

https://contrarian.substack.com/p/departing-the-new-york-times?r=1e0pnc&utm_medium=ios&triedRedirect=true

 

ポイントをまとめてみた。

まとめると、編集の自由の喪失、意見記事の変質、そして伝統的メディアの衰退がその大きな理由。

 

1. 退職の理由:編集の自由が奪われた
・クルーグマンは書くエネルギーやネタが尽きたから辞めたのではないと強調。
・25年間ほぼ自由に執筆できたが、近年編集部の介入が激化し、自分の名前の下で他人のストーリーを書かされていると感じるようになった。
・NYTとの関係が悪化し、もはや留まることはできないと判断。

 

2. かつての自由と現在の制約
・2000~2024年の間、編集者からの干渉は最小限だった。
・記事はほぼそのまま掲載され、編集者の指摘も表現の微調整程度。
・たとえNYTの経営陣が神経を尖らせる内容(イラク戦争反対、社会保障民営化批判など)でも、記事自体は改変されなかった。
・しかし2024年になると、編集のチェックが3段階に増え、改変が激しくなった。
・不必要な修正や、主張を弱める表現が追加されることが常態化。
・記事のトーンが「平坦で無色」になってしまい、編集作業の修正に消耗するようになった。

 

3. ブログとニュースレターの廃止 
・2017年にNYTのブログが一方的に終了され、深い議論の場を失う。
・2021年にはSubstackでより詳細な分析記事を発信するが、NYTがこれに反発。
・妥協策としてNYT内のニュースレターを開設(週2回)。
・しかし2024年9月、突然「更新頻度が多すぎる」という理由でニュースレターが停止。
・これは読者に人気があったにもかかわらず、意図的な抑圧と考えられる。

 

4. 「無難さ」を求める編集方針
・クルーグマンは、NYTの意見欄が読者を刺激しないよう、穏便な内容へ誘導されていると感じる。
・かつてのような鋭い議論を展開できなくなり、「なぜ意見欄が存在するのか?」と疑問を呈する。
・「人々の思い込みを揺さぶるのが意見記事の役割」とし、意図的に読者の反発を呼ぶことが重要だと主張。

 

5. ジャーナリズムにおける「専門性の軽視」
・クルーグマンは事実に基づいた専門的な意見を提供していたが、NYTの経営陣はそれを理解していなかったと指摘。
・ニュースレター廃止後、「他のコラムニストも政策について書いている」と説明されたが、専門知識をもとに分析するのと、単なる意見を述べるのは別物だと反論。
・しかし経営陣はこの違いを理解しておらず、「知識のある意見」と「単なる意見」が混同されている。

 

6. 伝統メディアから独立プラットフォームへ
・NYTを離れることは、単なる個人的な決断ではなく、ジャーナリズムの変化を象徴する出来事だと考えている。
・独立系メディア(Substackなど)への移行が進む中、NYTのような伝統メディアは意見の抑制や編集の硬直化に陥っている。
・クルーグマン自身、NYTの読者を置き去りにすることに後ろめたさは感じつつも、「自由を取り戻した」とし、新たな執筆活動に満足している。

 

7. クルーグマンの結論:「退職は後悔なし」
・NYTには長年感謝しているが、2024年の編集方針は「耐えがたいもの」だった。
・結果として退職は正しい決断だったとし、後悔は一切ない。
・**「ジャーナリズムの役割とは何か?」**を問いながら、より自由な表現の場を求めて新たなステージへ。

 

私見まとめ:伝統メディアの限界と新時代のジャーナリズム 

自由な発言がしづらく、どんな政治的な立場を取るかに過度な注目が集まる昨今のアメリカ。

クルーグマンの例は、今後さらに多くのジャーナリストが大手メディアを離れ、自らのプラットフォームで発信していくことを示唆している気がする。

プラットフォームは、校閲に敏感な時代だからこそどれだけ書き手の自由を担保できるか。

業績のあるジャーナリストなら、サブスタックのような独立系で書くことが今後はますます主流になっていく予感。■